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「一人」の物語

大学の広報の仕事をしていて、この仕事の真骨頂はやっぱり「学生や卒業生の活躍を伝えること」ではないだろうか・・って思う。だってそこには広報すべき大学のいろんな顔が詰まっているわけだから。
ということで今日は次年度の大学案内パンフに登場してもらう卒業生の取材で、彼女が勤務する職場へおじゃました。実はこのところ、何件か続けて取材している。(追い込みってやつです)

勤務先企業のPRのかたにもご協力いただき(いろいろ勉強になるデス)、仕事している様子(実際には被写体になるのは卒業生本人だけなので、ほぼ実際の仕事に近い形を演出)を撮影させてもらい、その後インタビュー。ちなみに制作チームと一緒なので、今回はちょっと偉そうにナナメ横から撮影やインタビューの様子を眺められる立場。見聞きしたことをじっくり咀嚼できる。

在学中から卒業・就職その後の7年、合計11年間のストーリー。ごくごく普通かもしれない。でも聞けば聞くほど、折に触れターニングポイントと思しき局面で、人との出会いを雑に扱わないで着実に活かしてきた彼女の素晴らしさが伝わってくる。
本ばかり読んでいた引っ込み思案な高校時代しか知らない同級生と会ったら、ぜったいびっくりされると思う・・!と語っていた。
そんな「一人」の物語、伝わるように表現できたらいいな。。。
(と同時に、いつも取材する時に思うのは、自分は取材されたらはたしてこんなに語れるんだろうか?だったりする。)

なんてことを考えながら取材を終えて終業時間。ちょっと清々しい気持ちになっていたところ、おや?ここから銀座のギャラリーが近いじゃないのと思い立ち、ギャラリー小柳で展示されている、ソフィ・カル《なぜなら》を観に寄った。

現在、原美術館で「ソフィ カル ─ 限局性激痛」を開催中のソフィ・カル。1999年に同館で開かれた個展をフルスケールで再現した展覧会では、代表作の《限局性激痛》を見ることができる。そして今回同展にあわせ、ギャラリー小柳で個展「なぜなら」が開催される。本展では、国内初公開となる「Parce que」シリーズから新作9点を展示。同シリーズは、額装された写真の全面に「Parce que(なぜなら)」から始まるテキストを刺繍した布が垂らされ、それをめくると写真が現れる構造となっている。https://bijutsutecho.com/magazine/news/exhibition/19200

ソフィ・カル、つい先日、原美術館の《限局性激痛》を観たばかり。《限局性激痛》も《なぜなら》の展示でも、写真とテキストで巧妙に「ソフィ・カルには世界がこう見えてるんだ」ってことが想像させられる。虚実あいまい。でも一枚の写真と数行の短いテキストで、ここまで物語を持ち込める人っているだろうか。

やばいな、今日の取材のあとにこの展示を観たのは必然に思えてしまう。


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