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知り合いの結婚披露宴のように生きたい

私は知り合いの結婚披露宴が好きだ。自分はやっていないし、やりたいとも思わなかったけれど。

しばらくコロナで自粛モードだったけれど、そろそろ復活しそうなので楽しみにしている。最近結婚した部下も入籍だけして式を挙げないということで披露宴自体が少なくなっているけれど、ぜひみんなやって、招待してほしいと私は思う。

私が結婚披露宴が好きな理由は、その時だけは主役の二人が「私は今とても幸せです」と100%保留なく表現でき、幸せな二人を見るだけで自分も幸せな気持ちになれるからだ。幸せそうな人を見ているととても幸せな気持ちになる。結婚披露宴は私の知る限りこれ以上ない幸せオーラを浴びられる機会で、ちょっと他では味わえないくらいに幸せな気分になる。

普段の生活で100%幸せそうな人がいたらちょっとおかしい人に見えるだろう。さかなクンはいつも幸せそうだけれど、そんな風にいつも幸せそうな人は自分の周りにはいない。

人は普段、自分が幸せだということをあまり表面に出さないようにして生きている。実際問題として幸せの感情100%と言うのは日常生活ではほとんどなく、ネガティブな感情とポジティブな感情が入り混じった状態が一般的なのだろう。日常的に幸せそうにしていると、周りに嫉妬されるかもしれないという心理も働いているのかもしれない。

日常生活でも幸せそうな人を見ていると幸せな気持ちになれるはずで、そういう意味では自分が幸せそうに日常生活を送るだけで、周りの人たちを幸せな気持ちにできるのだろうと思うけれど、自分ができるかと思うとなかなか難しい。私は幸せオーラを発散できるほど感情を表に出す人間じゃないので、せいぜいいつも機嫌よく生きて、まわりを嫌な気分にさせないようにしたいなと思う。

私は主観的にみて、かなり幸せな人生を送っていると自分を評価している。仕事も順調だし、妻も楽しそうに暮らしているし、がんも再発しなそうだし、生きていて嫌なことがほとんどない(たぶんとても鈍感なのだ)。生きていてつらい思いをしている人がたくさんいるのに、こんなに悩みを抱えずに生きていていいのかと心配になるくらいだ。ついこの間職場で倒れて救急車で運ばれてその原因もわからないのに、もうそのことをほとんど忘れて、のほほんへらへらと生きている。次の定期検査の日も忘れてしまいそうだ。そんなふうに病的なほどに楽観的に生きていられる性格に生んで育ててくれた両親にとても感謝している。その幸せな気分をもう少し日常生活でも表面に出したほうが周りの人たちにとっても良いのかもしれない。


毎日が知り合いの結婚披露宴。
そんな風に幸せな気持ちでいつも生きていたい。
準備するのかなり大変なんですよ、と言われそうだけれど・・・。


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