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15 「賦」のススメ

「春は名のみの 風の寒さや」とは唱歌「早春賦」の一節だが、これを聴くと残雪のルクシ峠から遠望するサロマ湖を思う。「賦」とは中国の詩型のひとつで、特に国ぼめの詩に用いられる。手法として、国の風景や物を網羅しつつその奥に叙情を匂わせる。「早春賦」とは「早春の賦」であり、故郷なりの早春の風景を網羅しつつ寿ぐ詩といった意味である。
 
私はこの手の「賦」的要素を持つ曲が好きで、同種の曲には、さとう宗幸の「青葉城恋唄」、五木ひろしの「千曲川」、ダ・カーポがカバーした「宗谷岬」、洋楽ではルイ・アームストロングの「What A Wonderful World(この素晴らしき世界)」などがある。どれも聴いた後に心が浄化されるような清涼感が残る。

25年前の阪神淡路大震災の後、「震災離婚」という言葉が生まれた。大災害は容赦無く人々に自身の来し方を見つめ直させた。私の知人も震災後に離婚し、神戸から島へ引き上げて来た。彼は故郷の島で古民家を改装して宿を始めた。島外から観光客を迎え、心尽くしのもてなしをした。閑散期には海に潜って魚を突く。10年前に初めて彼に出会った頃、仕事に追われていた私はその生き様を羨ましいと思った。神戸から島へ戻って来た彼は、震災を受けて自分の中のもっとも大切にしたいものに思い至ったのではないだろうか。残念ながら彼は2年前に逝去して確かめる術は無いが。

現在、コロナ禍という震災とは違った緩やかな大災害の只中で、生き方を問い直さざるを得ない状況が続いている。「本当の幸せって何?」との問いを突きつけられている。これまで必要だと思い込んでいたものが、実は無くても良かったのだと気づく。ステータスだと思っていたものが、とても空疎なものに見えている。
今この時、足下から「本当に必要なもの」「本当に大切にしたいもの」のみで、幸せを組み上げる作業が出来る時だと思っている。その契機となるのが「賦」だ。国ぼめ、それは足下の山河、故郷の恵みを感謝の想いで謳(うた)い上げると言うことだ。
 
先日帰省した故郷は、暑すぎるくらいの陽光に包まれて光り輝いていた。道の駅「サロマ湖」には豊かな海の幸、畑の幸が並んでいた。私が暮らしていた頃には無かった「サロマ和牛」という言葉が生まれていた。開拓から今に至る先人の苦労抜きに語ることは出来ないが、ともあれサロマは恵まれていると思った。そしてサロマ和牛は美味しかった。
足下に希望あり、である。今、足下の恵みを讃える事から再生の道を切り拓きたい。私たちは誇り高き開拓者の子孫なのだ。

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