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30代半ばの私がキャリアについて語ってみた 〜医療事務職からデータアナリストへ〜

これはあるIT企業のクリエイティブ部に所属する、デザイナーでもない、データアナリストを志す私の雑記です。

突然ですが、自身のキャリアについて振り返ったことはありますか。
キャリアは決断の積み重ねでもあり、今の選択には何か理由があるはずです。それを振り返ってみることで客観的に自分を知るきっかけにもなります。

今回はそんな「今」を選ぶまでの道のりを語ることで、いわゆる「キャリアキーノート」になればいいなと思い執筆します。


クリエイティブ部で「データアナリスト」を目指すわけ

先ほどクリエイティブ部所属と書きましたが、元々私はデザイナーに向けて数値を届け、改善を共に進めていく役割として入社しました。

入社から4年経ちますが、部内体制もすっかり変わりました。また、生成AIなどの登場で私たちの業務にも変化を求められているように感じています。

これまで部内では数値担当という唯一無二の存在としてみなさんと業務を進めてきました。もちろん、知識は日々アップデートしているつもりでしたが、「そのスピード感と深さは分析専門チームの温度感やメンバーには敵わない…そろそろもう一段階自分を高めていかなくては」という気持ちも芽生えてきました。そこで、意識し始めたのが何かしら肩書きを掲げ、自身を鼓舞して業務を遂行するということです。

もちろん、仮に部を離れてデータ分析チームに所属すれば「スピード感と深さは他の数値や分析業務を専門とするチームの温度感やメンバーには敵わない」という課題は解決するかもしれません。

ただ、部内の役割が唯一無二であることと天秤にかけると、まだこの部内で私ができることは数多くあると感じています。そもそも、部内に同じ役割がいない、スキルアップのためという理由で部を離れることは簡単です。しかし、それだけだと今の役割を手離すことの方が損なのではないかという気持ちを強く思っています。

そうであれば、クリエイティブ部にいながら「データアナリスト」を名乗る準備をしなくてはなりません。部内にロールモデルがいないため、これであなたはデータアナリストですという答えは誰も出してくれませんし、私が自信を持って名乗るしかないのです。そこまでの道のりは自身がレールを轢かなければなりません。

ここで一度立ち止まり、過去にフォーカスを当ててみたいと思います。そもそも私はどのようにして「今」があるのでしょうか。

医療事務職から数値担当になるまで

医療事務職としてキャリアスタート

大学時代は情報デザインの研究をおこなうゼミに所属していました。しかし、それを活かしたIT分野で活躍できる自信がなく、IT業界に憧れを抱きつつ卒業後は医療専門学校に通いました。

その後、総合病院の医療事務職として内定をいただき、私のキャリアはスタートします。実務に関する知識は診療報酬やその他事務系の資格を取得していたので特に苦労はしませんでした。

ところで、なぜ医療事務職を選択したのでしょうか。今思い返すと、憧れよりも現実を考えすぎていたかもしれません。当時、リーマンショック後で「病院なら私たちに無くてはならない存在だからそう簡単に倒産しないだろう」くらいの安易な考えだったように思います。

当初はそのような考えでも次第にやりがいを持てたら良かったのですが、私はそれ以前に問題を抱えていました。周囲や上司との馬が全く合わなかったのです。それが最も苦しく、自分らしさが失われていくような感覚で1年間勤め上げるのがやっとでした。

専門学校にも通い、入社後1年でリタイアするとは思ってもみませんでした。内定を受け取ったときの喜びや期待は一体なんだったのか、1年でこの落差は社会に出たばかりの自分にすごくダメージを来しました。

当時この経験が何の役に立つのか全くわかりませんでしたが、このターニングポイントがなければ今の自分はありません。

おそれず憧れの業界へ飛び込んでみた

さて、新卒がたった1年で無職になりました。しかし、この状況になったことで本当にやりたいことは何なのかを見つめ直すことができ、片っ端から自分に可能性がありそうな仕事や環境を探し始めました。こういう後にも引けないような状況だと、自然とこわいものなしで飛び込んでいけるものだなと思いました。

