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20240218 蘇民祭の終了の理由を考える

 Yahoo!ニュースをみて岩手の黒石寺の蘇民祭が千年の歴史に幕を閉じることを知りました。「日本三大奇祭」に数えられる知名度が高い祭が終わると聞いて最初は「何故?」と思っていろいろニュース記事を読んでみましたが、これは結構複雑というか一筋縄ではいかない理由があるのかなと思いました。
 記事でわかる理由としては「担い手不足」が挙げられ、テレ朝newsの記事によると「地域の人口が885人でその半数が65歳の高齢者であるとされます。

 また、どこかは忘れましたが他のニュース記事で「祭の準備などには特定の家系の人しか携われず、その家系の存続が困難であるから祭の終了を決めた」ような理由も紹介されていました。
 まあでも動画を見る限りは参加者も見学者もかなりの数があり盛況そうでした。

 nhkの記事によると、「参加する地元と一般募集を合わせた祈願者は、例年の2倍以上のおよそ270人になりました。」とあるので、参加者はこれまで130名くらいだったのかと思います。また、観客などで3000人程度くると他の記事で読みました。
 これだけの人数がいる祭なのになぜ存続できないのだろう?と疑問に思いましたが、おそらく「これだけの人数が集まってしまうから存続できない」のではないかと思うようになりました。

 蘇民祭について調べてみると岩手県には黒石寺以外にも蘇民祭があって、長徳寺では今年も開催されおそらくこれからも開催されるようです。

https://iwatetabi.jp/event/detail/03209/710.html

 で、気になって黒石寺と長徳寺のある場所を地図で確認してみました。

 この2つを見ると、どちらも市街地からの距離や民家の数などであまり変わらないように思えます。
 
 そうなると、黒石寺は祭の廃止を決め、長徳寺では継続できる違いがどこにあるかを考えると「黒石寺の蘇民祭は有名になりすぎたために祭の規模が大きくなりすぎ、小さな集落の担い手では対応しきれなくなった。」のではないかと思います。髭が豊かな人の映ったポスターの掲示をJRが拒否した件は全国的なニュースとなり、結構な期間話題に上っていた記憶があり、黒石寺の蘇民祭は有名でおそらく全国から参加者や見学者が集まる祭になっているのだと思います。しかし、長徳寺に関していえば、私のように「蘇民祭が他であるとは知らなかった」人も多いと思うので、参加者も見学者も地元の人が多いのではと思います。

 どちらの地域も駅などから遠く公共交通機関もあまりなさそうな中、夜から翌朝までの長い時間の祭を行うとなると、駐車場や参加者をもてなす場所や見学者の食事の用意やらでかなりの人手以外の「収容施設」が必要になると思います。
 しかし黒石寺の近くには学校も公民館もその他祭に使えそうな施設はみあたらず、年に1度しかない祭のために施設を作ることはできません。そのためこれまで黒石寺の周辺では地域の方々が総出でいろいろな工夫をして施設をつくらずに対応をしていたけれど、過疎化と高齢化でそのような対応が困難になり、中止を決められたのではないかと。

 そういう意味では、「地域の設備と人口と開催できる祭の規模」というのはかなり密接な関係があり、そのバランスが取れないと存続が難しいのではと思いました。

 蘇民祭についてはネットですぐにみられるPDFは存在しませんが研究自体は多く存在しているようなのでまたみてみたいと思いました。
【書誌情報】
末武保政 1976 黒石寺蘇民祭. 文化総合出版


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