アシタカは正しい。そう、ぼくは知っている。そなたは、うつくしい。

やっぱり、絶対におかしいと思う。どうしていまの日本は、こんなに女性にとって生きにくい場所になってしまっているんだろう。

なぜかここ最近、女性から相談を受けることが急激に増えている。悩みは様々だ。具体的な仕事での課題解決の方法について相談を受けることもあれば、社会的に物凄く「成功」されているような女性から、生き方 / キャリアについて相談を受けることもある。また、男女関係でのイザコザを相談されることもあれば、学生さんから社会に出る不安について相談されることもある。

いろんな悩みがあるけれども、ぼくがどうしようもないほどに気になるのは、本当に才能豊かで、感性に満ち溢れていて、世界観がどうしようもないほどにうつくしくて、この人の感性をこの世界に届けたい!とぼくが心底思う人ほど、もうびっくりするくらいに苦労していることだ。もう、なんでこんなに!と思うほど。

多くの女性が、中高生時代に受けた痴漢の話をする。感受性の高い時期に、知らない男性に身体を触られるのってどんな気分なんだろう。ある女性は、毎朝前も後ろも両方から触られ続けていたと言っていた。男性のぼくですら、知らん人に身体を触られると想像するだけで、どんよりとした気持ちになる。10代という時期にそんな経験をする女性のつらさたるや、僕には想像もできない。

みな、なんで私はこんな目に合わなきゃいけないんだと思う。そしてある時に気付く。そうか、わたしが女性だからだと。この瞬間、女性としての自分を拒絶する。女性として生まれてきたことを後悔してしまうのだ。そして、いつのまにかに、気付かないうちに、自分の中に、重い、重い、蓋が出来始める。

痴漢という特別な状況に関してのみ述べたけれど、実際は、いたるところに同じように女性としての自分を受け入れなくなる瞬間がある。家族での会話、学校での会話、会社での会話。自分の感じていることをそのまま出すと、多くの場合、「意味がわからない。」「いつまで乙女のつもりなの。」「ほんと、不思議ちゃんだね笑。」「筋が通っていない。」そんなことを言われてしまう。

これを読んでいるあなたも、そうした言葉を発したことがあるのではないだろうか。正直、僕にはある。

そして、人との関係性を大事にする人や、素直な人ほど、「そうか、わたしの考えていることは普通じゃないんだ。」「わたしが間違っていたんだ。」「皆に感じていることを言っちゃいけないんだ。」そう思うようになっていく。

そして、大きく二つの流れに分かれるようだ。

一つ目は、蓋を蓋のままにすることができず、社会に結局あわせることができずに、社会不適合者としてのラベルをはじめ張られて生きていく人達だ。この内の極一部は、プロの表現者として生きていく。ポイントは、「極一部が」ということだ。ほとんどの人は、そう生きれない。そして、次の方向に流れていく。

もう一つは、自分の感受性に蓋をして、社会に自分を過度に適合して生きていく人たちだ。ちなみに、ぼくは適合という言葉を必ずしも悪い意味では使っていない。むしろ、環境への適合はサバイバルのために人類が獲得してきた大切な能力だ。ただ、はじめは「適合だったのに」、いつのまにかに、自分の感受性にすら嘘をつくようになるのはおかしいと思っている。

ちなみに、能力が高かったり、相手が必要としているものを察することの出来る女性ほど、こうなりやすい。また、責任感が強い女性ほど、「自分が成果を出していないから悪いんだ。」「まずは圧倒的な成果を出してから発言しなくちゃ」「いまは我慢だ。」そう思い、仕事でがむしゃらにがんばり、成果を出していく。結果、社会的には「成功」をおさめたようにみえる。そして、はじめて言いたいことが言える環境が手に入る。

けれど、ここで実際には何が起きているか。実はそのパワフル女性を見て、次の世代の女性達は、「やっぱり、社会で成果を出さないとダメなんだ。」「結果がまず大事なんだ。それまでは言いたいことを言っちゃいけないんだ。」とより強く思っている。つまり、実はシステムは強化されてしまっているのだ。

そして、「そんな社会は違う」といま発言権があるのは、男性社会で成果を出した女性だけになっていく。普通の女性がそんな社会おかしい!というと、「そんな甘いこというな。」「仕事は厳しいものなんだ。」と言われて終わる。

でも、ぼくはあえて明言したい。男性社会の恩恵を被っているひとりの男として。やっぱりいまの女性が生きづらすぎる社会は絶対におかしい。そう、声を大にしていいたい。絶対に間違っている。

ぼくは明確に、多くの男性にはできず、女性にしか出来ないと思っていることがある。これは、この世界のうつくしさをそのまま伝えることだ。この世界のみずみずしさをつたえることだし、いのちのうつくしさをつたえ、この世界のとうとさを伝えることだ。

本来、男女は関係ない。当然だ。けれど、いろいろな女性の話しを聞けば聞くほど思う。やっぱり、見えないものを感じる力、めのまえの何かにうつくしさを感じる力は、圧倒的に女性の方が強い。ぼくが嫉妬するほどに強い。彼女たちは子どもを産める。いまのところ、男には産めない。本当の意味で、女性はいのちの大切さを知っている。

