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難聴児の「ことば」を考える。

 本記事は、上記タイトルと関連して、2007年度に掲載した論考の一部を引用する形で紹介したものです。
 これまで難聴児とご家族の相談支援に関わっていますが、現在も以下の内容にあるような問題がまだ見られますし、論考を読んでくださった様々な種類や程度の難聴がある聴覚障害当事者からも15年ほど経った今もつながる内容であり、大切だと思うと指摘してくださっています。何かの参考になればと思います。

文献情報
松﨑丈(2007)難聴児の教育・ことば・コミュニケーション. 難聴者の明日, 6-10.

 (以下、一部引用)

2.「ことば」とは?
 難聴児教育の課題について考えるとき、もっとも重要な課題の1つに「ことばの発達支援」があると思います。そこで、難聴児・者の「ことば」・「コミュニケーション」の問題について考えるために、まず、「ことば」とはどういうものなのかを確認してみたいと思います。
 ここでいう「ことば」とは、きれいに話せる、きれいにきこえるだけで獲得されるものではないと思います。なぜなら、話せる・きこえるとは外に現れることばのほうをさしているのであり、逆に内面に潜んでいる「ことばで考える力」の存在が見落とされているからです。この理由は、現在、定説になりつつある「ことばの発達」について発達心理学者の岡本夏木の理論(1)によっています。この理論は、難聴児のことばの発達支援のあり方を考える手がかりになると思います。
 岡本(1985)は、ことばには、質的に異なる2つの言語能力があると指摘しています。一つは、「一次的ことば」であり、乳幼児期から家庭で獲得するものです。その頃の子どもは、話せる・きこえるけれども、自分の思いや経験をことばだけで語ることはできないので、親に質問や代弁をしてもらって話したり、ことばで全てを表せない代わりに目前のものや出来事も使って意図を伝えるなどのレベルの言語技能です。いわゆることばの表面的な能力です。もう一つは、「二次的ことば」で、一次的ことばよりも高いレベルの能力です。幼稚園後半から身につけます。幼稚園に入ると、子どもは、きこえるか否かにかかわらず、話せる・きこえるだけでは集団活動に参加できないような経験をします。なぜなら、幼稚園にいる人々は親と違って自分と同じような経験や考えをしているのではないし、経験発表のように自分が過去に経験した事柄を聞き手にわかってもらうために、何をどのように伝えるかを考えながら話す必要があります。経験発表だけでなく、自由遊び場面で起きたトラブルの折衝や話し合い場面での発言もそうです。いろいろな人々に理解してもらうために、子どもは、自分で話す内容を論理的に整理してまとめ、これでよいのだと評価してから話すという、まさに「ことばで考える力」を身につけなければならないのです。この考える力をともなうことばが「二次的ことば」なのです。二次的ことばは、教育機関や職場で行われる集団的相互交渉(例.発表・協議・交渉)を実践できる能力として使われます。また、集団的相互交渉の経験の質が豊かであればあるほど、二次的ことばはより一層洗練されたものになります。
 このように話しことばには、質的に異なる二つの言語能力があり、特に、二次的ことばは、「ことばで考える力」を使うような集団コミュニケーションの経験が保障されてこそ習得されるものなのです。

3.難聴児・者の「ことば」
 子どもに難聴がある場合、家族のように慣れ親しんでいる人とのやりとりで、ある程度ことばの基本は獲得しても、教育の場では集団的相互交渉に参加できないことが多いのです。すると、難聴児の話しことばを、一次的ことばのレベルから二次的ことばのレベルヘ質的に高めることが難しくなります。集団的相互交渉に参加しにくいために、皆の発言をどのように整理するか、自分の考えも論理的に整理してポイントを得た発言内容をどのように作るか、お互いの間でどのように話し合って合意形成を図るか、のように「ことばで考える力」を使う機会が制限されてしまうからです。これは、難聴だからではなく、難聴があっても集団的相互交渉に参加できるための支援が充分ではなかったために生じた「二次的な障害」といえます。
 通常学級では、先生の話がききとれない、友達同士の話し合いの内容がわからず発言できない等の情報バリアがたくさんあります。この情報バリアフルな環境では、難聴児にとっては「教育を受ける権利」が保障されても、その教育に関する情報にアクセスする権利は保障されていないといえるでしょう。とりわけ、「きこえているんだろう」と特別な支援は不要であるかのように扱われてきた軽度・中等度難聴児に対しては情報アクセスの問題をもつと考えるべきでしょう。そして、教育にアクセスできない状況が日常的に続くと、前述したようにことばの質を高めることが難しくなるだけでなく、さまざまな二次的障害が生じます。例えば、「きこえない」、「きこえにくい」ことを否定的に捉えるようになり、教育にアクセスすることを諦めたり、アクセスできる狭い範囲内で学び、その分だけ自分のことば・思考・社会性等を高めざるをえなくなるでしょう。
 私は高等教育分野で聴覚障害学生支援を研究しているのですが、ある難聴学生できれいに話せる・きれいにきこえるけれども、何か足りないような気がしてよく観察してみると、多人数の相互交渉で、皆手話も使ってはっきりと話しているにもかかわらず、彼の発言内容は議論と少しずれていたり、わざわざ話題や議論のポイントを説明してあげないとわからない等の問題に直面していることがみられることがあります。これは、明らかにききとれていない事柄があるということであり、おそらく幼いときからそういった集団的相互交渉の参加制限を経験してきたのではないだろうかと察します。

