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コーチは誰でもなっていい職業じゃない。

こんにちは、まつだです。

今日は、コーチとして私が感じている想いを書き綴ります。

世の中の一部のコーチの在り方について『見て見ぬふりをしたくないことがあるので、その人へ届けという願いを込めて、お伝えしますコーチになりたいと思っている人にも必ず読んで頂きたいです。

本来、コーチ向けの『在り方』にフォーカスした研修会を開く予定でしたが、GOAL-Bの方針としてやらないことを決断したので、個人的にこのnoteに書くことにしました。

これからお伝えすることは、現在のコーチング業界の話だけでなく、今後コーチングが身近になり、あなた自身や周囲の大切な人にも関わることなので、真剣に読んでください。

コーチの方は、この記事を読むことで、自身にとって素晴らしいコーチングを一緒に考えて頂けると嬉しいです。

少し長くなるかもしれませんが、どうかお付き合いください。

一部のコーチへ対する不信感。

コーチングが日本に入ってきて、エグゼクティブやトップアスリートなど、極一部の人にコーチングが提供されてきましたが、現在は『一般の方がコーチングを受ける機会が増えてきている』という素晴らしい流れがあります。

ただ、それと同時に新たなコーチも生まれる中、『コーチという職業を”軽視”している』コーチが存在します。

コーチという職業について、真剣に考えたことが無い状態で、コーチを名乗ってコーチングを提供している現実があることに対して、悲しみと同時に怒りとやるせなさも感じています。

コーチという職業を勘違いするな。

『コーチ=人の人生を進めるヒーロー』だと勘違いしているコーチ。その人はコーチではありません。自分の弱い部分を満たしたいだけの自己満人間です。自分への愛情に飢えた人が、自分を救うためだけにやっている自慰行為です。

コーチは、クライアントが『行きたい目的地に連れていく役割』を担っています。主人公はコーチはではありません。以前どこかで、「クライアントの悩みを俺が解決してやった」という言葉を見たときは、残念でした。

自己満足でコーチングをする人には、まずカウンセリングを受けて欲しい。本来はきっと素敵な人なんだから。自分の弱さから逃げて人を巻き込まないで欲しい。

私が、コーチのBe(在り方)に拘る理由は、コーチングで扱うテーマが『センシティブ』で人生に関わるからです。

コーチングは、楽しいだけじゃない。

SNS等を通じて、『コーチって、やりがいあって楽しそう』と思って、コーチになりたいorなろうとしている人も少なからずいると思います。

まず、コーチングは『クライアントの人生を扱う』ということ。悩み聞いたり、楽しくおしゃべりして、元気出て頑張ろ〜、ってそんな甘いものじゃない。それは友達とすれば良いです。(そのような友人は素敵です)

もちろん、楽しく笑う時間も素晴らしいですが、コーチという存在として、クライアントの弱さに向き合ったり、本当に大切にしている価値観や才能(want to)を見つけたり、大きな挑戦を心から信じ切ることが出来なければコーチングは成り立ちません。

コーチとしての責任がある。

コーチには、クライアント1人では向き合い切れないことに共に向き合い、クライアントが目標へ向かって『自立→自律→自導(自分で自分を導いていく)』が出来る状態へ向うサポートをします。(クライアントと合意が前提)

時には、クライアントが目的地に向かうために、辛いこと、苦しいこと、乗り越えなければならないことを伝えます。コーチがその時、自分が嫌われるのが怖くて伝えるべきことを伝えなければ、クライアントの人生は進みません。

コーチは、クライアントの人生の『責任の輪』に入る必要があります。

クライアントと共に、コーチも責任を持て。

コーチングでは、クライアント自身が変わらなければ、何も変わない。しかし、ここでコーチが責任放棄してはいけない。

『変わるのはクライアント自身』という部分にフォーカスしすぎて、コーチとしての責任から逃げているコーチはダサい。

「あなたの課題はこれじゃない?見つかったね。じゃあ自分で頑張ってね。私は責任取らないから。」コーチ自身が心理的安全を求めて、クライアントに責任を投げることは、ほぼ通り魔です。『クライアントを本気で信じる』ことによって、奇跡が初めて生まれます。

