「教育」の範囲…。
社会のあり方が変化すれば、それに伴い学ぶべき内容も変化する。
そのような中で語られる”○○教育”。
「もっと学校で教育するべきだ。」
「学校で、”○○教育”を行う機会を増やすべきだ。」
「学校で教育することで、意識を高めていかなければならない。」
どこまでが守備範囲なのだろうか?
特定の領域から語られる「教育の重要性」
Aという領域からも…
Bという領域からも…
…Zという領域からも。
さて、どこに視点をおいて、どこまでを教育が担うべきなのだろうか?
すべてを担うと矛盾がどうしても生じてしまう。
同時に気をつけるべきこと。
範囲と同時に気をつけるべきこと。
「学校で”○○教育”をすべき。」と語られる際、そこに「啓蒙」という意味が含まれているのではないだろうか。
”正しい知識”!?
「正しい知識」を与え…
”正しい”とは何だろう?
”○○教育”における正しさとは一体?
多面性を持つ”正しさ”は、誰がそれを正しいと決定するのだろうか?
教育の範囲が広がる中で…
学校に求められる”教育”
その範囲が広がる中で、教師の側も学びを広げなければならない。
しかし、それと同時に、教育が担える範囲にも限界があることを知る必要もあると思う。
「教育」のすべてを学校が担えるわけではない。
それと共に、教育には「啓蒙」という意味が含まれてしまうことにも意識を向けなければならない。
知らず知らずのうちに、教師自身の考えを「正しいもの」として、生徒に「啓蒙」してしまっているということに。
「教育」って本当に難しいと考えさせられた本日の探究発表会でした。
今日も新しい気づきをありがとうございました。
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