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松山の「ことばスポット」を探して

とある夜、愛媛・松山市内の「居酒屋ホヤケン」で、「ことば」をテーマにした座談会が開催された。松山出身の俳人・神野紗希さんと、エディトリアルディレクター・ハタノエリさんのトークは、物の見方などハッとすることばかりであっという間に時間が過ぎていった。また、みんなで俳句をつくり、鑑賞する面白さを体感するという濃密な夜だった。

座談会の模様はこちら▽

そんな座談会の中で、松山の「ことばスポット」を紹介できないかという話題になった(「ことばスポット」に正式な定義はないが、ここでは、言葉を紡ぎたくなる場所や言葉に触れられる場所としておく)。そこで、まずは、「ことば」と聞いて思い浮かぶ、神野さんの思い出の場所を挙げてもらった。

俳人・神野さんが育った、松山の思い出のことばスポット

①通学の途中に佇んだ、石手川の土手の風景

松山平野を流れる石手川。上流には石手川ダムがあり、松山市民ならば、知らない人はいない馴染み深い河川だ。土手沿いは公園として整備されている緑地もあり、春は花見を楽しんだり、秋は河川敷で、郷土料理の芋炊きを囲んだり、子どもたちが駆け回ったり、市民の憩いのスポットでもある。

石手川と重信しげのぶ川が合流する出合であいの渡し」付近では、正岡子規しきが「若鮎わかあゆの二手になりて上りけり」という句を詠んでいる。そこで、石手川の中でも、出合大橋付近を散策することにした。1月の下旬、鮎の季節ではないが、中洲では水鳥が羽を休めていて見ていて飽きない。土手を下りると人通りもあまりなく静かで、鳥の声や郊外電車の音が聞こえてくる。ススキや水面がキラキラしていた。

出合大橋の上から、二つの川を見る。手前が重信川、奥が石手川。「若鮎の〜」の句は、人生の分かれ道に立つ自分や友人の姿を、若鮎に重ねたのかもしれない。
ススキの向こうには水鳥が見える。
ぽっかりと空が開け、水を湛えている風景を眺めていると、心穏やかになる。

そんな石手川沿いの土手に、学生時代は自転車通学の途中で立ち寄っていたという神野さん。時には川原をぼーっと眺めて、思いついた句を書きとめていたそうだ。

光る水か濡れた光か燕か   紗希

春、川べりに飛び交う燕を見て、この土手で作った俳句だそう。暑い日も、寒い日も、雨の日も、夕暮れの光に包まれる日も。そこは季語に出会う場であり、多感な時期を受け止めてくれた、神野さんの原風景なのだそうだ。


②母校の敷地内にある句碑

神野さんの母校、愛媛県立松山東高等学校(松山東高校)は、正岡子規、高浜虚子、大江健三郎など名だたる文化人を輩出している歴史ある高校。夏目漱石が教鞭をとっていた時期があり、その体験をもとに小説『坊っちゃん』は執筆されたという。

校内には、2001年に建立された、漱石と子規の句碑がある。1895年に帰松した子規が、漱石と52日間、愚陀仏庵ぐだぶつあんで過ごし、子規が出発する送別会で送りあったとされる句が碑に刻まれている。

行く我にとどまる汝(なれ)に秋二つ  子規
子規の句碑は、右側の漱石の句碑「御立ちやる可御立ちやれ新酒菊の花」と並んで佇んでいる。

「子規の句は、私(子規)は東京に行き、漱石は松山に留まる。それぞれ52日間は一緒に一つの秋を体験していたけど、これからは二つの秋になるね、という内容です。それぞれ、たくさんの俳句を作っていますけど、二人の関係が非常に分かりやすく現れていて、二人のつながりを表す俳句の中で一番いいと思ったのではないでしょうか」

「さらに、みんなが感じることですよね。例えば、大学受験があって、県外に出る子がいれば、県内の大学に行ったり。そういう高校生の心情にすごくぴったりする俳句だから、この句をここに選んだ人は、Good Jobですね」

子規と漱石の別れの言葉に、神野さんも自分自身を重ね合わせていたようだ。だからこそ、高校生活を共にする仲間を、その瞬間を愛おしんだのだろう。もし、俳句の世界に踏み入っていなければ、この句碑の言葉を素通りしていたかもしれない。俳句には、時を超えて、その人が見たこと感じたことに触れ、その味わいを噛み締められる、そんな魅力がある。


