見出し画像

鬼滅について考えてみた


ネタバレを壮大に含んでいます

まず最初に申し上げないといけないのは、この文章には壮大なネタバレが含まれているという事です。すでに結末を知っている人に是非読んでもらいたいです。
私の現在の鬼滅の知識の状態は、アニメ、映画(無限列車編)視聴済み、漫画は最終巻まで読破済みという状態です。
しかし、何度も見返した、読み込んだわけでもなく、年末に暇だったので見てみたという程度の「にわか」であるという事をご容赦ください。
また、この記事はあくまで私個人の意見です。なんやかんや書いてますが鬼滅はめちゃくちゃ面白かったです。

なぜここまで流行っているのか

今の子供たちにとっては新鮮だったから
鬼滅のアニメを見た印象として初めて感じた印象としては「王道」、「ジャンプの漫画に前もこんなのあったよね」、「こういう系ならほかにも面白いのあるよな」です。
私自身、NARUTOやONE PIECEが少年時代からずっと好きで、NARUTOに関しては全巻持っているほどです。正直言ってこれらの漫画のほうが鬼滅よりも面白いんじゃないかと最初は思いました。
しかし、よく考えてみると今の子供たちはNARUTOやONE PIECEをリアルタイムで見ていませんし、現在も続いているONE PIECEに関しても「ああ、ジャンプで長くやっている漫画だよね」程度にしか思っていないのではないでしょうか。
私のようなアラサーにとってはこんなの昔の漫画でもあったよなーと思う鬼滅も今の子供たちにとってはとても新鮮で、わかりやすく、ハマり、流行ったのではないでしょうか。

話のテンポがめちゃくちゃいい
鬼滅の漫画を読んでいると特にストーリー展開がとにかく早い印象を受けます。これも今の時代にとてもマッチしていたのではないでしょうか。私の子供のころの漫画といったら「まだ大蛇丸と戦ってるのか」、「山王戦ながっ!」、「結局、ラスボスこいつやないんかーい!」と言ったように終わりそうで終わらなかったり、展開がとにかく遅いものが多かったです。
しかし、鬼滅はラスボスはこいつって最初から分かっているし、話も【敵出る→戦う→勝てないかも→能力開花or強力な助っ人登場→撃破】という流れで展開が早いです。You Tubeなどの短い動画に慣れている今どきの子供たちにとってテンポの速い鬼滅はとても見やすく、飽きないものだったのではないでしょうか。

流行るから→流行る
「なんかようわからんけどみんな見てるから見てみよ」というのが人間の心理で、私もそんな感じのノリで鬼滅のアニメを見始めました。流行っているものは、たとえそれに興味がなくてもメディアや街を歩いていたりすると嫌でも目につき、情報として入ってきてしまいます。鬼滅が流行り始めたころ、まったく興味がなかった私も「呼吸」、「強く~なれる~」、「鬼と戦うやつ」くらいの情報は知っていましたし、そこから結局アニメ、映画、漫画とハマっていきました。流行っているものは、多くの人の目に触れ認知され、興味を持たれ、流行るのサイクルの連鎖が起きることでブームに繋がるのではないでしょうか。

私の思う鬼滅の魅力

場面の行間、ストーリーの伏線がとてもうまい
鬼滅の特徴の一つをしてストーリー展開が早いというものがありますが、それを可能にしているのは、「読者に場面の行間を想像させるのがうまい」という事ではないでしょうか。「きっとこのキャラクターはこう思って、だからこういう行動をしている」、「きっとこの場面とあの場面の間にはこういうことが起きていたのだろう」と程よく読者に想像させ、「ここまで説明しなくても判りますよね、じゃ先進みます」といった感じで気持ち良いテンポでストーリーが進んでいきます。
個人的に「ここ端折るんだ!」と思ったのは、ラスボス鬼舞辻󠄀無惨との決戦前、鬼殺隊当主の産屋敷耀哉が自身の妻と子供を巻き込み、自爆するシーンです。あまりにも突然の出来事でしたし、「いやいや、妻、子供巻き込むなよ!」と一瞬思いましたが、産屋敷家一族が何年もの間、無惨討伐の宿命を背負い、どれだけの覚悟を持って鬼と戦っていたのかを知った瞬間に、「きっと耀哉の奥さんと子供はすべてを知ったうえで屋敷に残ることを選び、無惨が屋敷を襲撃したときも迷うことなく最期を耀哉と共にした、共に死にたかったのだ」と、そのシーンは描かなくとも想像ができました。
それに付随して、「このキャラクターは実はこんな過去がありました」とか「実はこのキャラはこんなことを思って戦っていました」などを絶妙なタイミングで織り交ぜてくるのはさすがだと思いました。漫画版では本編中だけでなく、作者コメントにおいて追加情報や裏話も盛り込まれており、ストーリーに厚みが出ています。
中でも私が印象的だったのは映画で煉獄さんを死に追いやった鬼「猗窩座(あかざ)」の過去です。大切な人を守ることができなかったことから、強さのみを求め鬼になってしまった猗窩座。彼がなぜ素手だけで戦うのか、血鬼術を使う際の術式が雪の結晶である理由、技の名前。すべてが人間だったころの大切な人との思い出と関係しているのだと知った時に、このキャラクターの不器用さと魅力に気づきとても好きになりました。(映画で煉獄さん殺して逃げたときはほんと嫌いになりましたが)

