見出し画像

専攻長から新入生の皆さんへのメッセージ

新入生の皆さん、ご入学おめでとうございます。
ようこそ宮城教育大学特別支援教育専攻へ。

私は、専攻長を務めている松﨑です。生まれつき聴覚障害があり、手話と文字で意思疎通を図っています。ここで皆さんに挨拶するときも、こうしてあらかじめ文章として作っておいたものを見せています。長文なので、ゆっくりスクロールしながら読んでいただきます。

皆さんを新たな仲間としてここにお迎えすることは、私たち特別支援教育専攻教員にとってもたいへん喜ばしいことであり、お祝いと歓迎の意を表します。

すでにご存じかと思いますが、ここ特別支援教育専攻は、本学の売りともいえる大きな特色があります。
北海道・東北地方において、視覚障害、聴覚障害、知的障害、肢体不自由、病弱と5つある障害領域全てを学べる大学はここだけです。
そのうち視覚障害領域と聴覚障害領域を学べるのも北海道・東北地方でここだけです。それらを指導できる教員が集まっているということです。
しかも、先ほどの5つの障害領域には含まれない、発達障害および重複障害を専門とする教員も揃っています。
ただし、こうした学びのカリキュラムと教育環境が、皆さん一人ひとりにとって確かに充実したものになるためには、ただ受け身になって知識を覚えるだけでは難しいのです。
知識をどのように活用すれば、障害のある子ども一人ひとりの幸せや生きる工夫につながるのか、自ら動き、思索し、こういう実践が大事なのだろうと繰り返し試行していく、そうした能動性と行動力が問われるのではないかと思います。
 
そして、インクルーシブ教育についても本学で学びます。
ユネスコでは、2005年、インクルージョンについてこのように言いました。「全ての子どもの参加と学び等を高め、教育のエクスクルージョン(排除や障壁)を減らすための終わりのないプロセス(過程)」と。
ゴールではなく、プロセスです。つまり、教育現場における排除や障壁は今後も起こるものと想定しており、すぐゴールすることを求めてはいないのです。

かつて宮城教育大学は、障害のある学生に対する排除を行いました。
それは1995年4月の時です。本学に入学した私が、現在で言う「合理的配慮」として手話通訳や文字通訳が必要と伝えました。
そうしたら、事務に呼ばれ、「君はこれまで普通の学校で一人だけでがんばってきたのだから、ここでも自分一人で頑張って卒業しなさい。本学は君を支援する予算も体制もありません。今後そういうことを言ってこないように、ここで覚え書を書いてもらいます」と言われました。
障害のある子どもと係わる教員を養成する大学が、教員を志す障害のある学生を公然と教育の場から排除したのです。
学生であった私はそれ以降、周りの学生に呼び掛けて障害学生支援団体を作り、宮城教育大学をインクルーシブな大学に変える活動を続けてきました。
その成果の1つが、「しょうがい学生支援室」の設置です。入学式やオリエンテーションでしょうがい学生支援室の紹介があったかと思います。
これは、学生の時私が作った障害学生支援学生団体のノウハウをもとにして、大学側が全学的に障害学生支援を行いますということで設置されたのです。私が宮城教育大学の大学院を修了してから4年目でようやく実現しました。長い道のりでしたが、一人ひとりが世界をより良く変えていきたいと信念を強く持って行動に移していけば、世界は必ず変わるのです。そう確信しています。

今もまだ本学は、インクルーシブな大学として成熟できておりません。
日本社会も然りです。2016年7月26日に、神奈川県の知的障害者施設「津久井やまゆり園」で、植松という青年が、19名の知的障害者を殺害し、職員2名と障害者24名に重軽傷を負わせたことは記憶しているでしょうか。彼は、そうした事件の動機として、「障害者は不幸を作ることしかできないからだ」と話していたとのことです。私たちはそうした優生思想や能力主義が蔓延る世界に対してどのように反論、反応していくべきでしょうか。

障害の有無を問わず、人類の誰もが幸せになるための世界とは何か、その世界を実現するために教育の場においてどのような「知」が大事になるのか、そう問い続けながら、障害のある当事者と共に解決策を探っていく場として、ここに本学特別支援教育専攻の存在意義があると考えます。

これから4年間、私たち教員と共に、学校や大学における終わりのないプロセスを歩みながら、課題に対する自分自身の向き合い方を学び直し、大変ではあるけれどもそこにある楽しさ、奥深さや醍醐味を発見していければと思います。
そうして大学4年間の学びが、卒業後の皆さんの人生をゆるぎなく支える土台となってくれるものになることを、心から願っています。これから共に楽しくやっていきましょう。どうぞよろしくお願いします。