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言語としての手話に対する不当な評価や否定的態度。

Grosjean (1982) は,アメリカのろう者は,自らの独自の言語と文化を持っていること,教育や就業面で多大な差別と偏見を受けてきたこと,自らの言語と文化に対する主要グループの否定的態度を受容していること,そして,彼らの大部分が少なくともある程度はバイリンガルであること,と述べている。

この主要グループの否定的態度とは何だろうか。日本の先行研究をレビューすると、次のようなことが確認できる。

日本においても,文部省関係者やろう教育の指導的な立場にある専門家に,言語としての手話に対する否定的態度や誤解が根強く残っていることが散見されている (栃木県立ろう学校, 1996; 須藤・濱田・荒木, 1997; 全国心身障害児福祉財団, 1998; 斉藤, 1999)。
須藤ら (1997) は,手話言語の研究がまだ立ち遅れていると指摘しながらも,日本語や英語のように,高度に構造化されている概念を表現できる言語であるかどうかに疑問を示し,残存聴力の活用をベースにしてこそ科学的な概念を受容・伝達できる言語発達を可能にすると述べている。
ろう教育の指導的な立場にある大学教員の中にも,「手話というのは意味レベルの問題でしょ。魚ということばは,さ・か・な,ですよね。でも手話ではこうなる。だから,意味はわかっている,コミュニケーションは成立するんだけれど,(手話は) 意味をひとかたまりにして相手に伝える」と述べており,この発言には手話は日本語のように文字や音韻によって分析することが不可能であるため,言語とは言えないとの隠喩ではないかと指摘している (斉藤, 1999)。
教育現場においても,「手話だけでコミュニケーションを行おうとするとどうしても助詞などが抜けた文体になったり意味があいまいになったりし」,「発話を (手話と) 同時的に併用することにより,… (中略) …手話が表す言葉をより正確に理解することができる (栃木県立ろう学校, 1996)」と述べられている。

音声言語教育に手話を併用している場合でも,上記の先行研究で確認されたた否定的な態度や誤解が根底にある限り,二言語使用に消極的な教育姿勢,すなわち単一言語的な姿勢 (monolingual attitude) に立って音声言語を習得させていることになるだろう。

したがって,手話を用いるろうの両親を持つろう児が,発達早期から安定した環境で母語を獲得し,豊かな言語環境の中であらゆる能力の基盤となる認知能力を高めているという従来から知られている事実は深く追究されず (菅井, 1997; 市田, 2003),そのろう児当人も不当な評価を受けざるをえない立場におかれていることになる (斉藤, 1999)。