4.ことばとアイデンティティ
 アイデンティティとは、「自分が心から自己表現できる居場所」であったり、「自分は『今、こういう存在であり、過去も未来も一貫してそのような存在なのだ』と語れる感覚」であるといわれています。そのうち後者の自分について一貫性をもつて語るということは、二次的ことばの力を借りて語るということでもあると思います。二次的ことばは、さまざまな事柄を論理的に関連付けさせて整理し、まとめて評価することばです。子どもは、二次的ことばの萌芽がみられる幼児期後半から、過去の自分、現在の自分、未来の自分をつなげて自分はこういう自分なのだろうと考え始めます。ただし、これは家庭・学校で豊かな集団的相互交渉が保障されていることが前提です。
 難聴がある場合、集団的相互交渉が保障されず、「二次的な障害」が深刻な状況になると、難聴児の「ことば」だけでなく、難聴児の「アイデンティティ」をも深くえぐり、青年になった後もまた存在意味が問われる事態にまで悪化してしまうことがでてきます。その例として、中等度難聴児を持つ母親の手記の一部を、長文になりますが、紹介します。

 …息子は、その頃、強烈に友達を欲し、仲間を求め、自分の存在意義を探し求めていたのです。皆が楽しそうに高校生活をエンジョイしている中で、友達を求める気持ちが強まると反比例するように孤立感が高まり、対人恐怖や抑うつ状態、手が汚れたりすることを極端に嫌がる強迫神経症のようになり、クラス内や登下校のときの小さなトラブルが重なり、高校2年の2学期から学校に行けなくなったのです。学校を休み始め、冬休みに入ったころ、息子が、自分が生まれ4歳まで育った町に行きたいと言い出しました。電車で40分くらいのところでしたので、二人でその町で食事でもしようと出かけました。息子は、かつて住んでいたマンションを訪ね、1年間通った保育園を外から眺め、自分の幼児期を懐かしんでいました。そして「もう一度赤ちゃんに戻り、生き直したいよ」と言いました。… (2)

 このように「二次的な障害」が深刻になっても依然解決されない状態が続くと、すでに青年になったというのに、アイデンティティを自分が納得できるものに形成できず、しかも「自分の存在意味」を根本から問い続けているのです。
 特に、軽度・中等度難聴の場合は、「いつ、何によってきこえにくくなるのか」を前もって把握することが難しく、また結果として情報獲得のもれやコミュニケーションのずれが生じたときにそれは難聴だから?相手の話し方が悪かつたから?と何が原因で起きたものなのか明らかにはできません。こうした「きこえにくいことのあいまいさ」は、本人自身に「自分はどういう存在なのか?」を語らせることを難しくさせ、アイデンティティ形成に複雑な影響を及ぼすと考えられます(詳しくは3)。 

