『ハーモニー』再読のための「信頼できない語り手」ガイド。/伊藤計劃研究

 あけまして。咳以外だいぶ回復しまして、今年もよろしくお願いいたします(挨拶)。
 少し間が空いていたため、昨年の読解を読み返しました。その結果、

・個別には納得できても、全体を通して何を述べたいか分からないのでは?

 との疑念が。こ、これは確かに……と反省しきりです。
 なので今回は「作品全体を見通すための視点」を提示しておこうと思います。以下の視点を押さえることで、『ハーモニー』全体像への道筋が立つはずです。

   ・大前提

 大前提として、各キャラクターは事実を語っていない点が挙げられます。
 各々に様々な理由こそありますが、ひとまずは、

「各キャラクターは多かれ少なかれ、事実を歪めて伝えている」
「事実の歪ませ方は各キャラクターに根ざしており、一貫性を持っている」

 と覚えておけばOKです。裏を返せば「キャラクターがどんな歪ませ方をしているか?」を突き止めたなら、逆算して作中の事実にたどり着ける訳ですね。

 各キャラクターはどんな歪みを抱えているのか?
 そして、その実情とはどうなのか?
 研究を踏まえつつ、主要な3人についてざっと見て行きましょう。

   ・御冷ミァハの場合

 極めて野心あるキャラクターであり、行動には理由が隠されている――おおむね、そう押さえておけば良いでしょう。ミステリアスさに思えた描写たちは、ある時は利己ゆえの、ある時は必然ゆえの砂上の楼閣と判明します。たとえば零下堂キアン殺害の動機は、極めて利己的なものでした。

   ・零下堂キアンの場合

 三人のなかで唯一、大人に近かった存在。成人した後は完全に自立しており、その姿勢は知らず知らず、霧慧トァンの自立を促してもいます
 零下堂キアンの言葉と死とが霧慧トァンを変える。その意志は巡り巡って、『ハーモニー』全体を覆っていく――見かけよりずっと重要なキャラクターです。

   ・霧慧トァンの場合

 一番の難関。信頼できない語り手であり、なおかつ複数の信頼できなさを抱えています。一人称の語り手でありつつも、実のところ極めて掴みにくいキャラクターです。その隠された内心と動機こそが、『ハーモニー』最大の謎といって過言ではありません。

 地の文の霧慧トァンは、どうやら事件をすべて経た後と思しくも決して感情を喪失してなどいない……この時点で「???」になる方は多いと思います。じゃあエピローグは何なんだ、調和は全人類を覆ったんじゃないのかと。調和は全人類を覆ってなどいないとは既に扱いました。調和プログラムの回避方法が作中で示されていることも。

 ……問題は、この分かりにくさそれ自体にあります。読み合わせれば否定できるものの、調和が完璧であるかのように綴られてはいる。霧慧トァン自身は感情を持ち続けている――すなわち、自身が調和の例外であるにも関わらず、です。

 無論、霧慧トァンはあらゆる真相を語ることも出来た。けれども決して直截に語ってはおらず、読み手が真相をつかむのは難しくなっている。

 では、ここで少し言い方を変えましょう。

「調和は人類を覆ってなどいない」と明言することで、損なわれるのは何なのか? 

 ここまで述べれば、見当がつく方もいることでしょう。

   ・

 試行錯誤も含めて。表向きに書けるのは今のところこんな感じですね。
 では、今年もよろしくお願いします。 (了)

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