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彼女の帽子



ネイチャーガイドの仕事をしていた時、同僚のひとりに都会からやってきた女の子がいた。

学生時代から病気に向き合ってきた彼女は、周りのほんのちょっとしたことにも気づく。それが同僚への優しい気遣いとなり、私はずいぶん救われた。

「こんな大自然の中で働けるって、きっと幸せなことですよね。」
一緒に働いた2年間、彼女はいつも言っていた。
 

一方で、大自然の綺麗な空気の中で働いていても、職場の人間関係の
息苦しさや、真っ直ぐな人ほど納得できないことは多々あって、
彼女も相当悩んだようだ。



そんなある日、彼女は帽子を買ってきた。
山で働く私たちにとって、帽子は必要不可欠な物。

それまでは彼女も私も、ぐちゃっとザックの中に押し込んでしまえるような
アウトドアショップならどこにでも売っている帽子をかぶっていたけれど、
彼女が新しく買った帽子は、全然違った。

形がしっかり整っていて、折りたたむには忍びない。
とても良い物なんだろうな、と素人の私でも思うような物。

でも、若い女の子がかぶる帽子にしては色も形も渋くて、
なんとなく「インディー・ジョーンズ」の帽子を彷彿とさせた。

ただ、その帽子をかぶる彼女は、めちゃくちゃかっこよかった。
お化粧をしなくても全然OKなくらい整った顔立ちだから、余計に。
一瞬、外国人の冒険家のように見える。

彼女の帽子は不思議なことに、風で遠くに飛ばされてしまっても、
置き忘れてしまっても、必ず彼女の元に返ってきた。
大体は仲間の同僚がキャッチしていたり、拾ってきたりするのだ。

私なんて、誰もいない森の中で熊が恐くて鈴をリンリン鳴らして歩いている時に、彼女の帽子に出会ったのだから、びっくりした。



彼女は帽子を買った半年後に、退職した。
大学も専門学校もずっと自然環境を勉強してきて、
この仕事への情熱もあっただろうに、彼女はすぱっと辞めてしまった。

彼女は地元に帰って、「都会」と画像検索したら出てくるようなビルの中で働いていたそうだ。

私は、あの帽子の彼女が消滅してしまったように思って、寂しかった。
でも彼女の人生なのだから、そういうものだとも思った。



ある日、彼女から手紙が届いた。
そこには、1年間働いて貯めたお金で車を買ったこと。
その車に荷物を載せて、田舎に引っ越したこと。
また、自然の中で働くこと! が書いてあった。

(山小屋が身近にあるような田舎において、車があるかどうかは死活問題
 であり、学校を卒業したばかりの彼女は当時、車が無い状態で働いて
 いた。)


「あの時、自分にとって高価な帽子を買ったのは、
 この仕事を長く続けていこうと思ったからなんです。
 あの帽子は、自分で決めた誓いというか、決意表明ってやつです。

久しぶりに会った彼女は、恥ずかしそうに言った。



その物を見れば、自分の決意や感情をいつも思い出せるって、いい。
その最たるものは結婚指輪とかだったりするのかもしれないけれど、
彼女の帽子みたいなのも、すごく格好いい。

今の私といったら、きっと人生の岐路に立っていて、心の中が揺らいで仕方ない状態だ。身近な人の訃報を受け取ったりして、周りの状況にも大きく揺さぶられている。

私は不安な時に、よく窓から山を見るけれど、
この場所を離れたら、もうそれって出来ない。

彼女の帽子のような、暗闇を照らす灯火になるような物が欲しい。
皆さんにとって、そういう物ってありますか。




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