「自分の中」にある新しい未知の大地への冒険

今まで知らなかったことを知ってしまった瞬間、世界の見え方が一変してしまう。そんな経験ってありますよね。

僕は、新しいコトを生み出すためのヒントは、「自分の外側」にあると思っていました。けれど、「いや、それ以外にもあるらしいぞ」と思い始めました。僕が大好きな「職業としての小説家」という本の最後で、村上春樹さんは次のような文章を記しています。

僕にとっての余地というか、「伸びしろ」はまだ(ほとんど)無限に残されていると思っているからです。それでは、どこにそのような余地があると思うのか?その余地は自分自身の中にあると僕は思っています。まず日本で僕は作家としての地歩を築き、それから海外に目を向け、読者の層を広げました。そしてたぶんこの先、僕は僕自身の内部に降りていって、そこをより深く遠くまで探っていくことになるだろうと思います。それが僕にとっての新しい未知の大地となり、おそらくは最後のフロンティアとなることでしょう。

村上春樹さん程のクリエイターによる、「最後のフロンティアは「自分自身の外側」ではなく「内側に」ある」という指摘は、非常に重たいですね。また、僕が敬愛する、日本でソーシャルベンチャーの文化を作り出してきた井上英之さんもインタビューで次のように述べています。

僕も、一人ひとりがこうした危機に心を向けるには、まず「自分自身としっかりつながる」ことが大切だと感じています。実は、僕らは普段、95%を無意識的に意思決定し、自動的に行動しています。そのなかには、過去の経験から身についた所作や思い込みや偏見がたくさん含まれている。そこには、「地球温暖化はそこまで大きな問題ではない」「日本の財政赤字は皆が騒いでいないからまだ大丈夫」「原発は専門家に任せていればいい」といった思い込みもあるはずです。自分自身とつながるとは、こうした無意識に気づき、観察し、再考することです。そのためにはまず何より、生活のスピードを一部でも緩めることです。

元上司と井上さんの対談イベントに参加した際、上記のような話を聞いて衝撃を受けました。それ以来、少しずつ、少しずつ、「自分の無意識」に触れ、「自分と繋がる」ために、自分の身体を使った実験を繰り返してきました。

今はまだ、この無意識領域への冒険を始めたばかりですが、言語化できる領域が増えてきたので、これまでの歩みを振り返ってみようと思います。

自分のことが分からない。

「結局、何がしたいの?」「何が好きなの?」「怒っていることは何なの?」

こう問われた時、皆さんはどう反応するでしょうか。僕は、「分からないんですよね」「やりたいこととかないんですよ」「怒ってることとかないんですね」と回答していました。

実際、つい最近までそう信じ込んでいました。けれど、最近この認識が間違っていて、「自分に嘘をついて、自分を信じこませていた」らしいことが分かってきました。

きっかけは、昨年末に参加した、とあるリトリート@葉山で起きた出来事です。その場では、参加していた皆さんから、厳しい指摘を受けました。

「まっつんて、変わりたいと口ではいってるけど、変わる気ないよね」「自分と繋がってないから、何を言っているかよく分からない」「本当にかたくな」「自分自身を守ってるよね」「困ってないっていうけど本当は凄く困っているよね」「腹くくれよ」

そう言われても、僕の口から出る言葉は、「既に、課題解決のためにやれることやってるんですよ」「少しずつ良くなっているんですよね」「特に困ってないですよ」、と自分の現状を認めない「言葉」のみ。

そんな中、いくらやっても自分自身を見せようとしない、僕のところに飛んできた、ストレートど真ん中の、超ド速球。

「まっつんの本当の心の声は、おまえらぶっころしてやるだよね」「実際、既に殺してるよね」

その瞬間、口から言葉が出て来ず、思考が停止し、身体が震え、自然と涙が溢れてきました。今まで溜め込んでいた何かが、はじけた瞬間でした。

ゆっくり自分の感情に浸りたかったのですが、翌朝に仕事があり東京へ。何が起きたか。電車に乗っていても動悸が止まらないし、心ここにあらず。目の前のことに集中できない。結果、抱えていた仕事も炎上。更に翌週、ウイルス性急性胃腸炎を患い、夜中に病院に運ばれるはめに。

恐れだらけの自分。何かを否定して逃げ続けている自分。

というわけで、リトリート以後、肉体的にも精神的にもしんどい時間を過ごしていました。器の小さな僕は、情けないながら、その責任をリトリートに転嫁し、「なんで他人に自分の繊細な部分に突っ込まれなきゃいけなかったんだ。」と怒りにも近い感情を持っていました。

しかし、その後長くお世話になっている先輩方に、起きた出来事を素直に伝え、赤裸々に相談。結果、気付いたことがありました。

それは、「「本当の自分の声」を周りの人は自然と感じ取っている」「知られていないと思っているのは自分だけ」「否定してしまうのは、それを認めると自分が壊れてしまうという恐れがあるから」「その恐れが自分の感情に蓋をし、他の感情もわからなくなっている」こと。

