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日本語ミュージカルに違和感を抱くのは「日本語の構造」のせい

こんにちは。ものすごく久しぶりのnoteになってしまいました。
徳島という超ド級の田舎町で映像やイベントを作るお仕事をしつつ、音楽もやってみたりしています。

普段からなんやかんやと考え事をする癖があるのですが、今回はなぜか違和感を抱いてしまう、恥ずかしいような気がする「日本語ミュージカル」について、自分なりに理由がわかったような気がするのでご報告です。もしよかったら共感してください(笑)

まぁそもそも「別に全然違和感ない」もしくは「海外のミュージカルにも違和感がある」という人には関係のない話です(笑)

たぶん「日本語の構造」のせい

いきなり結論を書いてしまいますが、日本語で上演されるミュージカルが「なんとなく違和感」「なんで急に歌い出すんだ」「恥ずかしい」と思われてしまう理由の大部分は「日本語」という言語の音声的な構造にあると思います。

「日本語での作詞の難しさ」または「西洋的音楽での日本語歌唱の難点」についてはこちらの記事に詳しく書かせていただいたのでお時間あれば読んでみてください。

ざっとこの記事のポイントを書きますと

■■■ 難点1 ■■■
日本語は歌詞にすると「長い」し「遅い」(音コストがかかる)

基本的に常に「母音」が必要な日本語歌唱では、英語等に比べて意味を伝達するまでに必要な音(音符)の数が多くなります。

例えば今井美樹さんが「わたしはいま~」って言ってる間に、英語だと「I’m looking for the star」(私は星を探している)ってとこまで言えてしまうわけです。

■■■ 難点2 ■■■
したがって3音とか5音くらいの「キラーワード」が作りにくい

そのため、「I love you」(3音)とか「Let It Go」(3音)、「Ye-llow sub-marine」(5音)みたいな、意味が完結してて、リフレインできるような象徴的で短いフレーズを作るのが日本語歌詞では非常に難しくなります。

難しくなりますっていうか、別にいくらでもあるんですが、オリジナリティ のある美しいフレーズを作るのが難しいんですね。
これはもうコピーライターの領域かもしれない。

■■■ 難点3 ■■■
単語の中に音程がある

英語歌唱であれば I↑ love ↓ you↑ だろうが I↓ love↑ you↓ だろうが、別におかしくはなりません。1音に1単語もしくは1音節載せられるので、言葉選びは随分しやすくなります。

しかし日本語歌唱だと あ↑ な↓ た↑ とか ど↑う→し→て↓ とか、なんでもいいんですが、単語の中で変化することになりますので、イントネーションに違和感の無い言葉選びをせねばなりません。

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以上が上記記事中のポイントをめちゃくちゃざっくり書いたものですが、特に難点1と3が「日本語ミュージカルがなんとなく恥ずかしく感じる」理由に直結していると思います。
ここから詳しく書いていきますね。

日本語は「日常会話」と「歌唱言葉」が全然違う

さて、ここまでざっと説明したポイントですが、これらはすべて「日本語での作詞」や「日本語歌唱」の難点であって、別に「日本語という言語そのもの」の難点ではありません。
ややこしいことを言い出しましたが、私達が普通に日常会話で使っている日本語は、歌唱用の日本語とは全然ちがうんですね。

私達は日常会話ではものすごい量の「省略」をすることによって意思疎通スピードを保っています。
「(私はあなたが)好き」とか「(そろそろお昼ごはん)食べる?」とか、日本語の日常会話で主語述語目的語(SVOってやつ)を全部言うことって、ほぼ無いんじゃないでしょうか。
しかも語順もめちゃくちゃです。

※語順がめちゃくちゃでも通じるのは「助詞」があるからであり、じゃあなぜこんなに助詞が充実してるかといえばそれは「日本語の音コスト」のせいであり「語数を省略するため」だと僕は思うんですが、それについてはまた別で書きたいと思います。

でも、歌詞、歌唱言葉では(そういう「日常会話っぽさを狙ったラップ」等でもないかぎり)そうはいきません。

目の前にいる人に話しているわけではないので、主語述語目的語をちゃんと言わねばなりません。そうやって作られた歌詞はどんどん長くなり「日常会話」の省略ありきのスピーディーな言葉遣いから乖離していきます。

それがすなわち、先程紹介させていただいた【難点1】「日本語は歌詞にすると長いし遅い」という点になります。

※話は逸れますが、言葉が「省略」されているのが前提なので、日本語の会話では常に「文脈を読む」ということが必要です。これが多分「空気を読む」とか「わびさび」「全部見せるのは粋じゃない」みたいな文化を醸成してきたのではないかと僕は思っています。

