「差別の無い社会を創りたい」という根本は、自分が“差別された”ときに受けた屈辱にあると思う。

『吾はすべての差別を憎む者なり』

悪戦苦闘な啓蒙活動の末、もし「差別の無い社会を創り出せた」を実感できる瞬間がきたとしたら、それは自分が“差別する側”の人間に属した瞬間かも知れない。

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