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都市伝説が証されるとき~作家・飛火野耀と真行寺のぞみ~

 伝説的な作家・飛火野耀と、謎の女子高生作家・真行寺のぞみ。
 今でこそ二人は同一人物と見なされていますし、説に異議を唱える人はほとんど居ません。

 では、その「飛火野耀=真行寺のぞみ」説はどのようにして広まったのか?
 そもそも「飛火野耀=真行寺のぞみ」は本当に事実なのか?
 事実ならどんな根拠が存在しているのか?

 最初期からの経緯を踏まえつつ、事実確認し広めた側の目線からここ20年を振り返ってみようと思います。

   ・まずは風説あり(2002年頃?)


 最初に情報を目にしたのは、2ch(当時)のスレッドでした。
 確か【飛火野アキラ(名前が出ねえ)】みたいなタイトルだったかな。
 巨大な匿名掲示板にめちゃくちゃ人が居て、時代の最先端だった頃の話です。もっとも、いちばん人が居たときでも飛火野耀スレッドはそこまで人が居なかったですが……。
失われた文章には、こんな旨が記されていました

「うろ覚えだけど、飛火野耀が真行寺のぞみにインタビューしてたんだよ」
「そのページって本来は作者のためのページだから、間接的な証拠でしょ」



   ・見つからない(2002~12年)


 飛火野耀の情報はほとんどスレッドにしかない。なので、飛火野耀ファンの間ではそこそこ、噂を共有してた感じですね。真偽は不明だけど、どうもそれっぽいぞ、と。

 自分も「それ本当?」と思いつつ、出典を探してはみました。誰一人として確かめないままなのは、ちょっと気になるなと。

 が、実物がなかなか見つからない訳ですね。
 そもそも情報を探し始めた当時で2000年代、刊行から10年近く経った時期でした。
 当時はAmazonの中古本取り扱いもなく、他の通販サイトもまだまだ。つまるところ、実物を地道に探すしかありません。

 結局、十年ほど空振りに終わってましたね。

   ・転機(2013年)


 んで、まあ2ch(当時)だしガセだったのかな……そもそもガセ多かったしな……と思い始めた頃、あるイベントのレポートを見たんですね。

 掲載されてた写真、その片隅に、作家の名前がありました。ピンボケで、でも紛れもない「飛火野耀」の文字が。

 内容もそれっぽい。これまで不確かだった代物が、急に現存することになった訳です。

   ・発見&流布(2015年~)


 んで、まあ頑張りました。今度は2年で済みました。入手できたときは「ああ、やっと分かるんだな」と正直ホッとしました。

 見つけた今から見ると、「そりゃ見つからないな」とは思いましたね。本とは特に関係ない時期、不意に記事が載っていたので。

 結果はどうだったか。

 飛火野耀が真行寺のぞみにインタビューしていた、これは本当。


 飛火野耀が変名で書いたと明かしていた、これもほぼ本当……というより、そうとしか読めない書き方でした。

 ともあれ、真行寺のぞみ『血まみれ学園とショートケーキ・プリンセス』の刊行から20年以上を経て、当初の噂を確認できた訳です。

 真行寺のぞみは飛火野耀の別PNである、と。

   ・現在(2023年)


 んで資料その他(インタビューとか未発表小説の数々とか)の公開ですが……頑張っています。なかなか時間がとれなくて絶賛遅延中ですが、『飛火野耀読本(仮)』でまとめて公開できればなと。ただ、今となっては企画を持ち込む宛てはないし、どうしたものかなーとは思いつつ……まあ気長にお待ち頂ければと思います、はい。



追記:
じゃあ見つけたその成果を、今はクローズドな場(有料記事とか)とかでしか公開してないのは何故か? これは単純な話で、今よりもっと文学研究に打ち込んでたときに貴重な資料群を貸して、報酬も支払われないまま資料を年単位で返されなかったことがあったんですね。最近やっと資料だけは戻ってきたものの、その一件で心底懲りたのでした。世の中には無作法な人がいて、人の苦労を何とも思ってない人がいるんだな、と。

あとは一時期、Wikipediaに情報をひたすら転載されてこともありました。そりゃコピペする側は楽だよね、一切元手かかってないから。

まあそんな事もあって若干偏屈に傾いてしまい(今にして思えばまともに応援してくれてる人のほうが圧倒的に多かったですね、本当に申し訳ない……)、以降は有料記事での公開が主になったのでした。

「いろいろあったんだな……」と思った人はこのnoteを購入するなりサポートしてもらえれば幸いです。今後の資料代に充当しますので……では。

(続きは出典と一部の内容に触れています)

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問題の文章/インタビュー風テキストはどこに載っていたのか?

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