英語では主語述語目的語を(基本的には)全部言います。全部言ってもそんなに長くない/遅くないのです。
I love youでも Please give me a chocolate でも、日本語なら略すところを英語では略しません。「I=私は」とか「you=あなたに」とか「a/an=一つの」とか、そういうの全部、日本語ではいちいち言いません。

そしてここが重要なんですが、英語は日常会話でも歌唱言葉でも文章の組み立てがそれほど大きくは変わりません。普段から全部言っているわけです。

かなり乱暴な分け方ですが

■日本語:日常会話と歌唱では全く違う言葉づかい
■英 語:日常会話と歌い言葉が近い

ということです。

例えば極端な話、日常会話で「瞳を閉じて君を描くよ それだけでいい」とか「僕はつい見えもしないものに頼って逃げる」みたいな話し方をする人はいないですよね。いたら怖いです。

※言ってる内容のことは今は問題にしていません。こういう文法の「話し方」をするかどうかです。
※ちなみに英語でも、ショートメッセージやSNSだと「文字の量としてはむしろ日本語よりも多くなる」ことになるので、打つのがめんどくさい=トークのスピードが落ちますので、ドンドン省略されます。
「Are you OK? → r u ok?」「Please → Pls」とかそういう感じ。

同じ意味の文章や歌詞をつくるとして、

日本語は英語よりも「必要な音符(音節)の数が多くなる」
英語は日本語よりも「必要な文字の数が多くなる」

という傾向にあると思います。

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【難点2】はまぁ、今回はあんまり関係ない、というか間接的な話になるかな、と思いますので飛ばします。

これは単純に「日本語で歌詞を作るときに難しいポイント」であって、「日本語ミュージカルが恥ずかしく感じる理由」とは直接的には関係ないかと思います。

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さて、重要なのが【難点3】です。日本語歌唱では「単語の中に音程が生まれて」しまうんですね。
これも日常会話と歌唱言葉の間に大きな溝を作ってしまいます。

特にミュージカルでは、さっきまで普通に話していた人が急に、一文字一文字音を上下させてくるわけで、ものすごい違和感です。
じゃあこれは英語でも同じなんじゃないか、と思われるかもしれませんが、前述の通り、英語では1単語もしくは1音節に1音になるので、日本語ほどの日常会話との落差はありません。

これは例を見ていただいた方がいいですね。
かの有名な「アニー」の、セリフ~『Tomorrow』への移行を比較してみてください。

日本語版よりも英語版の方が、セリフ~歌唱への移行がナチュラルだと思いませんでしょうか。

もしくはこんなのもご覧になってください。日本語版は無いので単独ですが、冒頭、ヒュー・ジャックマンの歌唱は「歌のようなつぶやき」といいましょうか、セリフと歌唱のちょうど間くらいのニュアンスです。
そしてそれがものすごく自然に「歌唱」にフェードインするのがわかると思います。日本語でこれは、できないことも無いでしょうが非常に難しいでしょうね。

「なんで急に歌い出すねん」問題

繰り返しになりますが、なんで日本の、いわゆる西洋っぽい「ミュージカル」はこんなに「違和感」があって「なんか恥ずかしい」ような気がするのかと言いますと、日本語の構造上

日常会話と歌唱言葉が全く異なるため、うまく作らないとその落差が大きな違和感を生む、ということではないかと思います。

その落差によって生まれるのが「なんで急に歌いだすねん」という感情なのではないでしょうか。

まぁ「めちゃくちゃ東洋人の顔で西洋人を演じてるから」とか、そういう違和感もなくはないのかもしれませんが、でも、ライオンキングとかキャッツとかそもそも人間ですらないので見た目の違和感ではないと思うんですよね。もしくはアニメの吹き替えでも同じ。

※もちろん、手足の長い西洋人が歌って踊るサマがかっこいいっていうのはわからなくはない。

とはいえ歌詞を上手に設計すると、この違和感が全然ない場合もあります。この翻訳はめちゃくちゃすごい。話し言葉~歌い言葉への移行に何の違和感もない。

別に日本語でできないことではない。

なんか、「日本語ではミュージカルできない」みたいな話になってしまいそうでしたが、そうではなく!!

ただそのまま西洋からもってきたものは、日本語ってやっぱり全然構造が違うので、違和感なく翻訳・輸入するのはとてもむずかしいな、ということです。

でも例えば、日本には「能」だったり「歌舞伎」だったりがあるわけで、まぁあれは平文の「セリフ」って感じがあまりないのでまた違うとは思うんですが(笑)

なにか日本語でこそできる音楽と演技の交わり方があるのではないかという気はしています。
例えば私が最近ハマっている講談の神田伯山さんなんて、もはや音楽じゃないでしょうか。

ま、今回はなんか「海外のミュージカルは好きなのに日本語ミュージカルに違和感を抱く理由がわかったかも」ということでご報告でした。

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