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20230507 またしてもやられてました

 先々日から2回「博多松囃子から現在のどんたくへの通りもんを含めた変遷の解明」について書いておりました。歴史関係に知識のない私なので、なんだかんだで1回に1.5時間くらいかけて頑張ってまとめていて「GWに研究何もできなかったけどこれは頑張れたじゃん」と思っておりました。
 そしてGW最終日の今日、本当は出勤する予定でしたがあまりに一日雨が全然やまないので自宅で過ごすしかないなか「少しでもものを書く時間を!」と思い「松囃子と通りもんにどのように一般の市民が参加していって今のような“市民の祭”としてのどんたくになってきたのか?」ということを調べてみようと思いました。

 しかし自宅なので文献がなく、「確か平山昇先生が松囃子やどんたくについてまとめた論文があったはず…」と思って検索して目を通すと…かんちゃんずっぽしではなく、自分の完全上位互換のイケメンに好きな人をかっさらわれたような、「自分の知りたかったことが非常に詳細かつ論理的にまとめれられている論文」を発見してしまいました。
 まあ、この手の「車輪の再発明」というよりかは「車輪を作ろうとしたらF1のタイヤがでてきた」みたいな体験は何回も繰り返しているので今更嘆きもせず「自分で調べたことで知識が血肉化できた」と思いはしますが、平山先生が松囃子について論文書かれていた記憶はあったのだからまずそれを確認する作業を怠らなければ…という後悔はやはりあるなあと。確か記憶ではこの論文以外に鉄道やらの発展などとからめて査読論文もあって、それがボリュームあって読むのをためらっていたのですが、この論文もあったとは意識してませんでした。

平山 昇 2019 都市祭礼の近代史―博多松囃子を事例に―. 比較日本学教育研究部門研究年報, 15, 48 – 68.

 GWの時間を費やしてしまった傷心でもう論文の内容をまとめたりする気力はゼロなので興味のある方は論文自体を読んでほしいと思います。

 まあでも、「どんたく」の方が優勢となった理由としては、商工業者からの商工業的な目的のみでの参加要請を三福神や稚児が断ったことなどより、商工業者がコントロールしやすい「どんたく」を重視したことなどがあったようです。
 そして、昭和3年以降に全国各地で行われた博覧会に呼ばれたときに、三福神が出たこともあったけどそれらを抜かした「ドンタク団」が出ていくことが多く、その窓口は市の観光系の部署などであったことより「官民をあげての実施」と論文に書かれていますが、どちらかというと「官がコントロールしやすいもの」として「どんたく」が重宝されその結果「どんたくの前面化」が起きていったのだろうなあと。どうせなら現代のどんたくまでの変化を平山先生にまとめていただきたかったのですが残念ながら戦前までの記載で終わられていました。
 このあたり、現在までの変遷には「松囃子振興会」「商工会」「市の観光関連の部署」でのかなりの喧喧囂囂があり、おそらくそれは「福岡市民の祭り振興会」の公式HPからはよみとれないものが多いのだろうと思います。正直あまり「論文」にはしにくくドキュメンタリーとかある意味「小説」で書いた方がよい様相を示していたのだと思いますが、どなたかがまとめたものがあれば読みたいなあと。

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