③俳句甲子園を闘った三越アトリウムコート

毎年8月に松山市で開催されている全国高等学校俳句選手権大会(俳句甲子園)。俳句による創造力や観賞力を競う大会で、松山の商店街の中で、熱い戦いが繰り広げられる夏の風物詩となっている。この俳句甲子園がきっかけで俳句の道に進み、現在は、審査員側の神野さん。出場した第4回(2001年)は、自身の松山東高校が優勝し、神野さんの句が最優秀句に選ばれている。

カンバスの余白八月十五日  神野 紗希

「私が高校3年生で出場した時の準決勝と決勝が三越アトリウムコートだったんですよ。最優秀賞になった句を発表した場所だから、なんとなく、あそこに行くと懐かしいなって思い出しますね。俳句の記憶がいっぱい詰まっている場所です」

神野さんが出場した年の会場が松山三越の入り口にあるアトリウムコート。吹き抜けとなっている開放感のある空間にステージが用意され、熱戦が繰り広げられた。

トーナメント戦の緊張感の中で、高校生が渾身の力を振り絞り、紡ぐ言葉。
そこで繰り広げられる生の言葉や、判定による悲喜こもごもは、心打たれるものがある。俳句に興味があってもなくても、買い物客もついつい足を止めて見入ってしまう。開催場所が、松山の中心部にある商店街で、誰でも観戦できるというのがユニークだ(コロナ禍の時は変更あり)。言葉に出会える「俳句甲子園」という場は、出場者はもちろんのこと、誰にとっても開かれた「ことばスポット」だと言える。

商店街の一部、松山銀天街では、「子規顕彰松山市小中高校生俳句大会」の入賞作品を展示する取り組みも行なわれている。神野さんも展示された経験があり、嬉しい思い出として残っている。

「小学校の時に入選して、展示してもらって、嬉しかったですね。街に俳句があると、自分が大人になっても、こんな俳句があるんだって思いながら読むし、自分の句が飾られていたら、学校の教室にあるより、ずっと受け入れられている感じがしますよね。自分の作品が街の人に受け入れてもらっている気がする。自分の思い出としても残りますし、そう思う子が毎年いっぱい生まれているというのは、素晴らしいことだと思います」

松山人だからといって、みんながみんな俳句を作っている訳ではないが、目にしたり、触れえる機会は確かにあり、こうして、未来の俳人が育つ土壌があるのは松山らしさなのかもしれない。

過去の入賞作品展示の様子▽
https://matsuyama.keizai.biz/headline/2509/

神野さんが選んだ「ことばスポット」は、土手、句碑、商業施設。派手さはなく、観光地として紹介されることはなかなかないだろう。でも、神野さんの著書『もう泣かない電気毛布は裏切らない』では、これらの場所にまつわるエピソードが書かれている。何を思い、言葉と向き合っていたのかを想像して同じ地に立ってみると、世界がキラキラと輝いて見えて、今までとは違って見えてくる。

揺れ動く心を見つめ、何気ない風景に目を留め、言葉にしてみる、それでいいのだ。だから、心が動いたその時、その場所が「ことばスポット」。通勤通学の電車の中でも、コンビニでもスーパーでも、どこだっていい。もちろん土手でも。

それを今の時代なら、SNSに投稿するのかもしれないが、その文字を削りに削って17音にしてみてはどうだろうか。削ぎ落とすからこそ、言葉に対する想いが深まり、感覚が研ぎ澄まされる。生まれる余白を、解釈の違いを楽しめる。Twitterが17音制限になったら、案外面白いのかもしれない。


誰でも行ける、ことばスポット

心動いたその場所を「ことばスポット」としてはみたものの、旅する人へのおすすめ情報はないだろうか。神野さんに言葉に触れられる場所について聞いてみたところ、幾つかスポットを挙げていただいた。

①松山市立子規記念博物館

正岡子規の世界を通して、松山の伝統文化や文学について知ることができる文学系の博物館。「子規博」という通称で親しまれている。子規の一生や、漱石や俳人との交流のほか、松山の歴史も学べる。漱石と子規が52日間過ごした愚陀仏庵の再現展示もあり、ここで句会をしたのか、ここで子規が勝手に頼んで食べた鰻代を漱石が支払ったのか、など当時の様子を想像すると面白い。前述した、松山東高校内の句碑も、この博物館を訪れていると、よりイメージが膨らむだろう。

