見出し画像

ココと暮らせて良かった

どこから何を書いていいのかわからない。

今はまだそんな感じですが、わんこのココが僕らの家族にもたらしてくれた幸せを、ちょっとお裾分けできればと思います。

%%%

ココが我が家にやってきたのは、2008年9月17日のことでした。 前日に部下が僕に子犬の写真を見せ、「飼いたい?」と訊いてきたのです。なんでも迷子だったとかで、飼い主が見つからないとのこと。一目惚れした僕は写真を送ってもらい、家族にフォワードして飼いたいかどうか尋ねてみました。全員、「YES」の即答!

もらってきた当日。

翌日17日に犬を引き取り、助手席に乗せて、ゆっくりと運転して帰りました。幸い、会社からほんの5分のところに住んでいたので、問題なく到着。受け取った妻は、あやうくその場でキュン死するところでした。

その晩、 家族会議を開いて名前を決めました。白黒のブチなので「Oreo」という名前にしたかったのですが、強い反対にあって:

グーグー
グーコー
ノラクロ
白黒
オレオ
次郎
太郎
ズッコ
ラッキー
Coco
Koko

などの名前を検討した結果、ココ(Koko)に落ち着きました。

暗いトンネルの中で

この1年ちょっと前、僕らは父と義弟を1日違いで失うというショッキングな出来事に見舞われ、なかなか立ち直れないでいました。


僕は10年ぶりに鬱を再発させ、長く引きずりました。 子供の前でこそ平静を装っていましたが、不在の時には、僕も妻もベッドに突っ伏して、まったくなにもできない状態でした。また、ちょうどこの頃に上司が代わったのですが、これが稀に見る嫌な奴で、それだけでもメンタルに堪えました。

でも、なんとか状況を変えたくて、家を購入して引っ越したりと、四苦八苦の真っ最中だったのです。

そんな中やってきたココ。

まるで家の中に、ハッピーネスが具現化して飛び込んできたようでした。なんとも言えず暗かった我が家が笑顔で満たされ、本当に救われました。

ちょっとアホで可愛い

そしてこの犬、ちょっとアホですごく可愛かったのです。

まずはすべての子犬が通るであろう、大量の器物損壊を一通りやりました。

まあ、偽UCLAブランド品だからいいけどさ…
マグセーフのコネクタ…
俺のブーツ!

被害はいろいろですが、カーペットを2枚ほどズタズタにされました。ソファーのクッションもすごい被害でした。靴とかサンダルとかも散々でした。まあでも、子犬ってそんなものですよね。

また、自分の姿に吠えてみたり、おもちゃの犬を恐れてみたり、毎日毎日笑いをもたらしてくれました。

どこでもいっしょ

その後、旅行やキャンプにも何度も連れていきました。僕らの行き先は大抵アウトドアなので、わんこ同伴と相性も良く、あちこちの州立公園でたっぷり遊びました。

初めてのキャンプ。

昼間は原稿を書いている僕の足元にずっといて、子供達が学校から帰ってきてからは、子供らの後をついて歩いていました。思春期真っ只中の子供達が曲がりなりにもちゃんと自分の道を見つけて行ったのは、ココが精神的な安定をもたらしてくれたからじゃないかな? なんて思ったりします。この子本当に、我が家の救い主でした。

子供たちが巣立った後

やがて、子供たちは親元を巣立っていきました。2013年には長男が高校を卒業してボストンへ、そして2014年には、次男もポートランドへと移り住んでいったのです。

こうしてある日から、僕ら夫婦とわんこ1匹の生活が始まりました。

毎日2人で、朝晩散歩に連れて行きました。よく歩く犬で、最低1日2回は散歩に連れて行けないと、フラストレーションを溜めて家財を破壊するからです。面倒臭いと言えば面倒臭いのですが、おかげで、毎日、10,000歩以上歩くことができました。もしもココがいなかったら、こんなに歩かなかったんじゃないかな? 僕らの健康維持に、相当貢献してくれたように思います。

散歩中は、妻といろんな話をしました。会社経営のことや、子育てのこと、はたまた、親の介護や今後の予定などなど。僕ら2人がずっと仲良くやって来れたのも、ココを連れてのお散歩のお陰だったように思います。

そしてこの散歩は、彼が亡くなる当日まで続きました。いつもこんなふうに、いつも、夫婦両方が揃うまで待ってくれました。

パパ、早く早く!
今日は少し遠出してお散歩

共に老いていく

そうこうしているうちに月日が流れ、やがて僕は50歳を大きく過ぎました。そしてパンデミックが世界を襲い始めた2020年、自分とココの老いを実感する機会が増えてきました。

