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「観察」するということ。

特別支援教育の仕事で「観察」を行うことがあるのですが、「観察」とは何かについて方法論的な検討をされた経験を持っている方々は少ないようです。

一般的に「観察」の対象は「子ども」であると考えられがちですが、よく考えれば「教育」という事象は、子どもと外界(教員、他児、教材、その時々の状況など)のダイナミックな相互作用の過程によって子どもの活動が展開したり停滞したりして立ち現れてくるものです。

そう考えると、1つは、「子ども」のみを観察するのではなく、「外界とのダイナミックな相互作用」とその中で生じる子どもの「行動」との連関で観察する必要があるといえます。しかも教員である自分自身の行動も一つひとつ観察しなければなりません。だからこそ安易に行動せず、できる限り教育的な視点や意図をもって自分自身の行動を調整して、「このように行動したら、子どもはこのように行動してくるのではないか?」とその行動に対する子どもの行動への連関を観察することが求められるわけです。

このように時々刻々と変化する「相互作用過程」を細部まで直接把握していくことが求められるわけです。そうしないと「子ども」の行動や変化の意味はこうではないか?というふうに現実の状況に照らして仮設することは難しくなるでしょう。実態把握や評価の作業の精度が粗くなってしまうこともあります。なお、子どもの障害の状態によって直接把握が困難な場合は、生理学的変化などを検出する機器を通して把握する方法もあります。

もう1つは、教員に潜在する「認識」を観察することです。前述のダイナミックな相互作用過程で、子どもの行動→教員の行動→子どもの行動→教員の行動…というふうに考えられがちですが、先生は教育実践をするわけですから先生の行動は実践であり、その実践はどのような認識に依拠したものなのかも重要な問題になります。つまり、子どもの行動が発現した時に、教員の側に、その行動の何を見たのか、その何かからどのような認識(価値・基準・判断)に基づいて意味づけたのか、そこから自分はどのような行動を発現しようと考えたのか、などの「認識」が起きています。

その「認識」のありようも「教育実践」を左右します。それで、その「認識」は果たしてその時々の状況に即して適切なものであったのかも観察する必要があるわけです。そういうことで、子どもの行動→教員の認識→教員の行動→子どもの行動→教員の認識→教員の行動…というふうに教員の「認識」も観察することになります。自分のことを棚上げにすることができない「観察」ということもできます。

「観察」というと、直接目にできるものはとにかく詳細に把握していくもの、というふうに捉えられがちですが、「教育」の場においては上記2つのように何のために「観察」するのか、どのように「観察」するのかというふうに「観察」に関する方法論をしっかり検討しておく必要があるわけですね。こちらで実施している学校コンサルテーションや卒業論文指導でも、この2つの「観察」もできるように取り入れて行っているところです。

ちなみに、古い文献の話になりますが、「心理学研究法 13 実践研究(東京大学出版会、1975年)」では、実践研究における「観察」に関する方法論が議論されており、上記の観察で1つ目は「直観的観察」、2つ目は「反省的観察」といっています。