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昭和の大脚本家、橋本忍先生の言い分

以前、こんな記事を書きました。
松本清張に関する評論集『清張地獄八景』の読書レビューです。

その本の中に、興味深い評論が入っています。
昭和の大脚本家、橋本忍先生のエッセイです。

橋本氏の脚本キャリアはまさに、戦後昭和の日本映画史そのものでもありました。

【代表作】
羅生門(1950年公開、黒澤明監督、大映)
生きる(1952年公開、黒澤明監督、東宝)
七人の侍(1954年公開、黒澤明監督、東宝)
隠し砦の三悪人(1958年公開、黒澤明監督、東宝)

張込み(1958年公開、原作:松本清張、野村芳太郎監督、松竹)
ゼロの焦点(1961年公開、原作:松本清張、野村芳太郎監督、松竹)
影の車(1970年公開、原作:松本清張、野村芳太郎監督、松竹)
砂の器(1974年日公開、原作:松本清張、野村芳太郎監督、松竹)

白い巨塔(1966年公開、山本薩夫監督、大映)
日本のいちばん長い日(1967年公開、岡本喜八監督、東宝)
日本沈没(1973年公開、森谷司郎監督、東宝)
八甲田山(1977年公開、森谷司郎監督、東宝)
八つ墓村(1977年日公開、野村芳太郎監督、松竹)

うう~ん、どれも昭和史に残るすごい作品ばかりです。

そんな大御所脚本家、橋本氏が『清張地獄八景』に寄せたエッセイで、さらりと興味深いことを書いておられます。

松本清張の小説『張り込み』を脚色家するにあたり、刑事を一人から二人に改変したほうがいいと思った。
そこで、このアイデアを製作会社の松竹に伝えると、原作者の清張氏本人から「会いたい」という連絡があった。
それが松本清張との初対面であった。
その時清張は「刑事を二人にした方がいいのなら、改変してもいいよ。それはさておき、あの作品を映画化するなら警視庁に取材に行った方がいい。一緒に警視庁へ行こう」と言ってきた。

『伝説の脚本家が語る現場秘話』/橋本忍

そしてその後、橋本氏は清張氏とともに警視庁広報課に行ったそうです。
その流れで、なんと「張り込み」の野村芳太郎監督と、助監督の山田洋次(のちに「男はつらいよ」シリーズの監督となる)の二人が、一ヶ月間捜査一課の刑事に付き、刑事の仕事を取材させてもらった、とのこと。

改変には、ちゃんと原作者の了解を得ている。
そして、捜査一課の現場をきちんと取材をしている。

本当に真摯に作品を作っていたんだなぁと思います。

そんな橋本忍氏は、やはり、「小説と映画は違う。原作小説をそのまま映像化すればいいってもんじゃない」と仰ってます。
そんな脚本家、橋本忍の功績として一番有名なのが、「砂の器」という作品です。
この中で、原作ではたった一行の「父と子の流浪の旅がどんなものだったか、それはその父子にしか分からない」という文章をもとに、橋本氏はまるまる一本のストーリー脚本を書き上げました。
そしてそれを、最終的に10分間の無声映像にしたのです。

映画を観た人にとって、このクライマックスの10分間の回想シーンに、号泣せずにいられなかった人がいるでしょうか?
ゆくよも涙が止まりませんでした。
それほど伝説に残る名シーンだったのです。

そんな巨匠、橋本忍氏は、こんな愚痴をこぼしています。
「最近の原作者は、自分の書いたもの通りでないと不満を口にするようだ」と。
これは、改変する時はきちんと原作者と話し合い、そして原作の良さをさらに高めるような改変をしてきた脚本家だからこそ、言える言葉なのではないでしょうか。

その一方、偉大な脚本家、橋本氏は、こんなことも言っています。
「僕は、僕の書いた脚本を、セリフの一言一句にいたるまで、そのままで撮らない監督とは、二度と仕事をしない」と――。

自分の書いた脚本を一文字でも改変することは、絶対に許さなかった橋本氏。
ものを書く作家というものは、かくなるものかと思わされたエッセイでした。

みなさんは、どうお感じになりましたか?

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