2021年には、なぜかそれまでは見向きもしなかった靴下の形をしたおもちゃを丸呑みし、手術して取り出す羽目になりました。そしてその数ヶ月後には、今度はトイレットペーパーをどんどん引き出して食べてしまい、それが腸に詰まって再び手術。そして、これを境に、ガックリと弱くなりました。

これがココのマイブームだった模様。

やがて、散歩の距離が目に見えて短くなってきました。以前は果てしなく歩き、こちらが辟易としていたのが嘘のようです。でも、ちょうど僕もコロナにかかったり、心臓を患った直後だったので、なんというか、共に老いていくような感覚でした。

2022年の中盤になると、今までは軽々と飛び乗っていたソファにも飛び乗れなくなりました。以前はいつもこんなふうに、ソファの背もたれの上に乗って、外を眺めていたんですけどね。そして猫やリスが通るたびに、激しく吠え立てていたものです。

また、いつの間にか、顔が真っ白です。これ、白髪なんだそうです。犬も白髪かあ。オレもだよ、ココ。

そして2022年の半ばごろになると、すっかり耳が遠くなり、外で物音がしても、僕らが大声で呼んでも気がつかなくなってきました。それでもまだ相変わらず散歩は力強く、まだ何年も生きそうだと感じさせたものです。

老いが加速

そんなココの老いが一気に加速したのは、年を明けてからです。

まず、食事を頻繁に残すようになり、みるみるうちに痩せていきました。肋骨が浮き出て、抱き上げると信じられないほど軽くなっていました。また、背中も曲がり、まるで背虫のようです。犬も年をとると、腰が曲がるんですねえ。

ドッグフードを色々と試すうちに、食欲はある程度回復。でも、一度痩せ衰えた体が元に戻ることはありませんでした。散歩もすっかり遅くなり、かつての3分の1程度の距離を、30分もかけてゆっくりと歩くのが精一杯になってきました。

共に老いているつもりだったのに、いつのまにかすっかり追い越されてしまったようです。おしっこをする時も足を上げられなくなり、いつの間にかその場で腰を下げて、用を足すになっていました。

やがて、頻繁に室内で粗相をするようになってきました。初めのうちは外の行くのが間に合わない感じだったのですが、春先ごろには、もう外に行く気力もないようで、室内で頻繁に失禁するようになってきました。

そこで、彼の寝場所の周辺には吸水式のペットシートを敷き詰め、フェンスを張り巡らせてあまり徘徊しないようにしました。そして夜中に何度も起きては外に出してやって排尿や排便を促しました。また、オムツをして過ごす時間も増えてきました。

もうどんなに大きな声で呼んでも聞こえませんし、目もあまり見えていないようで、些細な段差に引っかかってよく転ぶようになりました。近くによその犬がいても気がつかず、黙々と我が道を歩くだけ。前は犬を見れば吠えていたなんて、想像もつかないほどです。

でも、年内はまだなんとか持つんじゃないかな? 

僕らはそんなふうに考えていました。

急変

さて、この週末、アメリカは3連休だったのですね。

そこで僕らは土曜日には、二人でハイキングに出かけました。

帰宅後にココのオムツを取り替えると、なぜかほとんど濡れていなかったのです。でもその時には、あまり気にも留めませんでした。たまたまかもしれないと思ったからです。その後、夕方にもう一度替えようとオムツを外すと、一滴もしていないようでした。慌ててググってみると、排尿障害は24時間以内に死に至る可能性がある、深刻な障害であることがわかりました。しかし、3連休で、どこの獣医も空いていません。ようやく夜10時ごろに見つけた休日夜間診療所も、行ってみると4時間待ちでした。そして、その頃には、ココはブルブルと震えていました。

幸い、1時間ほど待ったところでナースが超音波で尿の溜まり具合をチェックしてくれ、すぐさま別の休日夜間診療所を紹介してくれました。またもや長時間待たされるかと思いきや、今度はすぐに診てもらえました。ただ、もう夜中なので、検査結果がすぐに出るわけではありません。でも、すぐさま尿を抜いてくれ、おそらく尿道炎の可能性が高いと抗生物質を出してくれました。

翌日薬を飲んだものの、やっぱり尿が出ません。ほんの数滴です。でも、相変わらず食欲もあるし、散歩に行きたがるのが不憫でした。5時を過ぎても尿が出ないので、再び救急へ。そして、もう一度尿を抜いてもらいましたが、その時獣医に「おそらく尿道結石かガン、あるいは、神経障害によるのので、手術をしないと助からない」と言われました。ただ、この歳で手術したら、おそらくココは持ちませんし、仮に助かったとしても、彼のQuality of Lifeはガタ落ちです。「どうでしょう? 安楽死を考えてみてはいかがですか?」と言われ、僕らは返答に詰まりました。

