錬金術師と千里眼(ブルズアイ)の亡霊:16

 先日のこと。急に自分を呼び出してきた荊良の誘いに錬金術師は嫌な予感しかなかった。
 というよりも、彼という存在自体に嫌な印象しかなかった。何を考えているのか予想がつかない不穏さを、そのまま人間の形に押し込めて具現化した人物――それが錬金術師の中での荊良に対する評価ではあって。いつも彼と相対する時は、よく分からない気持ち悪さを常に意識のどこかで感じてきた。
「……時間ぴったり。真面目だなァ錬金術師よ」
 指定された港沿いの倉庫群の前で、荊良はそう言ってひらひらと手を振って見せた。錬金術師はため息をつき、ぶっきらぼうに返答する。
「アンタに比べりゃ世の中大抵の人間は真面目だろうぜ」
「だろうな。俺はどうにも、そういう肩肘張った態度は苦手なんでね」
 とっさの皮肉も意に介さないように肩をすくめ、荊良は笑っている。それが心からのものでないことは分かりきっているので、錬金術師は少しも警戒を緩めない。少なくとも暴力的な手段に出る構えはなさそうだったが、それすらもポーズでしかないかもしれないという底の読めなさ。それが荊良にはあった。
「いいから用件を話せ。無駄話をしに来たわけじゃねえんだよ」
 まともに取り合うのも面倒なので、さっさと本題へ移る。用件が済めばすぐにでもこの場を立ち去りたかった。これから射魅の義手のカスタマイズに向けてどう動くべきか、そしてそれに絡んで『千里眼の亡霊』――童銘の行方もどう把握するか、考えなければならないことは山積みだった。
 そんな彼の目の前で、荊良が口にしたことは。
「お前さんや朱纏が探してる『千里眼の亡霊』。そのヒントをやろうかと思ってね」
「……何?」
「おっと勘違いするなよ、俺が依頼を出したんじゃあない。第一もし俺が依頼を出すんだとしたら、何が何でも直接アイツを狙わせるような真似はしねえさ」
 何を言っているのか、と率直に思った。確かに朱纏も自分もその行方を辿っていることは間違いないし、その糸口になるというのならそれは歓迎すべき情報だろう。
 しかし、物事にはタイミングというものがある。行方が分かり次第確実に始末をつけなければならない相手の名前を自ら出して来て、挙句その人物との接点を匂わせる発言をするなど、自分から殺してくださいと言っているようなものだ。
 その意味を知ってか知らずか、荊良は懐から取り出した煙草に呑気に火をつけながら続きの言葉を口にする。
「ま、お前さんたちがご推察の通り依頼を出したのは余所者さ。何てこたァねえ、朱纏を殺せば自分たちの名も上がるだろうと踏んだだけの頭の悪いマフィア気取りの坊主たちだ。しかし当然、そんな目論見がうまくいくほどこの街は甘くねえ。行き詰ってくすぶって、とりあえず八方塞がりって感じだったよ」
 愉快そうに目を細めながら荊良が語る内容は、しかしどこか愉快な話なのかさっぱり錬金術師には理解出来ない。フードの奥で険しい視線を向ける彼をちらりと横目で見つつも、しかし荊良は表情を変えずに引き続き笑いながら話を続けた。
「たまたまそんな折に、千里眼が弟子に裏切られてくたばったって話を風の便りに聞いてね。こいつは面白そうだと思って、そいつらに情報をくれてやったのさ。あの名スナイパーの名前を引き継いだのか勝手に名乗ってるのかは知らんが、どっちだろうといい感じに話が盛り上がってくれると思ってなァ」
 要は、直接手を出したわけではないにせよ――荊良は自分が全てのきっかけだったと自白しているようなものだ。むしろ自分から手を出したわけでないというところがなおさらたちの悪い話ではあった。たまたま耳にした情報を教えた相手が、調子づいてあれほどの事件を引き起こしたというだけ。荊良がけしかけたわけではないのだから。
 何よりそこで一番たちが悪いのは、そういう行動に出た動機が何かという点で。
「盛り上がるって、何言ってんだお前」
「退屈しのぎになると思ったんだよ。祭りみたいにドンパチ派手にやってくれりゃ、その分愉快な見世物になるだろ?」
「……悪趣味も大概にしろよ、アンタ」
 軽蔑の眼差しを向け、錬金術師が冷たく吐き捨てる。要するに荊良の行動には深い思惑など何もない。単に面白いか面白くないか、それだけのシンプルな理由で何でもしてしまうのが彼という男なのだ。きっと、自分に本当に命の危機が迫っていたとしてもそれすらも楽しいと思ってしまうのだろう。
 ――要するに、この男は本当にイカレている。
「まあとにかく、そう期待してたんだが……朱纏を直接狙ったおかげでだいぶ展開が変わっちまった。おまけに仕留め損ねてると来た。残念ながら、話のピークはもうこれ以上望めそうにねえ」
 煙と一緒に溜め息を吐いて、荊良が表情を曇らせる。まるで大好きだった玩具がもう壊れて遊べなくなったので仕方なく捨てることを受け入れた子供のような、そんな表情。しかしそこで、錬金術師は自分がそんな話を聞かされている理由にやっと思い至ろうとしていた。
 荊良は、幕引きを望んでいるのだ。期待していたゲームをやり込むのが面倒になって、とりあえず本筋をさっさと進めるだけ進めてエンディングに辿り着こうとするような感覚で。そしてゲームに飽きて中古で売り飛ばすように、自分の話に食いついてきた愚かなよそ者たちを切り捨てる選択をしたのだ。
「ゲームオーバー、ってことか。ますます趣味が悪いぜ」
 とにかく、荊良の思考回路は理解が及ばないのは間違いなかった。ますます軽蔑の念を強めて錬金術師が顔をしかめる。幕引きに自分が駆り出されていることも正直言って受け入れたくはなかったが、仕事が絡む部分もある以上そうも言っていられないのが腹立たしい。早く本題を済ませたくて、錬金術師は苛立ち気味に問いかけた。
「で、それを何で俺に話す?」
 その質問を待ちかねたかのように、荊良がにっと笑う。その笑顔が一層苛立ちを煽っていることも知らずに。または知ってて敢えてそうするかのように。
「まあ俺なりのケジメってヤツさ。本来、お前さんはこの件には無関係だった。ところが朱纏が狙われたあの現場に居合わせちまって、挙句に巻き添えを食っちまった。なのに詫びの一つもナシってのはさすがに……だろ?」
「……」
「俺はお前さんに、俺が知ってる限りのことを話してやる。もちろん連中のことを朱纏にチクったって構わねえしそうしてくれた方が助かる。ドンパチやってド派手に引導を渡してやればいい」
 それは確かに願ってもない話だ。朱纏にとっては敵を排除出来る絶好の機会を得られるし、射魅にとっては仇に近付くための有力な情報を得られる。誰にも損をする要素はない。しかしそれを持ち出して来たこの男が、そんな甘い話だけを用意しているはずもない。人差し指を立てて「ただし」と付け加えると、荊良は錬金術師の傍らに近付いて――そっと囁いた。
「……俺から聞いた話、ってことは朱纏には内緒だ。そんなことをしたら俺はもうあの世行き、ゲームの幕引きをこの目で見届けることも出来ねえ。そんな殺生な話はねえだろ?」
「そんな約束を守る義理が、俺にあると?」
「難しい話か?引き受けねえってんならこの話はナシだ。後から反故にしようってのももちろんアウトだ。そういう素振り、俺は結構敏感なんだぜ」
 疑念たっぷりの言葉にも、全く荊良は動揺を見せない。その時点で錬金術師には他の選択肢は全て封じられたも同然だった。愉しめる物事なら何だって構わないというこの男に下手に手を出せば、本当に何をしでかすか分からない。そのためならこの街全体を消し飛ばしかねないような事態にも、きっと躊躇いなど持たないのだから。
 ケジメとか詫びとか、そんな単語とは裏腹だ。いわばこれは荊良なりの『脅し』である。
「お互い馬鹿じゃねえ、うまくやろうぜ。なァ……錬金術師?」
 そう言って笑う荊良の表情は、まるでサーカスのピエロのように愉快そうで――しかしそれでいてどこか空恐ろしい何かを内に秘めているようで。とにかく、錬金術師にはとても気持ちが悪く映ったのだった。

