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超巨大地震が発生した瞬間に起こった心理状態。

東日本大震災が発生した2011年3月11日14時46分。

その時、自分は宮城教育大学3号館3階にいた。3階にある松﨑研究室の時計の針は、過去に経験したことがない異常な揺れ方で床に落ち、動くのを止めた。止まった時計の針は自分の当時の震災記憶そのものだ。

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毎年3月11日になると、当時自分が見てきた映像が写真のようにモノクロで映し出され、その写真を見ている自分も静止したかのように映像を見つめているような感覚にいつも襲われる。

最近、当時の記憶を少しずつ言語化できるようになってきている。6年前は次のように記述したが、その時に自分に起こった心理状態をまだ言語化できていないように感じていた。

当時は、宮城教育大学3号館3階におり、異常な揺れ方に只事ではないと廊下で学生と集まって固まっていましたが、次第に建物の外へ飛び出されてしまいそうなほど建物全体がこんにゃくのように大きく揺れ、重くてびくともしないロッカーも次々と簡単に倒れました。ドア越しに風景が左右に大きく傾いているのが見えて恐怖を感じ、死ぬかもしれないと覚悟。揺れがおさまるまでの間は、すべてがゆっくりと長く流れているようでした。幸い建物は崩壊せず、避難。研究室では棚からありとあらゆるものが落ちて散乱していました(記述日時 2015年3月11日)

10年目を迎えたいまも当時の記憶は鮮明に残っているように感じており、改めて記憶の糸を辿るように当時の様子やその時の心理状態を細かく言語化してみた。

宮城教育大学3号館の建物が激しく揺れ出す。これまでの地震とは違うと一瞬で気づくほどの異常な揺れ方だった。別の部屋から学生が慌てて出てくる。学生たちが3段ロッカーの下敷きにならないように廊下の安全な場所に集め、電灯が落ちて怪我しないように皆を集めて抱きかかえた。ただ、本能的にそうするしかないと動くだけだった。必死で守っている間はすべてがゆっくりと長く流れているように感じられた。激しい揺れや目の前の風景が大きく傾いている様子からこの世界は異常だと恐怖を覚えた。しかし自分は死ぬかもしれないといった「死」までは感じられなかった。むしろすべてが一瞬で終わるという直感に支配されていた。学生たちも自分も含めて外界のあらゆるもの何もかもがすべて一気に崩れ落ちるような。だから自分自身が死ぬということまでは意識が及ばず、「死」への恐怖も感じなかったのだと思う。そうして激しく暴れ回る外界に自分はじっとしているしかなかった。死んでも仕方ないとかどうやったら生き残れるのかとかそういう思考まで出てこないほどの突然で凄まじい変化だった。とにかく身体はそれに少しでも対処しようと本能的に動いていた。しばらくして揺れがようやくおさまる。学生たちにここに留まるように伝え、3号館の外が安全かを確認してから外に出るように伝えて外に出た。他の皆も3号館から出て、同僚と状況を話しているうちに、ああ、自分は安全なところに戻れたのだと実感した。生き延びた、生きることができたという感覚よりも、「安全」な世界に自分は戻れたという感覚が強かった。生き延びたという感覚はもう少し時間が経ってからだった。(記述日時 2021年3月11日)

こうして記述してみると、外界が急激に変化している瞬間は人の思考や判断をこうも奪い去ってしまうのだということがわかる。また、その時の心理状態は、「自分が生きれるか否か」という意識よりも「この世界は安全か否か」という意識が先に現れることに気づいた。「生きれるか」という意識は、安全であることがわかってから出てくるようだ。

ここで、自分は意識しないところで外界と相互作用して「安全」であることを常に確認しているのだと改めて認識した。呼吸している。自分が立つ地面は安定している。眼に見える世界は重力など秩序に従って現れている。そうして初めて自分のいる世界は「安全」なのだ、だから自分は今ここにいることができると実感できる、と。改めて自分たちがいる世界が「安全」であることがどれ程「生存」に大きく関わっているのか、その意味を嚙みしめた。自然災害が起こった時に自分たちにとって「安全」な世界をいかに早く確保できるかということは非常に重要なことだと改めて認識した。

それと、同時にその変化にどうにか対処しようと自分の身体は動いていたことがわかり、改めてそのように身体が動けて良かったとつくづく思う。なぜ身体がこうも動けたのだろうか。あからじめ震災発生時にどう動くか綿密にシミュレーションしたわけではない。断定はできないが、平時からどのように動いたら自分は安全でいられるのか、事あるごとに考えたり研究室の物品が落ちないように対策したりそういう小さなこと1つひとつが、練習のように身体に染み付いてくれたかもしれない。だから急激な変化が起こっても、身体はスイッチが入ったように動いてくれたように思う。そういうことの大切さを自分はなんとなく感じていたからか、今もこうして災害リスクを削減するための防災・減災行動のありかたを探求し、発信することにつながっているかもしれない。

こうして震災の記憶を支えに、当時の心理状態について深く掘り起こすことで改めてぼんやりしていたものが明確になり、災害リスク削減に向けて肝に銘じておきたいことを見いだせた。

あの時計の針は自分の中では止まったままでも、あの時の記憶と対話してみることで、何か大事なことが見えてくる。そうすることで改めて生きる意味や希望を持てることもあるのではないだろうか。

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