ファサードには、今月の句が紹介されていた。常設展に加えて特別展もあり、訪れた時は、「子規と河東家ー碧梧桐を育んだ絆ー」が開催されていた。
漱石の下宿「愚陀仏庵」の展示(愚陀仏とは、漱石の俳号)。2階に漱石が、1階に静養のため松山に帰省した子規が住み、52日間、共同生活を送った。1階には子規の仲間が度々訪れ、句会が開かれた。

「子規博は、作家の博物館としても、とても充実しているんですよ。資料が豊富ですし、学芸員の方の理解度の高さが展示に反映されています。地元松山のみなさんの句が、エントランスに飾られていたりして、親しさも感じられます。立地もいいし、とてもいい博物館だと思います。普段、俳句に触れる機会がない人も、松山に来たら、子規博で正岡子規に触れて欲しいですね」

子規の晩年、生きながらにして、背中に穴が開くというのは、壮絶な痛みを伴った闘病生活だったに違いない。その中で俳句の創作を続けた子規。「逆境の中にも光を見つけるのが俳句。言葉が支えになっていたんですね」という神野さんの言葉を思い出しながら、展示を進んで行く。

病床の子規が望郷の想いを詠んだ歌「足なへの病いゆとふ伊豫の湯に 飛びても行かな鷺にあらませば」。博物館の付近では、他にも子規や漱石の句碑を見ることができる。

病床で、献身的に看病する家族や門下生に囲まれて最後の力を振り絞った絶筆三句。その展示には、目頭が熱くなった。

1階には子規の机を再現したフォトスポットがある。

子どもの頃に行ったことがある人も、大人になり、人生の経験を経てから見ると、また、得られるものがあるだろう。そして、1階にあるミュージアムショップも、俳句関連の書籍や雑誌、俳句日めくりや文具などのグッズもあり、神野さんのおすすめだ。

松山市立子規記念博物館
住所:愛媛県松山市道後公園1-30
開館時間:9:00〜18:00(5/1〜10/31)、9:00〜17:00(11/1〜4/30)
休館日:火曜日(祝日の場合は翌日)
https://shiki-museum.com/


②宝厳寺の句碑と上人坂

せっかく子規博に来たのなら、道後エリアのおすすめを。

道後では、2023年2月26日まで、アートイベント「道後オンセナート2022」が開催されている。そのプログラムの一つ「マチコトバ」では、俳人やミュージシャン、クリエイターが選んだ様々な言葉が、道後の路地裏や坂道、建物の壁面などに表現されている。

「短い言葉が飛び込んでくる感覚というのは、俳句と共通しているかなと思いますね。短い言葉から想像を広げる力が育つというか、そういう意味ですごく意味があるし、言葉を生かすのはいいですね」

俳人の夏井いつきさんも参加していて、自身の伊月庵を構えている上人しょうにん坂には、夏井さんの俳句も幾つか展示されている。

季節ごとに句を換えていて、写真は冬の展示

この上人坂は、一遍上人の生誕地である宝厳寺ほうごんじの門前町として栄え、遊郭が並ぶ花街であったという歴史がある。このあたりを、子規と漱石も吟行(俳句を作るために散策すること)したという記録が残っており、宝厳寺には、子規の句碑が建っている。

右が子規の句「色里や十歩はなれて秋の風」、左が斎藤茂吉の歌「あかあかと一本の道通りたり 霊剋(たまきわ)るわが命なりけり」

宝厳寺の山門に腰掛けて、上人坂を見下ろし、この句を詠んだという子規。当時の面影を残す建物は残っていないが、交流拠点「ひみつジャナイ基地」や夏井さんの「伊月庵」、飲食店やショップなど新たなスポットが誕生していて、人々が訪れている。子規や漱石がこの風景を見たら、何を思い、どんな句を詠むだろうか。

宝厳寺
住所:愛媛県松山市道後湯月町5-4


③圓満寺

上人坂を下り、突き当たりを右に曲がり進むと、右手に「大悲山 圓満寺えんまんじが見えてくる。812年に創建された浄土宗の寺で、御本尊は阿弥陀如来。その手前にある「湯の大地蔵」が恋愛にご利益があるということで、女性に人気のスポットとなっている。恋の開運アイテムも人気の理由の一つで、そのうちの「えまたま」「俳句恋みくじ」は、神野さんが発案したもの。