5.「ことば」の回復
 最近の聴覚障害者の心理臨床に関する研究(4)では、「聴覚障害者はコミュニケーション能力が不十分であるため、適切な学習の機会が得られず、円滑な対人関係を結ぶことがむずかしい。そのため主体性が乏しく、他者に依存する傾向があり、内的生活は希薄になりやすい。したがって成長して社会に出るようになってから、さまざまな適応障害を引き起こす可能性がある」と指摘しています。適応障害とは、簡単にいえば、ストレスにより、日常生活や社会生活、職業・学業的機能において著しい障害がおき、一般の生活ができなくなる障害であり、聴覚障害者の場合は、主に「不安・抑うつ」、「情緒・行為障害」があります。聴覚障害者がこのような状態になる背景には、情報保障やコミュニケーションの障害、人間関係のトラブルなどのストレスが大きくなることによるものがあり、その結果、心理的な変調をきたし、会社や学校に行けなくなるというものです。先に挙げた中等度難聴の子どものエピソードもその一例でしょう。
 そこで、前述の心理臨床の研究を行った滝沢(2006)は、聴覚障害者に心理的支援を行うとき、「聴覚障害者のコミュニケーションを保障し、心理的支援を行うことは彼らのアイデンティティを確立するために意義がある。自分の気持ちや考えを話すことで自分の存在について明確に意識することもできるようになる」「集団による聴覚障害者同士の話し合いは、自分の障害について認識を深めるとともに、自分を内省する契機となる」が必要と考えています。
 近年、「エンパワーメント」を意図した難聴学生・成人対象の企画が見られるようになりました。エンパワーメントとは、「当事者は、専門家の援助がなくても、自ら問題を解決し、自分たちに関わる事柄を自分自身でコントロールし、実践していくこと」です。企画の内容をみると、集団コミュニケーションを深めるために共通手段として手話を覚えるもの、自分のニーズを明確にして相手に伝える方法を学ぶもの、自分の考えや知識をプレゼンテーションするもの等があります。
 心理臨床やエンパワーメント企画の実践は、難聴者同士で対人的(集団的)相互交渉の成立を保障した上で、「ことばで考える力」あるいは「自分を語れることば」を回復させていこうというものであり、まさに「二次的ことば」の再編作業であるといえるでしょう。実践すべき時期に充分に実践できなかった当事者たちが自ら「ことばの回復」を実践しているのです。 

6.難聴児への支援策
 私たちは、自分を「ことば」で語り、あるいは語りなおす作業を自問自答しながら生きていくものだと思います。そのときに、自分のことを共感的に論理的に語りあえる相手や集団の存在が大切でしょう。他者と語り合うなかで、自分を発見し、自分を作りなおす作業を実践します。これらは、乳幼児期から「ことば」を豊かに獲得していることが大切です。乳幼児期に親との対話を深めて一次的ことばの力を育むこと、幼児期から集団的相互交渉のなかで「ことばで考える力」をともなう二次的ことばを身につけていくように発達支援をする必要があります。
 しかしながら、難聴児の場合、こうしたことばの発達支援を充分に受けることができなかった場合、青年になっても、改めて二次的ことばを再編せざるをえず、自分を語りなおす作業もまた心身的負担をともなうものになるでしょう。
 そこで、私たちは、できる限り「二次的な障害」が起きないように予防策を考えるとともに、難聴児が生き生きと自分の「ことば」の質を高め、なおかつ青年期にはアイデンティティを確立できるような支援を考える必要があるのではないでしょうか。これまで述べてきたことを整理すると、難聴児教育における支援には、次のような3点が考えられます。
 第一に、難聴児の対人コミュニケーションを充分に保障することです。家庭・幼稚園・学校内のコミュニケーションに参加できるように、視覚的手段を積極的に併用したり情報保障を整備します。特に、1対1であろうと集団であろうと、「考える力」を豊かにのばせるような相互交渉を実践する機会を多く提供することが大切でしょう。コミュニケーションの質が「ことば」の発達に大きな影響を及ぼすからです。
 第二に、難聴児同士がともに生活する時間を作り、お互いに学びあう機会を保障することです。難聴学級や難聴児を持つ親の会のようにであう場はありますが、であうだけでなくお互いに「自分」や「障害」について語りあい、自分を作りなおす機会を作ることです。特に軽度・中等度の子どもは、その大部分が通常学級に在籍していることと、親が難聴関係の団体と接触することが少ないことから、同じ難聴の仲間にであうことが難しいので、親もとりこんで難聴児・者とであう機会を提供する方法を考える必要があると思います。
 第三に、難聴児本人が「ことば」で自分を語れるよう支援することです。自分を語れることのなかには、難聴のある自分と社会との関係のなかで自分はどのような状況に直面し、どのようなニーズを持っているのかを自覚し、発信できるということも含んでいます。次世代の難聴児には、近い将来、私たち難聴者の自立・共存を実現するために各方面で活躍して頂くことになるのですから、私たち難聴者も、人生や活動を通して得た智慧や技術を難聴児教育に貢献できないものかと思います。とりわけ、後述する難聴児教育の最近の動向を鑑みれば、私たちも、前述の三つの支援について何らかの支援を行わなければならないと危機感を強く感じることでしょう。

引用文献
1 岡本夏本 (1985) ことばと発達. 岩波新書.
2 橋倉あや子 (2004) きこえない子を育てた親から若いお母さん方に伝えたいこと 全国早期支援研究協議会.
3 全国早期支援研究協議会 (2007) きこえにくいお子さんのために聴覚障害サポートハンドブック-軽度・中等度難聴編.
4 滝沢広忠 (2006) 社会・文化的視点に立った聴覚障害児・者の臨床心理的支援システムの構築. 平成16年度-17年度科学研究費補助金(基盤研究C11)研究成果報告書.