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20240503 神戸だんじりの歴史と神戸製鋼所

 5月3日~5日にかけて神戸の東灘区や灘区でだんじりが行われますね。


写真は2022年秋の区制70周年のときのものです

私は一応その周辺で生まれたのですが幼いうちに引っ越したのでだんじりの記憶はありません。
 でも,両親はそこで暮らしていたわけなので,もしかしたら参加したのかなあ?と思って以前聞いたのですが,参加したこともなく存在自体をほぼ知らなかったようです。
 そこで神戸のだんじりの歴史を調べてみると神戸市東灘区の公式ページでまとめられていましたので該当部分を引用させていただきます。

1892(明治25)年:保久良神社(三条・津知・北畑・田辺・小路・中野)のだんじり町曳きが始まる。
1920年代(昭和初期):昭和天皇ご大典を契機にだんじり購入・新調ブームが起きる。
第2次大戦中:戦争により、約3年間中断。
1965(昭和40)年~:交通規制、だんじりの担い手の若者の減少により、各地区で町曳き中断。
1975(昭和50)年~:各地区だんじり復活ブーム。
1980(昭和55)年:35年ぶりに住吉村7地区のだんじりが本住吉神社に勢揃い。
1987(昭和62)年:5月4日山手幹線の開通を機に、『本山だんじりパレード』始まる。
1990(平成2)年:11月12日 平成天皇即位奉祝東灘だんじりパレード開催。
1993(平成5)年:6月9日区制40年慶祝東灘だんじりパレード開催。28台が参加。
1995(平成7)年:1月17日阪神淡路大震災発生。東灘区では約1400人の死者が出た。神社、だんじりも大きな被害を受け各地区のだんじりまつりは中止。
5月4日JR摂津本山駅前でだんじり囃しがおこなわれたのみ。
1996(平成8)年:5月3日~19日にかけて、震災復興の旗を掲げ28台のだんじりが曳き出された。
1998(平成10)年:東灘だんじり会結成。
2000(平成12)年:4月29日 区制50周年、震災復興記念奉祝パレード開催。29台が参加。
2010(平成22)年:10月10日 区制60周年奉祝パレード開催。31台が参加。
2014(平成26)年:3月29日 震災20周年パレード開催。
2019(令和元)年:5月1日 令和奉祝だんしりパレード開催。東灘、灘、芦屋、西宮、宝塚のだんじり45台が摂津本山駅北側の山手幹線に集結。
2022(令和4)年:10月9日 区制70周年記念だんじり巡行開催。32台が参加。

 これをみると,1965年くらいに一度中断し,10年後の1975年くらいから復活し出したけれど本格的に復活したのは1980年くらいからになるのだなあと。
 おそらく親はだんじりの中断期に住み始めて,少し復活したころに東灘を去ったことになるので「だんじりに触れていない」のは事実なのだなあと。
 ある意味たった十数年の中断の時期に住むと,その祭に対するイメージがなくなるというのは,なんというか祭と人も一期一会だなあと。
 あと,先日より興味を持ちだした「神戸の企業と祭との関係」ですが,東灘だんじり会のHPを確認したところ,協賛企業についての記載はありませんでした。
 https://www.uhara-danjiri.jp/

  で,東灘や灘区にある一番大きな企業であろう神戸製鋼所となんか関係があるかを探るために「神戸製鋼 だんじり」で検索してみると…神戸新聞の以下の記事位しかみあたりませんでした。
 
【書誌情報】
神戸新聞社 2019 神戸わが町レポート 【東灘区】ふれあいの場・夏祭り.

山田地区の会長さんに歴史を伺ったところ「昔は山田区と空区、神戸製鋼寮と合同で住吉中学にて夏祭りを行っていました。神鋼寮がなくなり22年間途切れていましたが、山田公園で山田地区の若仲中心に復活。近年は観音林地区と一緒に開催しています」

 「空区」って素敵な名前だなとおもいましたが,神戸製鋼とだんじりの関係は見当らず,八月後半にある夏祭で神戸製鋼の寮との合同での夏祭りがあったが神鋼寮がなくなってからは夏祭り自体も22年間途切れていたようです。
 おそらくですが神戸製鋼所の向上は灘区にあってもその従業員は工場の周辺に住めずにもっと離れたところに住んでいただろうから,神戸製鋼所と灘区の住民のつながりもあまりなく,そのため祭との関係もさほどなかったのかなあと。
 このあたりの関係を学問的に検討する方法を専門が心理だからわからないのが残念…。


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