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ニセコクラシック年代別優勝

このレースの直前に2年前の写真がgoogleから流れて来た。悪夢の大腿骨骨折手術を終え、リハビリ開始したところで、追い打ちをかけるように肺塞栓で重体になり集中治療室に閉じ込められた時の写真だった。

それを思えば、こうやって普通に生きているだけで丸儲けであり、また性懲りも無くこうやって再びチャレンジしている私は余程の幸せものなのか大バカなのだろう。

あれから2年間、人生はそんなに簡単には起き上がれるようにはできておらず、ホントに苦しかった。

今年の状態

2021年の大事故に加え昨年の5月に不運過ぎるアクシデントに見舞われた。その影響で昨年のニセコは思うように走れず、更に秋のツールド沖縄直前の体調不良などもあり2022年は思うようにいかない一年となった。

今年は昨年11月の脚に入れ続けたボルトを抜く拔釘手術、加えて年末のコロナ罹患により年始からどうしようもない状態が続いていた。

冬の間、MARKEN社の業務としてブラックリーグの運営はやるものの自分は全く走れる状態にはない。

脚の回復は優秀すぎるドクターの皆様のお陰で順調に回復していたが、コロナの後遺症の方が強烈で運動すると心拍が跳ね上がり通常時よりも20拍くらい心拍が高い状態が長期に亘り続き、安静時心拍も常に5から7くらい高い状態が続いていた。

もうこれは持久系スポーツをやるものにとって完全にトドメを刺されている感じはあった。

コロナをただの風邪とか言っているが、アスリートを殺しかねない深刻な病だと言うことを忘れてはいけない。

今年はどうにもならない身体の状態にメンタルが削られるだけになりそうなので、年始から心機一転スイムとランを始めてトライアスロンに挑戦することにした。

スイムは今までやったことがなかったので、少しずつ進歩していくのがわかり、これはやってみて色々得るものが多く、ランニングも骨に刺激を与えられリハビリとして非常に良く少しずつ昔の感覚が戻ってきた。

しかしながら水泳とランをやればやるほど自転車のパフォーマンスを落とすことは明白だと感じるようになってきた。スイムをやると自転車には要らない筋肉がつき体重は増えるし、ランとバイクの筋肉は全く別物。

チーム練に参加しても3月はツキイチですら着いていくことができないような状態。もうコロナの後遺症なのか、脚の具合が悪いのか、スイムとランの影響なのかよくわからないが、全く走れないことだけは確かであった。

加えてトライアスロンの練習でランニングとスイムもやるから体の疲労も抜けずに、ガーミンの疲労の兆候を示すHRVがどんどん悪化。間違いなくオーバートレーニング街道に片足を突っ込んでいた。

5月下旬からどんどんパフォーマンス悪化。GWの走り過ぎの影響

しかし今年からこのガーミンの機能を使うようになって明らかにやり過ぎの傾向に気づくことは出来るようになったのは大きい。(結局あんまり休んでないんだけど強度を落とすという選択はできるようになった)

最終的にはうまく調整できず最低状態でスタートラインへ

2週間前にフジヒルに出てみたが、コンディションは最悪を極め全力で走っても1時間8分かかり選抜クラスでほぼ最下位くらいの実績。

間違いなく過去最低の状態であった。

そんな中で直前1週間前になって、良い兆候として安静時心拍がずっと40を超えていたのが直前になり35から37くらいにストンと落ちてきたこと。コロナ罹患からちょうど半年経ってようやく闇のトンネルから抜け出せたのだろうか。

半年前は安静時が43くらい

加えて体重がずっと例年より3kg重たい状態が続いていたが水泳の頻度を減らし、夜の糖質量を減らしたら良い感じに体重は落ちていった。

体重はカーボを入れ始めた二日前で57.2kg、前日で57.6kg。
2019年総合優勝した時は56.7kgなのでそれに比べると1kg程重たい状態ではあるが、まあそんなに悪い状態ではなさそうだ。

ITさんの作戦

今回はITさんと二人で遠征。もう10年来の親友である。

一緒にいても一人で横でデキストリンをガブガブ飲んでカーボローディングするので飯は食わないと豪語する。横でひたすら怪しい粉を調合して身体に流し込んでいる。もうここまで来ると人間廃業している。
私は一人せっかく北海道に来たのでここぞとばかりに夜は海鮮チラシを食べていたし、地元のどら焼きやらおにぎりやら食べていた(一応糖質量は意識しているけど)。

