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構造を忘れた現代人は未開人にも劣る【合気道と野生の思考】

今回の面白ポイントは「人間って全然変わらないんだな〜」ってこと。

というわけで『野生の思考』第二章「トーテム的分類の論理」の感想を書くフリをして合気道の話をしましょう。

構造主義とは?

構造主義とは何かというならば、それは「同じを見つける」ということだと思う。

当時の西洋諸国は自分たちこそが科学的に発展していて優れており、進歩していない未開人は劣った人類って考えが強かったらしい。

その考えに対して、未開人が持っている「野生の思考方法」は今の人類の科学的思考と同じだというのがこの本のテーマだ。

むしろ未開人とされる人たちの方が体系的な分類手法を持っていて、動植物を高度に管理していたり、変化にも対処できていたらしい。

人類の分類手法

トーテム的分類というのは未開人とされる民族によく見られる宇宙観と部族構成のこと。

まず世界を陰と陽に2分割して、陰側と陽側とに分かれて部族を増やしていく。

『野生の思考』より抜粋

陰に関連するものは陰側(闇、蝙蝠、月など)陽に関連するものは陽側(光、向日葵、太陽など)という風に称号を与えていく感じだ。

こういうこと

これは合気道の考え方とも変わらない。未開人は神話に基づいて自分たちの部族を宇宙と一体にしていく。

合気道はその技が表と裏のように無限に分けられながら根本である宇宙との一体を目指す……。

変わらない人類

さて、この分類方法は原始的に思えるかも知れないけど、これを読んだ時には笑ってしまった。

現代だって右だの左だの、正しいだの誤ってるだの、そんなんばっかりじゃない? LGBTQとかベジタリアンとかビーガンとかそういうのも同じこと。

結局は変わってないのだ。むしろ神話という壮大なフィクションで分類していただけ未開人の方がまだマシだったのかも知れない。

未開人の方が合気道の考え方にも近いし。

構造を知ること

現代人の分類方法の問題は敵とか味方とかいう一見すると簡単に二分割できるような概念がでてきてしまったことにあるんじゃないかと思う。

そもそも全員が宇宙の構成要素の一員だということを認識したうえで分割していた未開人に対して、現代人の分割のなんとお粗末なことか。

構造主義というのはそういう二項対立みたいなものを人間の単なる性質だとしてもう一歩上の階層から考えてる手法だと思う。

「同じ」であるからこそまったく別の切り口での分類も可能になるわけで、人類にはもしかすると新しい神話が必要なのかも知れない。

あるいは合気道とかね。

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