彼女たちの持っている、鮮やかで、豊かな世界観。それに触れられたとき、ぼくはどうしようもないほどに身体全体が反応する。細胞ひとつひとつが踊りだし、飛び跳ねている。もう嬉しくてしょうがない。そんな感覚だ。

ぼくは世界中の誰よりも、そのうつくしさを知っているつもりだ。それに触れたくて触れたくてしょうがないし、それをからだ全体が欲している。ぼくは、そのうつくしさを、この世界に届けていきたい。もっともっと、この世界にそのうつくしさを増やしていきたい。

もののけ姫で有名なシーンがある。サンがアシタカの喉にナイフを突き立て、アシタカを殺そうとした瞬間に、アシタカがサンに言うセリフだ。

サン「死などこわいもんか!人間を追い払うためなら生命などいらぬ!」
アシタカ「わかっている…最初に会ったときから」
サン「そのノド切り裂いて、二度とムダ口がたたけぬようにしてやる!」

アシタカ「生きろ…」
サン「まだ言うか!人間の指図はうけぬ!」

アシタカ「そなたはうつくしい…」

ぼくには、このアシタカの気持ちがわかる気がする。そう、そなたはうつくしいのだ。はたからみると、サンは野獣でしかない。憎しみに心とらわれ、人間を殺すことだけを考えて生きている。女性っぽさは微塵もない。

サンは、強くならないと生きていけなかったんだと思う。そのプロセスで、自分が持っていた女性としての要素を捨てていた。みながサンを危険な人物だと思っていた。けれど、アシタカだけが、サンの中にある「うつくしさ」に気付いたのだ。

ちなみに、ぼくはアシタカに興味を持ち始めたのは、こんな言葉をある女性の友人からもらったことがきっかけだった。「こうすけさんって、ほんとアシタカみたいだよね。男性なのに、ほんとうの意味で女性性のうつくしさを知っている。こういう人って本当にびっくりする位少ないの。」

実際、なぜだか分からないが、ぼくのいるところで涙を流し、自分の中の抑圧してきた蓋に気付き、元々持っていた感受性を思い出す女性が本当に多い。そしてそれを、絵やダンスや歌、また物語といった形で表現していく。そして、じぶんのもっている本来のうつくしさに彼女自身が気付いていく。

蓋にからめとられていた女性が、ひとり、またひとりと、そのふたを開けていくシーンを、毎週毎週、見ている気がする。

ここまで書いて。お前の言いたいことはわかった。けれど、口で言っていても何も変わらないぞ。事業やビジネスで成果を出さないと何の意味もない、そう言われると思う。

ぼくはその主張は正しいと思う。だからコンセプトデザイナーとして新しいコンセプトを、様々な会社・サービスのレイヤーで提供していきたいと思っている。実際に、今までもNPOを二つ起業したし、それ以降もビジネスで様々な課題解決に取り組んできた。

でも、それだけでは決してないと思う。現在のシステムの中でインパクトを出すことと、そもそも全く異なる新しいシステムを作ること、両方が大事なんだ。ここには優劣など決してない。

ぼくは、男性的な野獣性・攻撃性も正直カッコいいと思う。格闘技を見るのは好きだ。バキも好きだったし、今だと那須川天心が好きだ。僕自身、ムエタイも習いはじめた。

けれど、今はバランスが悪すぎるんだ。男性的な野獣性や攻撃性が悪いのではなくて、女性的なものがこの世界に表出しにくくなっていることが問題だと思っている。

だから、ぼくは、この世界にある、「男性から見る女性のうつくしさ」ではなく、女性が本来女性として持っている「うつくしさ」の総量を、いまの何倍にもしていきたい。女性の豊かな内面と外の世界を、「表現」を通じて(特に物語)繋いでいく。そんな作品をたくさん産んでいきたいし、そういった作品が生まれる場に立ち会っていたい。それができて初めて、新しい男性性と女性性が絡み合った、新しい何かが生まれる気がしている(それが、僕自身がこれから紡いでいく、次の時代に必要な物語だと思っている)。

それは、言葉でいくらいっても、議論してもあまり意味がないものなのだと思う。だから、2018年12月23日に一つ目の取り組みを始める。それまではステルスで。作品を地道に作っていく。そこから、どんどんそういう表現をこの世界に届けていく。楽しみにしていてもらえたら嬉しい。

ほんとうの「うつくしさ」って何か。その定義を教えろって。そんなことやりたくない。その定義しなければいけないということ自体が、今までのパラダイムなんだ。

ただ、ひとことだけ言えること。それは、それに出会った時、それを見てしまった時、ただただ、からだ全体が反応し、どうしようもないほどに心が揺さぶられ、満たされ、涙が知らずうちに流れ続けるか。そんなときに人間が感じていること。それが「ほんとうのうつくしさ」なんだと思う。

そう、ぼくは知っている。そなたは、うつくしいのだ。



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