そして、スタートアップIT企業のアルバイトで雇っていただき再就職を果たしました。

給料は前職の3分の2ほどでしたが、それよりも初めて自分にとって居心地の良い環境で、そして憧れの業界で仕事ができている喜びの方が上回っていました。ちなみに私が思う居心地の良い環境のキーワードとしては、「私服」「個性」「実力重視」「音楽を聴きながら仕事ができる」「プライベート時間も大事にできる」「電話対応なし」でした。(「電話対応」自体は苦ではないのですが、業務では苦痛と化していました。)

その環境さえ整ってさえいれば、あとはスキルを磨いていくだけです。業界未経験ではありましたが、そこから軌道に乗っていくのは割と早かったように思えます。

スマートフォンのアプリリリースまでの企画、リリース後の反響調査や分析などを実施するディレクターという仕事に就きましたが、この業界に入っていなければこんな役割があることすら知りませんでした。未経験業務も進んでやり方を吸収し、わからなければ周囲にアドバイスを仰ぐなど、今までにはないポテンシャルを自身でも感じました。

そしてさらに実力を試してみたく、1年半後には規模がより大きいIT企業へ転職もチャレンジしました。

期待と強みの一致で確信に

おかげさまで、転職後も契約社員から正社員登用のきっかけをいただくと同時に、アシスタントディレクターからディレクターへの階段も登り、様々な経験とスキルを磨いてきました。そのころ、IT業界に身を置いてすでに5年近く経っていました。

当時はディレクターとしてサービスを主導していくため、下記のような業務を主にやっていました。

・キャンペーン企画立案
・企画リリースまでのスケジュールを立てる
・企画実施稟議書提出のための試算
・デザイナーとエンジニアのアサインと進捗確認
・企画終了後の効果測定

その中でも、「企画終了後の効果測定」に関しては、振り返りが不十分なまま次の施策を進めてしまう事案がよく起こると聞きますが、私自身はここを最も注力視して取り組んでいたといっても過言ではありません。

また、SQLなどを使ったデータ取得をエンジニアに任せるという意識ではなく、自ら取りにいくようになり、様々なデータからユーザーインサイトをスピード感持って出せていたように感じます。データを業務で必要な人が権限をもらって、自ら取りに行けるという環境にいられたのも良かったと思います。

そんなある日、とある取り組みで自分への期待と強みを知るきっかけがありました。それが「ドラッカー風エクササイズ」です。

先ほどのような動きをしていると、他者からの期待と自分の強みが一致していることに気づきました。内容を鮮明に覚えているわけではないですが「効果測定や分析を駆使してサービスのPDCAを高速で回す」のようなことだったと記憶しています。

その後、その期待や強みを胸に日々過ごしていたころに30歳を迎え、別に誰も決めていないのにチラつく節目を意識し始めました。

より数値にフォーカスした業務に身を置いてみたい、専門性を突き詰めたい、そんな気持ちが出てきました。そのタイミングで現職の求人を見つけ、転職に至りました。

現職とこれから

この流れからお分かりのようにデザイナーとしてのキャリアはないままクリエイティブ部組織の一員となりました。

入社して4年が経ち、その間デザイナーとタッグを組んで進めてきた改善はこれまでの視点や経験とは異なる発見や成長につながっています。

現在はデザインそのものにフォーカスするというよりも、クリエイティブ部組織自体の状態を数値化することにエネルギーを注いでいます。そして、それを可視化することで私たちクリエイティブ部が事業に対し、着実にインパクトを与えていることの証明に繋げていきたいです。

たまには数値化する意味を見失い、自分が組織で役に立てているのか立ち止まって考えることも正直あります。ただ、その不安を払拭するには自信をつける方が話は早いように思えてきました。そういう意味でひとつ壁を越えなくてはならないように感じています。

それが自分の納得のいくかたちで「データアナリスト」を名乗り、自己暗示を力にキャリアを積んでいくこと。

もしかしたら別の新たな肩書きに出会うかもしれませんが、「来年の4月までには」という期限を設定しているので、そこに向けて自覚を持ち準備をしていきたいです。

さいごに

私のキャリアをまとめると「やりたいことは憧れのままにしない」「期待と強みの一致からやるべきことに確信が持てた」というところでしょうか。

はじめは噛み合っていないこともいろいろありました。しかし、そのダメージを受けていなければここまでの道のりや決断はなかったはずです。

そんな決断で積み上げてきたキャリアも先はまだまだ長いです。
今後も自分を磨き続け、ゆくゆくは頂上にたどり着けたらいいなと思っています。

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