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消えてなくなっても残り続けるもの

それは一瞬で偶然の煌めきのようで何かの弾みで嘘みたいに消えてなくなってしまいそうで、それだけ少し怖くて、それほど今あるものにしがみついていたい。本当に今のまま全て進んでいたいし、この渦の中に巻き込まれ続けたい。とか思ってしまうくらい生活はかなり楽しくかなり変なことが多い。
そんなとき、GEZANのENDROLLが心に来る。"長い長い小説の最後のページにて満員のフロアの後ろを走る走馬灯"、"エンドロールに名前がなかった”とかめっちゃ好きです。エンドロールに名前はなくとも写真やら誰かの記憶の中に残って、そこで存在の証明が出来たらいいな。

この前に大学のラジオメンバーでお酒を呑みました。呑んだ後に4人で証明写真を撮った。ほんとはプリクラを撮りたかったけど近くにゲームセンターが無かったから、終電が近づいて駅の地下街のシャッターが閉じられゆく中で近くにいた警備員さんに見守られながら4人で証明写真を撮る。自分らの存在がどういう風にその人に見えているのだろうか少し気になる。
破天荒そうに見えたり大人っぽく見えても、子供らしさとか好奇心だとかピュアな心で埋め尽くされてていたりして、新たな一面を知ったりするもんだから呑んだりするの楽しいなと思った。俺はすぐに酔うのでこれからはペースを考えて呑みたい。ほんとに手書きのフォントみたいな遊び方をしちゃった。安直にエモいという言葉にしたくないから手書きのフォントみたいと喩えてみる。誰にも伝わらなくてもいいユーモアだと思うけど伝わったら嬉しいなと思う。

この間、ボランティアしに行った映画祭の打ち上げも楽しかったな。他大学の先輩方や主催者の方々が本当にお優しくて制作の刺激になった。二日間の偶然の巡り合わせの縁が本当に自分にとっての宝になって嬉しい。勇気を持っていろんな場所に飛び込んでみるものだなと思います。ありがとうございます。とても幸せです。

貴方の冬を表す言葉はなんですか?と授業で聞かれる。
自分が思い浮かんだ言葉が去年の記憶だったりして楽しいと思える出来事が去年たくさんあったのだなと思った。嬉しい。友達と清水寺のライトアップも見たし、昼休みにサッカーしたし、当時に好きだった子と付き合ったりも出来てたから毎日楽しくて当たり前だったけど。
そういうこと思い出したら感傷的な気持ちになって去年の写真を見返したりしてしまった。カメラロールの中に残った授業の板書の写真を見つける。必要のない写真だから消そうと思ったけど、また見返そうと思ったときに必要な写真の中に不必要な写真が残っていたらセーブポイントみたいで可愛いかもなって思えたから残すことにした。この可愛いは自分のある種の匙加減で、こういうのも誰にも伝わらなくてもいいユーモアだと思うけど伝わったら嬉しいなと思った。

別の日に自分にとっての宝物がなにかを問われる。自分にとっての宝物が何かを凄く考えてしまった。自分にとっての宝物は映画の半券かもなと思った。映画館に映画を観にいくときは一人で行ったりだとか友達と行ったりだとか恋人と行ったりだとかで、普段はサブスクで映画を観るから映画館にわざわざ出向いて観に行くときは割とそれなりの理由がある。その時々の理由を半券を見るとなんとなく思い出せる。連鎖するようにその時の会話の一つや二つを思い出すことがあったりもして、そういう体験があるからなかなか捨てれない。同じ時間を誰かしらと共有をしていたこと、自分が確かにそこにいたことをちゃんと証明付けるものな気もするから、やっぱり自分にとっての宝物なのかもね、と思った。