湯の大地蔵は、恋愛以外にも、火除けや延命長寿、家内安全など幅広いご利益がある。
お詣りが済んだら、「俳句恋みくじ」や「えまたま」を。

「えまたま」は松山の市花「椿」をお題にした4種類の俳句があらかじめ書かれていて、空欄に名前を書き込み、俳句祈願ができるようになっている絵馬。「俳句恋みくじ」は、神野さんが厳選した恋の俳句60句をおみくじにしたもの。子規や漱石、高浜虚子、種田山頭火の句も含まれている。あなたの背中を押してくれるのは、どんな俳句の言葉だろうか。

青菜に虫……、もう一回引き直そうかと思ったが、神野さんの解説を読むと愛らしく思えてくる。

「俳句って高尚なイメージがあるけど、もっと身近で、自分のものなんだよと伝わって欲しいなと思って作りました」

確かに、普段、俳句に親しんでいない人に、いきなり俳句を詠んでみてというのはハードルが高い。でも、絵馬を書くことで、おみくじを引くことで、祈りながら自然と俳句に触れられる仕掛けになっている。まさに「ことばスポット」と言えるだろう。

色鮮やかなお結び玉が境内に結ばれていて、フォトスポットとしても人気だ。

圓満寺
住所:愛媛県松山市道後湯月町4-49


④愛媛県立図書館

俳句に触れて、少し興味が湧いてきたら、本を手にしてはどうだろう。堀之内にある愛媛県立図書館は、神野さんのおすすめのことばスポットだ。

「4階に俳句コーナーがあるんですけど、あそこは死守してほしい」と、神野さん。かなりの熱の入りようである。

「過去の俳句集から今の句集まで、コンパクトながら、ちゃんと網羅されていて、正岡子規の資料とか、松山・愛媛の俳人の資料もすごく充実しています。何か調べたいという時に、東京の図書館や俳句の資料館にもない資料があるので、愛媛県立図書館は最高の図書館です」

愛媛県立図書館の4階には、郷土資料や古い地図もあり、私も度々お世話になっているのだが、俳句コーナーは逆側に位置していて、今まで全く足を踏み入れたことがなかったエリア。俳句と無縁の人には敷居が高いのではないだろうか?

「最新の句集も割と仕入れてくれるので、句集が読みたいなと思ったら、数ヶ月後に県立図書館に行くと、意外とあるんですよ。だから有効活用していて、今の俳句を知りつつ、昔の俳句を知りたいという人にも多分一番いいと思います」

なるほど。確かに、入門書やエッセイ形式で句が紹介されている本など、初心者が手に取りやすい本もある。神野さんのコーナーも見つけた。そして、今回の取材で句碑に足を運んでいるが、句碑巡りなる本の存在も知る。私のような俳句に縁のない人から、新聞で子規や漱石の句についての連載をしていた神野さんのようなプロにまで、心強い蔵書のようだ。

図書館周辺の城山公園では木々や草花を楽しめる。散策すれば、句が浮かぶかも?!

愛媛県立図書館
住所:愛媛県松山市堀之内
開館時間:9:40〜19:00(平日火〜金)、9:40〜18:00(土・日・祝)、9:40〜17:00(子ども読書室)
休館日:月、館内整理日
https://lib.ehimetosyokan.jp


【番外編】居酒屋ホヤケン

最後に、座談会の会場となった「居酒屋ホヤケン」も「ことばスポット」として挙げておきたい。店には季語を調べられる歳時記があり、初心者でも俳句を作ることができる。そして、店主に俳号(俳人の雅号)をつけてもらえるというのも面白い。詠んだ俳句を誰かとワイワイ話せる、俳句BARなのだ。


ことばスポット巡りを終えて

神野さんがおすすめすることばスポットを巡ってみて、子規は多くの人に愛されていたのだなと感じた。

市内のあちこちに子規の句碑があり、博物館もある。そのおかげで、私もこうして知ることができるのだが、それは、残そう、伝えようとした人たちがいてくれたからだ。そして、これからも続いていく。

時代とともに風景は移り変わっても、俳句を通して子規や漱石が見ていた世界を感じられるのが松山のまち。それは、これからも変わらないだろう。


今回の書き手:新居田真美
えひめの暮らし編集室主宰。これからも続いてほしい「ひと、もの、こと」に光を当ててたいと、流れていく言葉や降り注ぐ言葉を編む人。暮らしを編むことについてはまだまだ実験の日々。愛媛県内子町の紙にまつわる人々による「そしてこれから 和紙の旅」のサポーター。
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