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第15章:「平等」の本質をとらえることの価値

みなさんは「平等」という言葉をどのように理解されていますでしょうか。

わたしは修士課程で法学を研究していたこともあり、「権利」「自由」と同じくらいこの「平等」について考ええる機会がたくさんありました。

日常的に使われる場合の平等と、法学的に使われる平等は多少ニュアンスのズレがあるかなというのがわたしの印象です。

そこで、今回は、この「平等」という概念について、歴史や近代・現代の事例を挙げていきながら少し考えていきたいと思います。

「法の下の平等」とは?

日本国憲法第14条には以下のような規定があります。

すべて国民は、法の下に平等であって、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない。

この中で使われている「法の下に平等」という表現ですが、法学的な議論では2つの捉え方に分かれます。

1. 形式的平等
・・・法的に均等に扱って、自由な活動の機会を保障
2. 実質的平等
・・・弱者を厚く保護し、みなが同等の自由である状態を保障

よく「格差の是正」という声を聞きますが、これは国家が保障することを憲法で約束した「法の下に平等」という状態を、実質的平等の立場に立って施策を実行することを求める意見だと考えます。

資本主義の構造上、必ず「所得格差」が生まれる仕組みとなっていて、その格差は今後より開きが大きくなるという経済学者らの研究が多く見受けられます。

平等概念の歴史

歴史を遡ると、「平等」という概念自体は近代の西洋思想である「社会契約論」に遡ります。

「社会契約」とは、神から与えられた「自然権(ius naturale)」を持つわれわれ人民が、その「自由」と「権利」を「平等に」公使し得るために、政府(国家)にその保障を信託する「契約」を交わしているのであるという思想です。

この思想を契機として、近代法が明文化されるに至り、各国でその国々の「憲法」が制定される流れができます。

したがって、憲法とは、簡単に言ってしまうと、国民から選挙という選抜方法によって選ばれて、その国民の自由・権利・平等を保障することを約束した契約書ということになります。

つまり、近代法から脈々と受け継がれてきた憲法によって、現代においても、国家は、われわれ国民の自由と権利と平等を積極的に保障することが義務としてあるということになります。

ちなみに、日本国憲法は戦後一度も改正されたことはありませんが、ドイツは戦後60回以上というように国によっては何度も改正されています。

「天は人の上に人を作らず」とは?

福沢諭吉の著書『学問のすゝめ』の冒頭はこのように始まります。

「天は人の上に人をつくらず人の下に人をつくらず」

このフレーズはみなさんもどこかで聞いたことのある言葉だと思いますが、一般的に「世の中って平等だよね」という意味として誤解されることが多いフレーズでもあります。

実は、このフレーズには続きがあります。

「天は人の上に人を造らず人の下に人を造らずといへり。」
      ~中略~
「されども今廣く此人間世界を見渡すにかしこき人ありおろかなる人あり貧しきもあり冨めるもあり貴人もあり下人もありて其有様雲と坭との相違あるに似たるは何ぞや。」

簡単に現代語訳すると、以下のようにまとめられる。

なんか、西洋では、「神様は人間を平等の存在として造って、上も下もない」とか言うけど、実際の世の中見てみて!
賢い人もいればそうじゃない人もいるし、貧乏な人もいればお金持ちもいるし、貴族階級もあり庶民もいるじゃん!
この格差はなんで生まれていると思う? by 福沢諭吉

ご覧の通り、近代憲法で保障されていたはずの「平等」は存在していないという主張が福沢諭吉の本質的な考えになります。

では、福沢諭吉はその「不平等」を是正するためには何が必要だと説いたかというと、それが「学び」です。

されば賢人と愚人との別は学ぶと学ばざるとによりてできるものなり。

ここでいう「学ぶ」という言葉は、決して受験勉強であったり、役に立たない教育カリキュラムに専念しなさいという意味ではなく、福沢諭吉は「実学」を学ぶことを強く勧めています。

この「実学」の学びを勧めていることから、本書のタイトルの『学問のすゝめ』に繋がります。

では、実学とはどういう学問を指すのでしょうか。
福沢諭吉は、実用的な学びのことを「実学」と呼び「文字の書き方」「文章の書き方」「簿記」「そろばんの打ち方」「測りの使い方」などを挙げられています。

では、なぜ実学が必要かというと、「国家からの権利・自由・平等を守るため」としています。

われわれが学ぶことを通して、政府が国民の権利の保証をしないといった暴走しないようにウォッチできるスキルを身につけるべきだということもそうですが、根幹は以下のようにまとめられると考えます。

国家というものは国民の集合体であるから、その国民一人一人が力をつけていけば国家の力も大きくなる。
その力をつけるために、実学を学ぶことが大事なんだ。
その結果として、われわれ国民は自ら自由で平等な権利を獲得していくことができるんだ。

という結論だと、わたしは読み取りました。

まとめ

現代を見渡すと、貧困に苦しんでいる人の割合は世界的にみて減少傾向にあるというデータがあるが、一方で経済的な格差というものは徐々に拡大している。

上述で見てきた通り、福沢諭吉風に言うと、この経済的な格差というものは「学び」という「努力」で埋めていくことが可能であると言えます。

しかしながら、世の中には社会的格差というものも存在しているのも実情です。

五体不満足であったり、学習障害などといった身体的や能力的なハンディキャップを持った方も実在するこの社会においては、努力でカバーできる範囲が限られているため、国家としては、そういった格差の是正については積極的に介入して保障する必要があると考えます。

平等の実現というものは、社会全体として「実質的平等」を実現する方向で動いていく必要があるのに加えて、個人の努力で埋められる格差については「学び」という努力を通じて、自己成長を続けていくことで成し得ることだと考えます。

国にしかできない平等は国に要求する。
自分でできる平等の実現は自分で努力する。

この2つの軸で取り組むことによって、社会全体の実質的平等が現実的な形で実現される世の中になっていくのではないかとわたしは考えます。

したがって、わたしの結論としては、

現状に不平等を感じていて、もしそれを埋めたいのであれば、まずは日常で役に立つ「学び」を日々心がけて積み上げていきましょう!

ということで締めくくりたいと思います。


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