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相手の注意に自分の注意を重ねる。

このことを「共同注意」といいます。自分が他者と同じ対象物に注意を向け合うことです。

これは発達心理学の話ですが、教育実践のありかたにもつながる話です。人間は、乳児期から、他者と対象物への注意を共有し、それを話題にコミュニケーションを通して、その対象物は何か、どのように係わるものなのか、どういう名称で呼ばれているものなのかなどに気づきながら、この世界での生き方(文化)を身につけていきます。

例えば、子どもが「猫」を見ている時、親は、子どもがそれに注意を向けている(興味・関心を持っている)とみなし、「猫」について係わろうとします。その際、「猫」のどういう点に注意を向けているのかもう少し注意してみます。例えば、「猫」の外見なのか、仕草や動作なのか、係わり方なのか、あるいはそれを何と呼ぶのか。やがて、子どもも自ら、親の注意を対象物に引き寄せて、「これは何なの?」「これはどうするの?」と係わるようになります。
このように両者間で、注意を向けている対象が何なのかを共有できていることが重要になります。

しかし時折、子どもが対象物のどこに注意を向けているのか観察してもわからなかったり、子どもが他者と注意を共有することに気づいていなかったりすると、大変です。専門家から「お子さんの興味関心にあわせて遊びましょう。そのなかでことばを覚えていきますよ」などとアドバイスされても、親御さんや先生方はその対象物の中身をどうやってわかるのかがわからず、悩んでいます。

ある授業研究会でであった子どもの話です。

聴覚障害と重度の知的障害があり、いつも上半身を揺らし、両手を頭の高さまであげて何度も開閉しています。担任は、子どもと一緒に活動したいと思い、共同注意をテーマにした教育実践をします。

担任は、子どもに聴覚障害があるから、子どもの視線(視覚的注意)の方向に気をつければ、何に関心を持っているかわかるだろうと仮説を立てる。

そして、これまでの子どもとの係わりから、ティッシュ箱をケーキの本体部分に見立てて、溶いた絵具を生クリームに見立てて塗る活動を考案。子どもの両手を箱にガイドして一緒に塗る。子どもは箱を見て塗っている。担任は、ああ興味を持ってくれているなと判断。次のティッシュ箱にも同様にやろうと思い、ガイドする。

ところが、子どもは担任の手を払いのけてしまう。

拒否された担任は戸惑い、それならと自分で塗って見せる。子どもの視線はその箱に向けられているけれど、その活動に接近する素振りが見られない。担任は戸惑いつつも、色々話しかけながら塗る作業を続ける。そうして一緒に活動することがないまま終わりました。

その後の事例検討会でこちらから指摘したのですが、実は子どもの注意は別の方に向いていたのです。最初に子どもが担任と絵具で箱に塗った後、いつもの体勢に戻ったとき、両手の開閉運動が微かに変化していたのです。

絵具の粘り具合を探索するかのように、両手の各指同士を擦り合わせながら上半身を揺らしていました。絵具に対する注意の中身が変わった瞬間です。

しかし担任は、子どもにとっての外界の窓口をなぜか「目」に限定していたので、もう興味を持っていないのかなと思ってしまったわけです。また、子どもの些細な変化にも注意深く見ないとなかなか気づくことは難しい行動でした。

もし絵具の粘り具合への注意を共有することができれば、水との比率を変えたりして色々な粘り具合を一緒に探索する共同活動に発展したかもしれません。

このような「共同注意」の躓きは、幼稚園や学校のコンサルテーションをしていてよく見かける風景です。

子どもの注意(関心)は何だろうと細やかに探り、「これに注意を向けているんだね?」と子どもがわかることばで確かめ、自分もそこに注意を重ねることが非常に大切になります。

それほど「共同注意」の実現は、実に丁寧で繊細な係わりが求められる実践でもあるといえます。