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「説明モデル」の話。

自分が生きていく上で何らかの困難に直面した時に、認知・行動面で様々な対処をとろうとします。この困難をどのようなものとして捉えるのか。この困難についてどのように対処していくのか。これらは、様々な他者や文化との係わりを通して、自分なりに自己や他者に説明する(語る)様式を作っていきます。例えば、このようにして起きるものだと意味づけよう、その上でこのように対処していけば、生きやすくなるのではないかと。

これは、医療人類学者のクレインマン(Kleinman)が提唱した「説明モデル(explanatory model)」に基づいています。ある文化の文脈における患者と治療者との間で、人が病気になった時にどのように考えて対処するのかといった対処⾏動を形式的に描写したものです。医療者と患者の両方が病気を説明する際に、以下のようにいくつかの共通点があります。

①どうしてその病気になったか(病的状態の要因)
②いつ病気になり、どんな様子か(症状発言の時期と様式)
③その人の身体でその病気はどのようなことを起こしているか(引き起こされた病態⽣理学的な諸過程)
④その病気はどのような経過をたどり、どれくらいの重さなのか(病気の⾃然史と重症度)
⑤どの病気にどんな対処を⾏ったか(病的状態に適した治療⽅法)

クレインマン著の『病いの語り――慢性の病いをめぐる臨床人類学』では、アフリカのある民族の患者は、自然との交流や生活のある出来事によって病がもたされたのだ、だからこのような方法で治すのだ、という文化で①~⑤の様式で描写しますが、その民族に対する医療者は、それは迷信だと否定し、医学的な立場で症状のメカニズムを説明し、だからこのように治療すれば治ると①~⑤の様式で描写します。ここでは、お互いの説明モデルが噛み合っていないことが問題になっています(ここでの関心事は、どの説明モデルが正しいのかではなく、どのような説明モデルに基づいているのかということです)。

また、社会的多数派の説明モデルが、少数派の説明モデルの形成を意図的にも無意図的にも支配していることもあります。例えば、聴覚障害領域では、聴者との間で何らかのコミュニケーション不全が生じた時に、上記①で、それは自分に聴覚障害があるから起きたのだと考えるのか(ある意味「医学モデルとしての描写」)、あるいは、それは自分と相手のそれぞれに何らかの対処の不備不足があったための結果として起きたのだと考えるのか(ある意味「社会モデルとしての描写」)が、まず挙げられるでしょう。その後の②~⑤の描写の仕方も、①でどの立場に立つかによって変わってきます。

外からの抑圧ですぐ自分は駄目なのだと自己否定してしまうような説明モデルになったり、適切に困難を分析・整理することによって自己肯定感と他者貢献感を取り戻す説明モデルになったりするかもしれません。

そう考えると、聾学校のような教育機関で、児童生徒たちが何らかの困難に直面した時に、自分自身のありかたや多数派の抑圧・支配と向き合って納得できる説明モデルを自分なりに形成できるような教育を実践しているのかが重要になるといえるでしょう。しかし現実は、どうも上記①で自分に聴覚障害があるから(広い意味で言えば「自分に非があるから」)起きたのだと考える傾向がまだ続いているように思います。

そこで数年前、支援しているある聾学校に、上記の説明モデル①~⑤を援用して、生徒たちが自身の直面した困難やそれに対する自身の認識構造を分析・整理し、自分自身を守り、他者をも助けられる対処法を探る教育実践を提案しました。

その後、何らかの困難に直面した生徒たちが自身の認識構造を省察するのに有用なだけでなく、聴覚障害の有無を問わず教員にとっても、生徒たちの認識構造を全体的に整理するとともに、どこが本質的な課題なのか、生徒一人ひとりの教育的ニーズはどこにあるのか、など焦点化する上で有用な枠組みになったようです。

いずれにせよ、上記の説明モデルを援用した教育実践によって、生徒たちが、今後の自己・アイデンティティ形成に深く関わる自己物語の様式や内容を更新する「主役」として成長していくことに繋がっていければと思います。