キャラクターと言動の組み合わせが絶妙
このセリフがこのキャラクターから出るからこそ感動するという場面が多かった。
映画で一番好きなシーンが煉獄さんが禰豆子を鬼殺隊の一員と認める場面です。私の煉獄さんの第一印象は融通が効かず、自分が正義だと信じ、とにかくまっすぐな真面目人間です。あまり好きなキャラクターではなかったのですが、煉獄さんの過去や背負っているものを知り、何故彼はここまでまっすぐで過剰なまでの正義感を抱かなければならないのか判った時、キャラクターとしての魅力に気が付きました。自身の正義を貫き通し、鬼を滅殺することを追い求めた彼が、鬼である禰豆子を仲間だと認めたとき、彼がこの言葉を言うことでさらに重みが出てくるのだと感じました。
一番好きなキャラクターが伊之助なのですが、彼が自分の弱さを認めるシーンがとても良いです。自分の強さに絶対的な自信を持っていた彼が、強敵に圧倒積は力の差を見せつけられ「俺って弱いかも」と心を打ち砕かれ、それでもその挫折を乗り越え仲間と強くなることを選ぶ瞬間がたまりませんでした。いつからか伊之助は自分のためではなく、仲間を守るために強くなり戦うようになっていきます。イノシシに育てられた彼が人間として成長していく様子に感動しました。

さらっと描かれるシーンの意味が深い
鬼滅には何の説明もなしに、さらっと描かれているがメッセージ性のある場面が多いです。
特に印象的だったのは最終決戦の終盤、無惨が日光を避けようと赤子の姿となり地中に潜り逃げようとしたシーンです。無惨が鬼となったの理由は、生まれて間もなくして長くは生きられないと医者に言われ、生きるために治療をうけた際の新薬の副作用です。病と長年戦い続けた彼の一番の望みは「生きる」という事だったと思います。そんな彼が死が目の前に迫っている時、赤子の姿となったのは「ただ生きたい」という望みが形となった結果ではないかと思います。生まれたばかりの赤子は「ただ生きる」ためだけに産声を上げます。鬼滅に登場する鬼は、行き過ぎた自身の望みにより盲目となり、鬼となることを選んだ者たちが多くいます。ラスボスである無惨自身も「ただ生きたい」という望みにより鬼となってしまいました。鬼たちは周囲の者たちを犠牲にしに、自身の望みをかなえようとします。その一方で鬼殺隊のメンバーは周囲の者たちのために、自身の望みをかなえようとしていました。この対比も作品の魅力の一つではないかと思います。

さいごに

鬼滅≒ハガレン
「鬼滅ってなんかの漫画に似ているな」とずっと思っていたのですが、それは鋼の錬金術師でした。ハガレンは私の大好きな漫画の一つでストーリー展開、キャラクター、終わり方すべてが完璧な作品だと思います。
鬼滅とハガレンの共通点はとても多く、作者が女性、兄弟愛(兄妹愛)を描いている、兄が弟(妹)をもとの姿に戻すために奮闘する、決して主人公が最強ではない、巻数が少ないなどが挙げられます。
個人的に、鬼滅にハマった人であればハガレンもきっと好きなのではないかなと思います。
ここまでこの記事を読んでいただいた人の中で、私と着眼点が似ていると感じた方は是非、鋼の錬金術師を読んでみてください。

最後までお付き合いいただきありがとうございました。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?