最後の一押しは、東北の事業でずーっとお世話になっている方から頂いた、次の言葉でした。

なんでやりたいこと分からないんだろうね。それをきちんと見るためにも、いま何を怖がっているか、その恐れを見ることが必要かもしれないね。そうしたら、将来、やりたいことも見えてくるのかもしれないよ。

年末のリトリート以降、恐れと向きあわず、うじうじし続けていました。しかし、上記言葉で、「結局自分の「恐れ」と向き合わないと前に進めない」「人のせいにしている限り状況は何も変わらない」ということが腹に落ち、怖いし嫌だけれども、前に進むことを決めました。

今思えば、僕はこの世界にあるものを否定しまくっていたし、自分の外にあるものを怖がりまくっていました。今でも、恐れだらけです。ただ、僕自身の変化を感じる瞬間が大きくありました。

何度も繰り返し起きている「不本意な現実」

軟弱な僕にとって、自分と向き合うのは、とても繊細な作業。だから、信頼できる人にそのプロセスをサポートしてもらいたい。更に、ともに自分の恐れと向き合おうとしている人達とともに歩みたい。そう思い、金 仁殊さんがファシリテートする研修に参加しました。

その場では、なぜかいつも同じパターンにはまってしまう、「不本意な現実」について話し合いました。僕にとっての不本意な現実は、「自然と渦が広がるような変化を生み出し、その場に自分もいたいのに、周りの人を燃やし尽くしてしまう。結果、周りから人が離れていき、僕もその場から排除されてしまうこと」でした。

それを引き起こしている僕の行動は、「自分の思い通り進めようとする」「相手の個性を潰してしまう」「自分が楽しくなさそう」「弱みを見せないため相手が入り込む隙がない」こと。

では、なぜこのような行動をしてしまうのか。この深さにおける小手先の解決先は多々実行してきました。ただ、今回の研修では、「更に深い」部分に入ります。自分の「メンタルモデルとよばれる固定観念」についてです。

「メンタルモデル」とは、マインドセットやパラダイムを含め、それぞれの人がもつ「世の中の人やものごとに対する前提」です。自らのメンタルモデルとその影響に注意を払い、うまくいかないときには外にその原因を求めるのではなく、自らのメンタルモデルの欠陥を探求します。 ※ メンタルモデルについて:MIKA KUMAHIRA WEB サイト

僕にとっての「メンタルモデル」とは

それは、「自分などいないほうが良い存在である」という自己認識でした。だからこそ、他者に対して自分の価値を認めさせようとする。「自分が支配し、戦う姿勢を見せる」ことで自己価値を示そうとする。結果、尊重したいはずのひとりひとりの個性を潰す。結果、周りに人がいなくなる。この循環でした。

このループは、「他者を自分に依存させることで、自己価値を認めさせる」という目的のために動いていました。何が衝撃だったかというと、この状態が「自分が望まない現実」ではなく、「自分が望んで作っていた」ことを身体全体で理解したことです。

この循環に気付いた時、僕の反応はどうだったか。まず、頭をガッツーーーーーんと殴られた気がしました。そして次に、なぜか笑い始めました。「自分てほんっとにばか。自分のために自分でその行動作ってただけじゃん。そしてそれに気づいてない俺。ゲスい、ひどい、馬鹿すぎる(笑)」

メンタルモデルは、「概念」的な話だと思っていたのですが、「実態」として人の行動を引き起こしていることに気付いた瞬間でした。

そして自分に起きた変化と続く冒険

まだ、このメンタルモデルをどう扱っていいかは分かりません。ただ、なぜか既に実際に現実に現れ始めています。

ひとつ目は、今まで「否定」することでちかづいていなかった新しい機会に積極的にアクセスするようになったこと。例えば、「ビジネスリーダーのためのファッションコーディネート術」という絶対に今まで参加しなかった企画ですが、友人に誘われて参加してみることにしたり。他にも、組織開発関連や、日本文化といった場にも参加するようになったり。すると不思議なもので、新しいチャンスが見えてくるんですよね。今まで、いかに「恐れ」のもとに自分の可能性を自分で潰していたのか、思い知らされましたし、単純に新しいことに接するって楽しいです。

ふたつ目は、自分の「内面(無意識)」の領域を知るための行動をとるようになったこと。具体的には、ファスティングにもチャレンジしました。すると、食べること、噛むこと、言葉を話すこと、こういった日々の行動がどれだけ惰性だったのかを自覚しました。新しい自分を日々常に発見している感じです。これも、ほんっと面白いですよね。

みっつ目は、世界の捉え方が大きく変わったこと。自分の内面に敏感になると、結果として「他人」の「無意識領域」に対する解像度もあがります。今後は、自分の身体で実験しながら、同時に他者の無意識領域への理解度をまし、更に集合的無意識が引き起こしている望まない現実の再生産との関係性を見出していこうと思っています。これも、超ワクワクするテーマです。

ここまで書いて思いましたが、恐れを少しずつ手放す努力をすると、新しい何かにアクセルできるようになるので、単純に人生が楽しくなりますね笑。実際、不思議なもので、新しいわくわく系の仕事も、自然と動き出すようになるんですよね。なんかよく分からないけど、いい感じです(笑)

自分の内面への冒険って、今までやったことないから本当に楽しみ。

ということで、ちゃんちゃん。



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