 ともかくそうして、錬金術師は荊良の話を呑まざるを得なくなった。だから朱纏には本当のことは言えず、適当な話で誤魔化すしかなかった。
「ふぅん……」
 フードの奥の表情を覗き込むように、朱纏がじっと錬金術師を見つめている。視線を外せばそれ自体が動揺だと思われかねないから、錬金術師も努めて冷静を装い、その視線をまっすぐに見つめ返す。少しでも疑わしい素振りと思われればその時点で命が危ないのだ。改めてこんな要求を持ち掛けてきた荊良のことが恨めしい。
「……ま、いいや。どのみち本人を捕まえて話を聞けばはっきりすることだし」
 ふーっと大きく、わざとらしい息をついて朱纏は錬金術師への追及を切り上げる。誰から情報を得たのかは問題ではない、重要なのはその情報が真実かどうか、そしてそこから潰すべき敵に辿り着けるかどうかだ。そもそもここでじっくりと話を突き詰めて聞き出すほどの時間の猶予もない。何せ『標的』は今夜にも動きを見せるのだから。
「それじゃ、一緒に来てもらおうかなアル君も」
「俺もかよ?」
「そりゃそうでしょ、顔を知ってる誰かがいないと僕だってさすがに分かんないし」
 車のキーを机の引き出しから取り出し、朱纏はまたいつもの無邪気な笑顔で笑いかけた。この人懐っこい笑顔で、これから彼は自分の敵である勢力の人間に対してえげつないほどの残酷な仕打ちを行おうとしているのだから本当に恐ろしい。そしてそれを知らずに喧嘩を吹っ掛けてくる無知さは、より一層恐ろしい。ほんの少しだけではあるが、そのことを思うと錬金術師は相手のことが哀れに感じられた。
「んなことしなくても分かんだろどうせ……店で騒ぎを起こすようなヤツなんて、今はそいつしかいねえっての」
 そう、あくまでもほんの少しだけだ。
 どんな世界であれ、商売の邪魔になるような客にはそれ相応の罰が下るものなのだから。

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