そして、自分は御飯食わないと言っているのに、前日の夜にホテルの宿で5000円以上するビュッフェを予約してくれていて「?」となった。

これは私を殺そうとする罠だったらしい(笑)。ITさんは食べると見せかけてビュッフェの料理を皿に取って来て少し食べるフリをして、部屋に帰りますと行って帰って行きビュッフェなのに、お汁粉と炊き込みご飯を一口食べただけだった。

取り残された私は案の定ビュッフェを前にして我慢できるはずもなく安定の食べ過ぎをやらかし見事にトラップに引っかかった。

走る前からおっさんの騙し合いレースは始まっているのだよ笑。

しかし、食は栄養的にもメンタル的にも走る源なので気にし過ぎは逆効果だと思うんだ。

直前練習


前週土曜日にチーム練でITさんとイケゴリと走ったが前半で簡単に千切れる始末。後半は逆に走れたが調子の上下落が激し過ぎて自分でコントロール不可能になってきている。

HRVも下がる一方につき、もう直前1週間は無駄なことはやらないことにした。強度を維持して時間を減らすのがセオリーなんだろうけど、日曜、月曜、火曜は低強度を短時間のみ。水曜だけZWIFT レースをそこそこの強度で走り最終の状態確認。今年の中では一番良い感じではあった。翌日木曜も流し。

金曜から現地入りしたが試走は二日に分けて後半のラスト35kmの勝負どころの登りを220w上限くらいでゆっくり走るのみで各60分程度。

刺激入れとかいう無意味な踏み込みは一切やらないようにして、兎に角脚に負担をかけないことに集中。当日CTLは142、TSB41というよくわからない状態であった。

ランとスイムが入るとCTLが、ハイパーインフレ祭りになるので、バイクのみだとCTLは110くらいなんだろう。

補給計画


レースに特別変わったことはしない。
ボトルはACTIVIKE のグランフォンドウォーター500mlを前半用に、スピードウォーター500mlを後半用に。
背中のポケットにはマグオンジェル2本とアミノバイタルゼリー1本、パワージェル2本。フラスコは沖縄の時に落として死亡したので2本にわけてリスク分散。

そして京都が誇る和菓子屋鼓月のスポーツ羊羹を2本を持つ(社長がトライアスリートのようでかなり拘りあり、これマジでオススメ)。

1200kcalとカフェイン200mgくらい。

ジャージはサンボルトのセパレートワンピースの最新版。パッド、汗抜け、着心地どれを取っても文句のつけようがない仕上がり。ノーストレスとはまさにこのこと。

レース

当日朝のトレーニングレディネスは全くレースの状態ではなく56くらい。

MARKEN社ジャングル部のロゴを貼ってゴリラに願掛け

自分の状態に1mmの自信も期待もないので、作戦は115km時点まではウォームアップ区間としてひたすら大人しく走り、残り35kmを全力を尽くすということだけ。フジヒルの状態からしたら下手したらパノラマラインで千切れる可能性も高いと考えていた。

目標は年代別の優勝。その前にせっかく北海道まで来たのだから安全に楽しんで走り、笑顔で帰ることが一番大事なこと。

40歳から44歳カテゴリーは昨年チャンピオンの親友ITさん、田崎さん、森本さん、松井さん、MAKUさん、利田さんなど同年代おっさんの戦い。40歳と44歳とでは完全に生物として別物になってきているので、我々44歳世代はかなり不利な展開が予想される。

このレースは年代別の表彰しかないのに全カテゴリーの混走というよくわからない設定なので、全体のレース展開を作るのは思春期のエネルギーが有り余る若者達に委ねておけば良い。

そこに正面から殴り合いを挑む余力は今の私には一切ないが、若者が作る展開をいかに利用するかは常に考えておかなければいけない。

レース開始からパノラマラインの登りまではそんなにきつくもないペースで進む。NPで4倍くらい。ひたすら腰痛と尿意に耐えるだけの時間。幸いに集団内は千切れるようなペースアップはなくMARKEN社員の皆様とご挨拶しながら進む。

途中で案の定ジェルフラスコを落としてしまい、リスク分散をしていて救われた。

下って補給が終わり、トイレストップが終わると平坦路で逃げの動きが見える。チャレンジできる選手は本当にリスペクトする。

昨年から新コースのアップダウン区間も最小限の力加減で通過し、いよいよ115km地点。

ジワジワ前方に上がり10番手くらいで登りに突撃。

勝負どころ


新見の登りに入ると田中君が圧倒的な力で一人抜け出していく。私は行かせようと周囲に声がけ。

実際彼の力ならここで単独で行くべきだと思うし、レース前半で会話した時も一人で行った方が良いぞと声かけたので、応援の意味もある。続いて佐々木君もそれを追いかけていく。未来あるトップクライマーの戦いが素晴らしい。