ここまでは、どんなコーチであっても最低限持っていて欲しい。


そして、ここからは『コーチとしてのBe(在り方)』について、事実と私の価値観を交えて書きます。

コーチは『命を差し出す』存在であれ。

コーチとして生きていくのであれば、『命を差し出す』覚悟を持つ。

『命』とは、『あなたが持っているもの全てであり、生命時間』

クライアントが、目的地へ向かうために、コーチの持っている『全リソース』を、クライアントの為に差し出すということ。(コーチに利己や自己防衛はない状態。)

コーチが持っているスキルや、人脈、視座、愛情など、クライアントの人生を進める為に効果的なものがあれば、クライアントに利用してもわらない手はないです。(細かい方法論などアドバイスや、価値観の押付けは良くないですが)

コーチは、クライアントが『行きたい目的地に連れていく役割』です。

「コーチングは、寄り添って、クライアントから自然と湧き出るものを待つのみ!」などの『謎の固定概念』に縛られず、出し惜しみせず全てを差し出した方が、クライアントの為になりませんか。そんなコーチの方が、信頼できませんか。

つまり、コーチ自身のリソースが役に立つということです。(そして、コーチはたくさんのリソースを持っている方が良いと思います)

※コーチの手助けにより、依存関係になることは避ける必要があります。

コーチが自己開示できないことは解決できない。

「全てクライアントの中に答えがある」と信じてコーチングを行っていても、その答えを見つけ出せない状況に陥ることがあります。

『コーチ自身が抱える課題により、クライアントの本質的課題が見えない』『コーチ自身の課題により、歪んだ関わりになる』という現象です。

コーチ自身が、自己解決しておらず、無意識的に自己防衛してしまうテーマを扱った際、クライアントの話を自然な状態で受け入れられなくなります。

急に自分の思い描く解決方法に誘導してしまったり、クライアントの状態を自分の色眼鏡を通してしか見れなかったりして、コーチが本質的な部分に気付けなくなります。(テーマに引きずられて、自分のことを考えている状態)

なので、コーチは普段から『内省』し、自分の欲求や課題に向き合い続ける必要があります。テーマに対して、コーチが動揺しないBe(在り方)で居られると、よりクライアントへ意識を向けることができます。

最後に、コーチとして内省だけでなく、挑戦や自己研鑽が重要だということをお伝えします。

コーチが見えている範囲でしか、コーチングはできない。

コーチ自身の自己開示と似ていますが、コーチの意識レベル、視座が、クライアントよりも高くなければ、コーチングの質は格段に落ちます。

クライアントが見ている景色が分からなければ、話になりません。例えば、TOYOTAの社長がクライアントで、乗り越えたい課題があっても、大学生コーチには『何が本質的な課題』なのか見えないのです。

企業で例えると、上司のアドバイスを無視する新入社員は、『見えている世界が狭くて(視座が低くて)、本質的な内容が理解出来ていない』なども同様です。(視点の違いであれば、お互い新たな気付きが生まれる可能性はあります)

では、コーチは業界や分野に精通している必要があるのかというと、それは必要ではありません。ただし、コーチは、物事を捉える『抽象度』を自由自在に上げ下げできて、本質的なものを見る力を養う必要があります。そして、広い知識や共通点を見つける能力が必要です。

この能力によって、コーチは、表面的な内容に惑わされずに、クライアントの核(コア)に気付き、本質的変化を引き起こしやすくなります。

だから、コーチは勉強し、挑戦し、体験を続けることが重要です。

コーチは誰でもなっていい職業じゃない。

コーチという職業は、クライアントの人生を扱います。大切なものを扱う覚悟と責任を持てない人は、生半可な気持ちでコーチを名乗らないで欲しい。

『コーチング被害者』という言葉が生まれているのも、非常に悲しいですが、コーチのエゴが原因でしょう。

だからこそ、今コーチとして活動されている皆さん、これからコーチとして活動される皆さんと共に、自身のコーチとしてのBe(在り方)に向き合い、素晴らしいコーチングが世に広がることを願っています。

私自身も、コーチとして、人として、『Be(在り方)』を高め続け、クライアントやその周りの方、そして世界中の人々が『自分の人生を生きる』という状態をつくっていきます。


最後までご覧いただき、心より感謝しています。

まつだまさゆき




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