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20240516 さだまさしからタモリへ 「人買い」考

 最近ひょんなことより,タモリさんがさだまさしのことを嫌っていていろいろと馬鹿にした発言をしていたことを知り,そんな関係性だったのかとびっくりしました。
 私がタモリさんを最初に知ったのはおそらくダウンタウンがいいともに出るようになって,それで増刊号を頻繁にみるようになってからだと思うので,もうそのころのタモリさんは好々爺的なイメージの人だったような気がします。そういえば,「ミュージカルが嫌い」というのはテレフォンショッキングで何回か言及しているのを見ていた記憶もあるし,「名古屋ディス」をしていたことは耳にしておりましたが,それが結構激しいもので,しかもさだまさしや小田和正にも激しく馬鹿にしていたことを知ったのはつい最近でした。
 今,『タモリ2』のさるまたしによる「鰯雲」を聴いてみましたがこれはもう明確に批判しておりますね~「似通った歌詞」「重箱の隅をつつくような細かな神経,それも細かくみえるだけ」「文学少女的な男性のめめしさ」「将来は…私にはわからない」

 「鰯雲」は21分くらいからですね。ここまで明確に馬鹿にしているのですから歌詞や曲などももっと工夫して本人に似せてほしいと思ったのですが,アレンジは似ているけど歌詞も曲も似ていないというか他のフォーク歌手っぽいよなあと。
 
 この手の相手に許可をもらっていないであろうぶち込み芸としては木多康昭先生の『幕張』を思い出しますが,あれもジャンプでよくできたなと思いますがそれよりもっと有名であろうタモリさんがさだまさしとすぐわかるようにしてこんなの販売できたのはすごいなあと。時代だったのでしょうか?
 私がさだまさしで最初に買ったアルバムは『夢回帰線』で,そこから過去をたどっていったのでさだまさしが若い女性に「カッコいい」と受けていた時代のイメージがわきませんが,確かに少女漫画で「さださま♡」ってかかれたものを読んだ記憶はあるなあと。
 で,これまでさだまさしが自分が受けたバッシングについて,『関白宣言』での女性蔑視,『防人の歌』での右翼などについて語ったことは記憶にありましたが,タモリさんについて語った記憶はないよなあと。歯ぐきについて自虐的に語っていた記憶はあるけど,それもタモリさんから「歯槽膿漏みたいな歯ぐき」って言われたからというのも全然知りませんでした。
 
 で,ここからが本題なのですが,これだけ大々的に喧嘩を売られたら,確実にさだまさしの耳には入っていたのは確実で,なんかさだまさし側から明確な反論をしたのかなあと。
 んでもおそらくですが許可も無くこんなぶち込みされてしまうとどうにも反論できないのもまた確かだと思うので,おそらく明確は反論などはされなかったのではと思います。
 まあでもある意味さだまさしの場合はこういう状況に陥ったら明確に口で反論することは無く,けれども歌で反意を示すのではないかと思い,タモリさんからなされたこのぶち込みに対して何か歌にしていないかを探してみたいなと思いました。
 
 で,数日前のことですね。太陽フレアの影響で北海道どころか兵庫の日本海側でもオーロラがみえたというニュースをきいて私が思い出したのがさだまさしの「極光」(『夢の轍』収録)。で,その曲を聴いてあとの曲を聴いてふと思いました。
 
「人買い」と「前夜(桃花鳥)」がタモリさんへのアンサーソングではないか。
 
 今Youtubeをみると「前夜(桃花鳥)」はイランイラク戦争の時に作ったんですよと本人が久米宏に話していたのですがその際,「イライラしてたんでしょうね」とオヤジギャグをいっておりましたが,その言葉は戦争へのイライラではなくその当時の自分を取り巻く状況へのイライラについてもあるのではと思ったりします。

 前夜に関しては基本的には,「防人の歌」で右翼と批判されてそれで馬鹿にされたことに対して,「いやでも日本って国なくなってもいいの?」という基本的な問いを歌い上げているのでまあこれはごくごく普通の反応であり,この歌で歌われたテーマはその後さだまさしの主要なテーマとしていろんな曲で歌い続けられていると思います。
 

 でも,私が一番アンサーソングなのではと思うのは「人買い」です。都会にでて都会風に変わってしまった人を悲しむ歌は「風の篝火」や「安曇野」「ジャカランダの丘」とかいっぱいある気がしますが,そこで描かれる都会で変わったしまった女性はみな強く,あまり都会で変わったことを後悔してるようには見えません。
 しかし「人買い」では,「泣いて逃げるな!」と叫ばれていて,それはすなわち都会で変わった人が泣いているという状況で結構これまでの歌とは違う感じです。あと,曲調も「さだロック」とか「ドラマティックマイナー」に該当するのでしょうがなんかちょっと毛色が違う気がするのですよね。

https://www.uta-net.com/song/96579/

 そんな感じでこの少し特異に思えるこの歌を解釈してみると
 
鏡の向こうから話しかけられる:テレビに映っている人たち
そうか 君までがそうなのか:財津和夫
 
 ある意味,「泣く」を「お笑い」として歌詩を読むと「同じ九州から音楽を好きで東京に出て来たのに笑いになったらいいってことで魂を売り渡してしまったタモリさんや財津和夫を嘆きつつも自分は見捨てず待っているぞ」という歌に思えてくるのですよね。いやむしろ,そんな感じで人を馬鹿にして笑いを取る行為が泣いているように見えていたのではないかとも。
 
 まあ,無理やりなこじつけをしたので実際には全然違うのでしょうが,『夢の轍』の販売が1982年でそのころもさだまさしバッシングは続いていたようなので,何かしらの反旗はこの歌にもこめられているだろうなあとは。
 
ちなみに財津和夫がさだまさしを批判したものとして以下の本があるようです。って,こんな批判ばかりされて折れなかったさだまさしはやはりすごいなあと再感心。
 
【書誌情報】
財津和夫 1981 ぼくの法螺. 集英社.

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