見出し画像

幼児期における「語り」と「アイデンティティ」。

子どもは、園で教員や他児など小集団に対して自分が遊んだり見聞きしたことを過去の経験として語ります。しかし家庭生活や園での活動は、いつも同じような経験をするわけではなく、一過的である経験もあるわけです。

そのため子どもたちは、そうした過去の経験をどのように語るのかといった課題に直面します。特に、経験した出来事が多くなったり複雑になったりすると、これらの出来事群を関連付けてまとめて語らなくてならなくなります。

そうした課題に対処するために、子どもたちは、自分以外の子どもや教師が自分の経験を語るのを聞いたり、教師が報告者である子どもの経験を代弁するのを聞いたり、子どもも自ら語ってみせたりしています(Miller, 1994)。

こうして子どもたちは、大人との相互交渉で語りの形式の基本を与えられ、次に自分自身で、また仲間との関係の中で語りを実践することを通じて、語りの形式が完成していくと考えられているわけです(内田伸子, 1996)。

このような語りの形式の形成過程について、発達心理学者の斉藤こずゑ(2003)は、子どもの持つすでに多様な自己の一部である「園児アイデンティティ」の機能を示すものと捉えられるのではないか、と考えています。

また、発達心理学者の岩田純一(2001)は、自分の出来事を物語り、それが教師や他児に共有されることは、これから自己の経験が生活史としてつながり、時間・空間的な連続性をもつ自己のアイデンティティヘと凝集していくことにつながるのではないか、と言っています。

興味深いことに、哲学や社会心理学でも「語り」と「アイデンディティ」について言及されているものがあるのです。

例えば、哲学者ミハイル・バフチン(1988)は、最初は、他者の語りの形式を借りる(他者の声を通して話してみる)ことから始めるが、次第にその他者の声を自分の中に取り入れて、自分自身の声にしようとする。しかも、その語りの形式が自分のいる社会において肯定的なアイデンティティを示すならば、自らその語りの形式に依存しようと発話を調節していくと。

また、社会的アイデンティティ理論を提唱したHogg & Abrams(1988)も、本来、集団的相互交渉を通して自分の語りの形式を変化させることは、自分もその集団の一員になりたいという動機付けを満足するために行われるものと言っています。

したがって、乳幼児期では、小集団で様々な出来事を細部まで語り合える「母語」の獲得と「語りの形式」の共有の実践が、教育現場で保障されていることが重要になるといえそうです。しかもそのことは子どもたちのアイデンティティとも非常に深く関わっていると。

そう考えると、幼児期における聴覚障害教育では、ともすれば「語り」よりも「話す」や「聞く」に傾注した「ことば」の指導が先行してしまったり、マイノリティである子どもたちの「アイデンティティ」に無頓着なまま実践したりすることがないように考える必要がありますね。