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きょうだいの「家族アイデンティティ」の話。

私には、3つ下の耳が聴こえる妹がいます。

妹は、両親よりも私の「音声日本語」を聴き取ることができていました。いつも一緒にいたからでしょう。両親が、私の「音声日本語」を聴き取れない時、妹が明瞭に復唱(リスピーク)してくれることがよくありました。

ただ、妹にとってその「復唱(リスピーク)」は、ちょっと特殊なものでした。家族団らんでは、両親は私のことをよく「話題」にしていたようです。

当時の聴覚障害教育では、保護者は言語指導を担わなければならないと強く求められていた時代だったので、私の様子について情報交換することが多かったのでしょう。もちろん両親は妹にも愛情を持って係わっていました。

しかしそういう背景のことなど知らぬ妹は、なかなか自分のことが「話題」の主役にあがらず、寂しい思いをしていたようです。私とは違って音声会話に「参加」できているのに、いつも兄のことが話題の「主役」になる。しかも、その「主役」の「音声日本語」が両親に伝わらない時は「復唱(リスピーク)」をすることをなんとなく要求されることも。そのような場では、自分は聴こえているのに自分は遠いところに置かれている、自分のことばではうまく言い表せないほどの複雑な心理状態になっていたのではと思います。おそらく妹は、両親が自分のことをどう思っているのかがよくわからないまま生きていたのでしょう。

お互い小学生になってからは妹と衝突する度に、いつも「お兄ちゃんなんか死ね」と最後に言ってくるのでした。当時家族の会話の内容もあまりわからなかった私は、妹の置かれている状況が見えないまま、そのことばを文字通り受けとめてしまい、兄としての存在意味を見失い、いつしか妹と係わらなくなりました。当時、学校等で同じようなことばを言われていて、あらゆる場面で自分自身の存在意味を確認することができずもがいていたので、妹もそうなのかと受けとめてしまったのです。

高校生になった妹は、青年期における自己形成の課題にぶつかり、やはり家族との関係から「なんで私が私を好きになれないんだろう、自分を好きになるにはどうしたらいいんだろう」とまだ自問自答していました。それで両親と衝突することも。

当時の私は大学生で一人暮らしをしていたので、そういうことが起きていることを親から聞きました。しかし兄としての存在意味や役割がわからないでいた私は何をすればよいのか逡巡しましたが、とにかく「対話」しようと決意し、これまでの妹との係わりや兄として抱き続けてきた様々な思いを整理し、妹に手紙を送りました。

ずいぶん時間がたって妹から手紙がきましたが、そこには一緒に暮らしていながら全く知ることのなかった妹の思いがありのままに書かれていました。当時の私は、耳が聞こえる妹の方が両親との音声会話に参加でき、両親と近い所にいると思っていました。妹は、そうではなくむしろ兄の方が両親に近いところにいて自分は遠いと感じていたとのこと。お兄さんのところに行こうと思っても皆がお兄さんばかり見るので悔しさや悲しみなどやるせない気持ちがいつもあったり、その気持ちを話せる相手がどこにもいなく一人で閉じこもったり、と色々なエピソードが綴られていました。

妹はおそらく物心ついた時からずっと「きょうだい」、何より「家族の一員」として安住する場所が見つからずさまよい続ける日々を過ごしていたのでしょう。そして率直に語られた妹の手紙によって、初めて「死ね」ということばの真意がようやくわかりました。妹も家族に愛されたかったのです。

手紙の最後には、私からの手紙で、家族が自分をちゃんと見てくれていることがわかったことで優しい気持ちになり自分の中のいやな気持も少しずつ消えていったこと、心の底から兄は兄、私は私と思えるようになったことなどが率直に語られていました。

おそらく「きょうだい」としてのアイデンティティが自分自身で納得できるものへ更新されていったのだろうと思います。兄である私にとっても、ずっと確定できないままでいた「同胞(障害のある子ども:私)」と「きょうだい(その兄弟姉妹:私の妹)」の関係性を更新するものになったのではないかと思います。

「アイデンティティ」は、エリクソンの「自己アイデンティティ」の概念に基づいて考えるなら、過去、現在そして未来のそれぞれにいる「私」の集合体に「連続性(自己の役割・特徴、時間、可能自己などの首尾一貫したまとまり)」のことを指し、それが納得できるものになっているかが課題になっているといえます。「家族アイデンティティ」という概念もあり、岡本祐子(2002)は、この用語について次のように定義しています。※「斉一性」とは、「自己定義・価値と社会が見る自己の同一化」のことです。

自分は家族の一員であるという感覚が、斉一性と連続性をもって自分自身の中に存在し、また、それが家族メンバーにも承認されているという認識。

同胞と親との間だけでなく、きょうだいと親との間でも相互に承認しあうことで、家族全員が「家族アイデンティティ」という認識を得ていくということは重要なことでしょう。しかし私や妹のように、お互いにその認識を共有することがなかなか難しくすれ違ったりして生きにくい状況も現実に起きているわけです。

こうした家族の問題には、聞こえる人と聞こえない人が共にいる「家族」でありながら音声のみで会話せざるを得なかった聴覚障害教育の思想や「きょうだい」の自己やアイデンティティにも目を配った家族支援への関心があまりなかった歴史的背景があることを看過できません。ただ一方で、共通の会話手段を使っていれば「きょうだい」をめぐる問題は起こらないのかというとそれも断言できないように思います。

今回の経験で改めて思うことは、これまで何度も衝突があったのに「きょうだい」と「対話」する関係がまだ残されていたことが大きな救いだったということです。妹とはお互い手紙を1通送っただけでした。私が送った手紙を読まずに捨てる可能性もあったはずです。

無事に「対話」ができたのは、それぞれが自分の存在意味を自問自答して自分の言葉で物語化していく「語り」と、その「語り」からお互いの尊厳を大切にしながら自分の存在意味を確認するような「対話」をする関係の土台が実は築かれていたのかもしれません。そうであれば大変幸運なことですし、両親の係わりの影響も大きかったのだろうと思います。手紙のやりとりの後、妹と両親の関係もかなり良くなり、今も妹はこれまでのことを取り戻すように両親と話すことが多くなりました。

これは「きょうだい」をめぐる1つの事例にすぎませんし、今回とった「手紙」という方法が他の事例にも有効であるとは断定できません。ただ、今回の事例からいえることは、お互いの「対話」に価値をまだ見出すことができる関係を家族で大切に作り続けていくということになるのかもしれません。

障害のある子どもや家族の形も様々です。だから「対話」の手段も今回は文字を使ったものでしたが、まばたき、表情、身体、音声、手話など色々な形があっていいでしょう。お互いのことを思いやりながら(相互承認しながら)自分自身の存在意味やアイデンティティも納得できるものへと確認できるように。