5分くらいでメーター見たら340wだったので6倍弱くらい。今シーズンベストに近い数字だがダンシングもほぼ使ってないし不思議とまだ行けるなという感じはあった。

集団は若者のペーシングに任せる。逃げているのは若者カテゴリーなので私がここで引く意味は皆無。一瞬10名くらいまで減ったかと思いきや斜度が緩む補給ポイントあたりでペースダウンし後ろから大量に合流。

後ろまで下がり集団のメンツや状況を確認。
同カテゴリーでは森本さんや田崎さんは流石に生き延びているか。利田さんが元気良さそう。ITさんは徹底したぶら下がりディフェンス作戦。maku さんも居て少し嬉しくなった。

前は逃げ数名と先に行った田中君、佐々木君がいるので若者勢は追わなければならないだろう。

おっさん勢は全員集団の中なのでここからどう展開するかと色々考えるが、やることは黄金温泉からの登りで人数絞って年代別優勝の可能性を高めることくらいか。

下り区間も若者に完全に委ねるが、黄金温泉に入る前のやや危険な下り区間で3名ほどが先行しているように見える。下りをかなり飛ばしている。ここは大人の判断として無理することもないし安全第一で黄金温泉の登りへ。

集団から飛び出た3名は結構離れた。集団内では登りに入り散発的な若者のペースアップがあり、これを利用して私も前に出ていくが集団の人数を減らすことができない。実際前で走れるメンツも数名しかいなくてほとんどはぶら下がり作戦。
おじさん達の走りが老獪を極めている笑。

私は脚の状態的には結構余裕がありそうだが、あまり調子に乗って無茶すると自爆になりかねないのでほどほどに走る。

後で考えれば欲を出して総合も考慮して前3人に少人数で玉砕覚悟でブリッジすることも考えるべきであったが、できなかったのはその脚がなかったということなんだろう。実際この3人が前に追いつき、総合上位に入ったのはロードレースの難しさとおもしろい部分だ。

ニセコ駅からの2分登りも世界の北野君がペース上げようとしてくれたがいつもの北野君の力ではなさそうで人数減らすには至らず。

スプリント

最後の5km看板前の登りも超ゆっくりでこりゃスプリント確実に取りにいくしかないなという感じ。

周りの状況、残り距離を冷静に考える。残り1kmに入ると案の定若者達の早駆けが始まる。まだ仕掛けるのは早い。この辺の嗅覚はまだ衰えてはいない。

ラスト400mを切り左コーナー曲がり300mの登りスプリント。

1000wを出すスプリントではなく周りの状況に合わせて600から800wを約25秒維持するスプリント。

ほぼ狙い通りのラインと位置取り。自分的には真面目に2年ぶりにゴール前でやるスプリント。

元プロでナショナルでもあった小橋君には敵わず集団内2位であったが後続に3秒以上開くことができたのはなかなかまだ捨てたもんじゃないなと感じた。

リザルトは年代別優勝。総合9位。

ゴール後に

ゴール後は、2年間の苦しみからようやく解放された気がして涙が出そうになった。同じく長期間ヘルニアで苦しんだ田崎さんと健闘を讃えあって抱き合う。
おじさん達の戦いは乗り越える壁の量が若い頃とは違う。

ゴール後集団内で、競い合ったおじさん達の気持ち良い笑顔が最高じゃないか。

集団内で凌ぎを削った1位から6位の同年代。
(5位のMAKUさんがいないのが残念)


2年間苦しみ続け、いつ辞めるかばかり考えていた私だが、ラスト35kmは完全にレースモードに入り集中したレースが出来て、最高の仲間とまた競い合えていることが嬉しかった。

ここまで長かった。

昨年はロードレースやクリテリウムでヒトが横から飛んでくるトラウマから抜け出せず、あまり好きでも得意でもない安全なヒルクライムばかりやっていたが、私の脚質改めてはこういうレース向きだということを感じた。

レース中にあまり疲労感は感じなかったがスタミナも尽きることなく良い感じでレースは運べていた模様。実際あと1時間くらいレース時間があっても良かったと感じるくらいで体力勝負ならまだ戦えるのかと思えた。

新見の登りでかなり体力削られたのはわかる。

ロードレースやっぱり面白いね。

来年は45歳カテゴリーになるのでそこでの戦いもまた楽しみだ。

一緒に走って頂いた皆様本当にありがとうございました。

MARKEN社の社長として、VELOCEのメンバーとしてもう少し頑張ろうかと思えた北海道遠征であった。

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