僕らはどうしても諦めきれず、しばらく話したのち、明朝に精密検査をしてもらうことで合意して帰路につきました。

最後の日

翌朝、早く目が覚めました……  というより、あまりよく眠れませんでした。ペットシートを確認すると、小さな尿のシミがあります。歓喜して妻に知らせると、「でもこれ、たぶん、5ccくらいだよ…」と言われました。

ココの膀胱、昨晩も300cc以上溜まっていましたから、これではどうにもなりません。検査に行く支度をしながら、なにがココにとって最善の選択肢なのか、考え続けました。

精密検査って、一体何のためだろう? 原因が神経でも、結石でも、ガンでも、手術をしない限りどうにもならないのに、手術を持ち堪える体力はもうありません。

これを妻に決めさせてはいけない。

髭を剃りながら決意を固め、バスルームを出ると同時に、安楽死にしようと妻に伝えました。妻も真っ赤な目で、「わたしも今同じことを考えてた」と、頷きました。

病院に電話して僕らの意思を伝えると、あらためていつにしたいか訊かれたので、午後3時としました。時間ができたので、最後に残された時間をココと一緒に過ごすことにしました。

散歩に出かけようと引き綱をつけると、いつものようにいそいそと外に向かいます。そんな姿が不憫で、言葉に詰まりました。でも、悲しいことをココに悟られたくなくて、平静を装いました。ゆっくりとだけど、意外としっかりとした足取りです。

そして最後の食事。いつも通りの食欲で、胸が詰まります。

僕らは言葉もなく、ココを眺め続けました。たくさんの思い出話。みんなでキャンプに行った時のことや、湖で泳がせた時のこと。はたまた、いつも長男のベッドで、なかよく並んで寝ていたことなど。

尿意が常にするようで、頻繁に目を開けては歩き回り、また少し横になります。彼が寝ている間にそっと食事。時間は容赦なく流れ、最後の時が、刻一刻と近づいてきます。

いよいよ出際になって、妻がふと思い立って、鶏肉を少し温め、ココに与えました。この子、アレルギーでずっと鶏肉が食べられなかったのです。でも、もう関係ないですしね。するとすごい勢いで食べるので、慌てて冷凍庫からさらに鶏肉を引っ張り出し、もっと温めました。そして割いて、いつものご飯の器に入れてあげます。勢いよく食べるココ。

おいしいかい? 

ずっと食べたたがってたもんな。

抱き抱えて、外に出る。そして妻と1枚ずつ最後のスナップショット。

それ、せめての笑顔だ!

その後の詳細は割愛します。

悲しすぎる別れでした。妻の腕の中で、まるで空気が抜けていく風船のように崩れ落ちるココの姿を、生涯忘れることはないでしょう。

次の日

そして今日。

仕事が終わると、妻がココが寝ていた場所に突っ伏して、敷いてあったタオルの匂いを嗅いでいた。ココの匂いが染み込んだこのタオル、そのままずっと置いておきたい。

最後にわずかに出た尿のシミが付いたシートも、当分捨てられそうにありません。最近買い足したばかりの紙おむつに、うんちを拾うのに使っていたビニール袋。どれも、片付けられそうにない。悲しい気持ちで、胸が潰れそうです。

ココへ

ココ。キミと暮らせて良かった。

確かに別れは辛いよね。でも、楽しい15年だったね。人生2度目の鬱から脱出できたのも、子供らの成長も、キミのおかげだよ。

毎日の散歩が面倒臭い日もあったけど、おかげで毎日必ず歩けた。近所にどんな犬が住んでいて、どんな人が飼っているのか、君がいたからこそ知ったよ。

朝の冷たい空気のおいしさも、湿った長い芝生が気持ちいいということも、君と一緒に暮らさなかったら、知らないままだったよ。

お兄ちゃんと散歩中。
フリスビーは離すものだよ!
電話を覗き込んでどーする?
キミのその目が好きさ
外に何がいる?

父の命日が5月27日。義弟のが5月28日。そして君のが5月29日。ちょうど連休だったから、パパとママも全力で君の看病に付き合えた。なんだかね、君がこの日を選んでくれたようにさえ思うよ。

ココ。

僕らと暮らしてくれて、本当にありがとう。今は悲しみのどん底だけど、でも、君と暮らせて本当に良かった。君と過ごした時間、一生忘れないよ。

僕らがそっちに行く日まで、湿った芝生の上を好きなだけ駆け回ってな。鶏肉もたくさん食べてな。それから、ソファの背もたれの上に乗って、外を眺めて、リスや猫に吠えていろよ。

そしたら、また遊んでくれな。

バイバイ

ではまたね、ココ。

ここから先は

0字

シリコンバレー、フィリピン、東京の3ヶ所に拠点を置くBrighture English Adacemy 代表、松井博が、日々あちこちで感じ…

この記事が参加している募集

ペットとの暮らし

もしこの記事を気に入っていただけましたら、サポートしていただけると嬉しいです!