君の決断は正解ですか?
シュレーディンガーの猫という言葉がある。
量子力学の分野にて生まれた言葉で、そもそも量子には2種類の性質があるそうだ。
ニールスボーアはその量子の性質は、観察するまで我々には分からないという理論を唱える。
一方、アインシュタインは、量子の性質は観察する前に既に決定していると主張する。
相対性理論では物体や情報が光の速度を超えることはないとされている(超省略)。
ボーアが唱えるように片方の量子を観察した際にもう片方の量子の性質が決まるとすれば、情報が光の速度を越えて伝達することになる。
そのためボーアの主張が正しければ相対性理論が否定されることにつながる…
進路とは?
話がやや逸れたが、今私は22歳で社会人一年目である。
進路は個人事業。
今年は幾度となく進路について考えさせられた。
「この判断は正しいのか?」「この判断は間違っているのか?」と。
しかし、今日ふと思ったが、正誤の物差ししか持っていないことが1番の問題である。
正誤の物差しとは、物事の選択を全て正しい、悪いで分類する偏見の一種だ。
本来であれば、進路やこれからの運命を左右するような決定事項に正しいもクソもない。
教養のある人間は多くの視座を持つ、と言う言葉があるが、まずはさまざまな観点からその進路を検討するのが良いと思っている。
そして、あえて正誤の物差しを使うと、選んだ道が正しいかどうかは後になってわかることである。
つまり、今私が進んでいる道は間違いであり正解である。
シュレーディンガーの猫でいえば、猫が生きてるかもしれないし死んでいるかもしれない状況と同じだ。
その答えを解き明かすためには、観察が必要である。
君の進路が正しいかどうかは、時間が経てば分かることなのかもしれない。
正解にすれば良い
さて、君の進路とシュレーディンガーの猫の共通点について触れたが、ここで冒頭のおさらいをしよう。
アインシュタインは、量子の性質は観察する前から決まっていると述べた。
つまり、アインシュタインの理論で例えると、もうすでに君の進路がどうなるかは決まっているのかもしれない。
これは恐ろしいことだ。
正誤の物差ししか持っていなければ、すでに君は誤った選択をしていることになりかねない。
だからこそまずは多くの物差しを用意し、自分の選択を納得のいくものにするべきだ。
そして次に、運命が決まっているのであれば、その運命を幸せと思えるよう、自分を変えるべきだ。
運命は変えられなくても、自分の行動次第で納得のできる選択だったと、思えるのではないだろうか。
君は、過去に行った選択を満足のいくものだったと思えるように、今がんばれる存在だ。
正解や失敗の概念は私にはないが、あえて言うなら、自身の決めた選択を正解だったと思えるよう今頑張っているとも言いかえられる。
そのほうがいろいろ楽だから→雑
まぁ、みんなそれくらい思ってやってますよね
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