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20230118 裸になりたい男たち 

 最近自分がつけるタイトルが論文から少し離れた「つり」になってしまっているのを反省しておりますが,今日目にした論文が「国府宮はだか祭」の参加者についてのものだったので,まあ外れてはいないということでお許しください。

 藤井絵理・磯野 巧 2020 愛知県稲沢市における「国府宮はだか祭」の存続形態. 三重大学教育学部研究紀要 自然科学・人文科学・社会科学・教育科学・教育実践, 71, 87 – 105.

 私は愛知県に7年住んでいて,国府宮のはだか祭の存在は知っていましたが,福岡に来る前で博多祇園山笠による「祭好き化」はなされていない頃だったので見に行ったことはありませんでした。まあでもニュースなどでその様子が流れるのは目にしていて,触れると厄を払えるとのことでもみ合いにされる儺負人(神男:「しんおとこ」とも呼ばれる)が無茶苦茶大変そうな様子をみて「大丈夫か?」と心配することが多かった記憶が強いです。
 
 で,論文を眺めてみてまずびっくりしたのが「裸男(参加者)の数。」これを読まれている方は何人くらいが裸男として参加されると思っていますか?まず想像してから以下を読んでください。

写真は本文とは関係のない岡崎で撮影した雪の中の名鉄(おそらく特急)2008年ころ

 神社に訪れる裸男及び参拝者の推移を見ると,参拝者の数は増減が激しく,天候などに左右されているのに対して,裸男は毎年8,000人から10,000人ほどが訪れていることがわかる(図13)

 私は500人くらいかな~と勝手に思っていたのですがなんと1万程度!
 
https://www.konomiya.or.jp/cms2019/wp-content/uploads/2023/01/01142023.pdf

 上にpdfへのリンクを挙げた国府宮による公式の「見学・参加心得」を読む限り,特別に事前の登録などなく,また何らかの集団に属することなく当日参加が可能だと思います。
 そうした状況で1万もの人数が統制がとれるというのはすごいなあとびっくりしました。それと,裸祭というこは「着ていた服や貴重品をどこかに預ける必要」があると思うのですが1万人分の荷物などはどこで管理できるのだろうとか思うとこの祭のすごさが改めて実感できました。

 論文では参加者の居住地や年齢や参加の理由や存続への意識などが図や表をいっぱい使って非常に分かりやすくまとめられているので,「論文だから難しそう」などと思わずに論文自体を読んでもらうと面白いと思います。
 
 まあでも,「つり」でつけたタイトルですが,タイトルそのままの考察も書かれてありましたのでそこを引用させていただきます。

 本節では,国府宮はだか祭がなぜ現在まで存続されてきたのか,その要因について考察する。まず,国府宮はだか祭は,一年に一度だけ下帯姿で人々の中を歩く非日常的な経験ができる祭である。また,参加者は決まっているわけではなく,男性の希望者であれば誰でも参加することができる。さらに伝統のある神事であり一年の厄を払うことができる行事という認識をもたれつつ,人が多く集まるために知人友人の他にも様々な人と楽しめるイベントのようにも思われている。このような国府宮はだか祭の特殊さから,毎年裸男として参加する人々が集まるのではないかと考えられる。 

 私は体が醜いので裸になりたいという気持ちはまったくないのですが,「一年に一度だけ下帯姿で人々の中を歩く非日常的な経験ができる祭である。」と書かれていることでそういう行為が「ハレ」になる人も多いのだろうなあと思います。
 
 最後に,全然関係のないことですが,博多祇園山笠で身につけているのは「締め込み」であり,ふんどしと言われるのを嫌がるというのを聞いた記憶がありますが,国府宮はだか祭では公式が「ふんどし」と書いていますね。このあたり,下帯の名称に関するこだわりなどがなぜ起きるのか等も調べてみたいなあなどとも。

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