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聞きたくない人の意見まで聞かないといけないSNS

悪口は陰で言うのが基本だったはず

昔って、好きな人や話す必要がある人とは話すけど、そのどちらでもない人の意見を聞くことってほとんど必要ありませんでした。嫌なことや余計なことを言われたら、もうその人とは遊ばなかったり無視していれば済むことでした。そして人様の事にあーだーこーだ表立って口出しする人も、今より少なかった気がします。そういうことするのはおばちさんとかだけで、オバタリアンなんて言葉も流行った。そうでない人々は、簡単に言えばみんなもっと品があったように思います。

でもそういう風に、自分の好き嫌いだけで人間関係を作っていく裏側で、切り捨てられた人たちが「え、なんで?納得いかない。」となっていたことも事実です。「この人とは友達になれない」と感じた理由を相手にしられることは、まずありません。

芸能人は雲の上の存在で、一目見れたらラッキー。直接批判するなんてもってのほか、というかそもそもその人に到達する手段がファンレター以外全くありませんでした。

でも、インターネットの世界は、そんな納得のいかない人たちに発言権と影響力を与える場所として広がり続けています。何でも言えちゃうって実は怖いですよね。ではなぜ自制心がなぜ作動しないのでしょうか?

インターネット上では関係ない人と関係してしまう

もし、実社会において全然関係ない人が人様の恋愛事情や不倫事情に口出ししたとしたら、「は?関係ないじゃん」で終わりです。でもインターネットという空間で繋がってしまうと、不思議なことに関係ない人との関係ができてしまう。

実社会においては、自分が全く関係のないことを、みんなの前で、相手の気持ちを顧みずにぶちまければ、以下のような非常に具体的な罰が下されます。

●もうその相手から永遠に好かれることはない
●相手と同じコミュニティに属していれば、その中にいる他の人からも警戒される
●常識や自尊心がない人として扱われる
●殴られる

でもインターネットでは、罰が限りなく軽い。多くの場合匿名であり、タイマンのような直接対決もありません。そして誰もが対等であるという強力な共通認識があります。いったんその世界に入れば、政治家も一般人もおばあさんも関係ありません。

インターネットにさえ接続できれば、弱者にも発言する場が平等に与えられる

一方で、インターネットにはメリットもたくさんあります。少数派や社会的弱者の意見も、何かの拍子に多くの人の知るところとなります。シリアの内戦下で生きる幼い姉妹が発信したツイッターが世界中で大々的に取り上げられたのも、インターネットの功績だと言えます。

それから、インターネットの世界では、何かにチャレンジするコストが実社会と比べ圧倒的に低いので、前々からやってみたかったけどハードルが高かったことなどが簡単にできたりもします。

たとえば留学。今ではアメリカの大学の学位を日本にいながら習得することが可能です。

いけ好かない奴の精神をズタボロにするウェポン

インターネットは比較的新しいコミュニケーションツールですから、その広がり方にと比較してルール整備が十分に行われていない感があります。むしろ、その自由さをできるだけ守ろうとしている感じもある。

「有名税」などという言葉がありますよね。有名な人はその分メリットを享受しているのだから、プライバシーを侵害されても仕方がない、という考えに基づいた言葉です。

インターネットは「有名税」の税率を限りなく高めます。有名人には誰が何言ってもいいという意味不明な解釈がなされ、「いけ好かない」というだけの理由で、その人の精神をズタボロにしようとします。しかも何人もが寄ってたかって。家族の生命を脅かすような発言をする人もいます。

これが実社会で行われたら立派ないじめ、名誉棄損、脅迫、他にももっと重い罪に問われる人も出てくるでしょう。

キラキラして見えて同じ人間。くそみたいな日もある

インターネットの不思議なところは、これだけ憎悪が渦巻きやすい環境でありながら、同時に美しい側面だけを見せなければならない人々がいるということです。芸能人やモデル、スポーツ選手などが該当します。一般人であっても、もすごいフォロアー数を持つ方などもそうですね。

彼らの美しい側面だけを見て、嫉妬や違和感から憎しみを募らせる。あるいは、朝食の品数が少ないだのなんだの言って「重箱の隅つつき攻撃」をする。でもキラキラしている彼らだって、くそみたいな日があるにきまっているじゃないか。嫉妬するまでもない、同じような事を考えている同じ人間なのですから放っておけばよいのです。

有名人である彼らは、仕事の一部として金を稼ぐため、あるいは慈善活動のような意味合いで、生活の一部や考え方を発信することで、誰かを勇気づけたり、行動する後押しになったりすることを望んでいるだけかもしれない。全員の共感を欲しいわけでもないはずなのです。

出る杭が引っこ抜かれる社会は単純に嫌だ

意見が合わない時や理解できないことに対して放っておく能力。それがインターネット上では限りなく弱められてしまいます。出る杭は、打たれるどころか引っこ抜かれてポイされます。

なにかを表現する人、特にアーティストって、人とは違う価値観による自分なりのフィルタを通して、普遍的な事柄やみんなが共通して抱えている問題何らかの形に翻訳して生み出します。違和感がなく、ありふれていて、誰の心にも引っかからないものであれば、アートとして認識されることすらないかもしれません。

だからそもそもアートなどの表現は、自分にないものを持った人々によって生み出されるもの。それにとりあえず〇をつけ、吟味していくというスタンスで臨まなければ表現の意図を理解することは永遠にありません。○が付けられないなら、とりあえず放っておけばいい。

白か黒だけじゃない、その間に無数の色が広がっているのだと、ミスチルも教えてくれているのですから。

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