Life is a farewell tour _人生はさよならツアーだ。
2002年12月。
北海道から大阪に就職したばかりの25歳の私は、天王寺にある大学病院に入院していた。
体調に違和感を感じて職場の近くで診察を受け、検査入院することに。
差額ベッド代も払っていないのに最初から見晴らしのいい高層階の個室に入院させられ数週間。その時点でなにかおかしいと気が付くべきだった。
主治医から告げられた検査結果は悪性腫瘍。悪性度が非常に高い上に、同じ症例を世界中検索しても全く見当たらず、予後は不明。全身に転移している可能性があるため、これから全身の検査を行う。
その日から私のさよならツアーが始まった。
今までお世話になった人たち。親戚や友人たち。
みんな私と会う時には涙ぐむ。きっと私と会うのは今日が最後かもしれないということを知っているのだ。
もちろん私も知っている。昨日、頭を丸坊主にして会いに来てくれた高校時代の友人は、もう二度と会えないかもしれない。
退院祝いで集まってくれた大学の友人たちが涙を流すのも、退院できてよかったという喜びの涙ではなく、お別れの涙を流しているのだということも私は知っている。
私のさよならツアーがいつアンコールも終わってお開きになるのか。それはそれほど先のことではないと思っていたけれど、あれよあれよと20年もツアーを続けている。
いつまでも閉店セールをやっている町の商店街のカバン屋さんみたいだけれど、まあそれは喜ばしいことだ。
そんなロングランのさよならツアーをやっていて気が付いたことが二つある。
一つ。さよならツアーは25歳でガンの告知を受けた時からはじまったのではない。生まれた瞬間から始まっていたのだ。
人生は一度きり。一期一会。
頭や言葉ではわかっても、心の底から「わかる」ことは難しい。
私が25歳でそのことに気が付けたのは、人生の中で最高の出来事で本当に幸運なことだった。
挫折も知らず、国立大学をでて、一流企業に入った鼻持ちならない若造。
そのままあと20年を生きていたら、偉そうでくだらない中年サラリーマンになっていたかもしれない。今の自分がそうなっていないかというのは自分では判断できないけれど、今よりも良い人生を送っていたとはどうしても思えない。
そして、もう一つ。
こちらの方が重要な気づき。
私だけではなく、すべての人が、さよならツアー中なんだということ。
自分の立場で周りの人間をけなしたり、腐したりすることは簡単だ。自分が基準なら何でも言える。
でも、彼、彼女たちは人生最初で最後のさよならツアー中なのだ。彼らの歌、言葉はもう二度と聞けないかもしれない。彼らが生きているこの瞬間は本当に貴重なもので、その歌は聞く価値がある。
そのことに気が付けたことが、私の人生を変えたと思う。
自分の周りにいる人の言葉はすべて聞く価値があり、聞き逃したらもう二度と聞くことができない歌かもしれない。
人生は、さよならツアーだ。
あなたの言葉には意味があり、あなたの話は、聞く価値がある。
それに気づくことができて、本当によかったと私は思う。
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