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2023年のワタシ(その1)

さて、今年をぼちぼち振り返ってゆこうかと思う。
気ままに書き殴るのでめちゃくちゃなのは、ご愛嬌ということで何卒。

(コレまでのあらすじ)
2022年夏にコロナ肺炎に罹患し、致死率50%の肺炎も併発
追い打ちをかけるかのように、重たい帯状疱疹も立ちはだかり、低血圧・低ナトリウム症・よく分からん病名の疾患・ステロイド性糖尿病…と、疾病の総合商社な状況
尿カテ3ヶ月を乗り越え、自力排尿はできるようになるものの、寝たきり生活は立ち上がり困難な身体を残してゆき…
前厄でこんな状況なら、本厄はどうなってしまうの…?!
乞うご期待!


年明けは、岩手で迎えた。

今よりも動かない身体(記憶が確かなら、ベッド↔︎車椅子の移乗が一人でできなかった)、降り積もる雪…で、塞ぎ込んでしまう事が多かった。
ベッド上で聞く、屋根から落ちる雪の音。
しんとした世界で「家破れたのでは?」という凄まじさだった。

こんなに雪が積もっても、齢90の祖父が雪かきをしているのに、自分は何も出来ない…

身体が動いていた頃は、1ミリもしたくなかった雪かきを渇望していた。

仕方ないとは言え、トイレに行くのも人の手が必要で、寝ている間はオムツが必要(夜間トイレはできなかった)というのは、結構病む。

結構どころでなく病む。

当たり前にできてた事が、人の手を借りないと出来ないというのはとても心が辛くて辛かった。しかも、母や祖父母の手を借りる。

私ってなんなんだろう

って。

何か食べたい。って願っても、自分の足でヨーカドーに行くことすら出来ない。
車椅子と雪道の相性は最悪で、雪のない道なら5分のところを30分は要する。

近くて遠いケンタッキー。

誰も悪くない、誰も悪くない

って毎日唱えながら、朝8時に目覚めて観たいか分からない情報番組を観る。観るというか目の上を滑らせる。
毎日何もできないを繰り返して、7日経つと笑点を観てリセットして…

毎日食べられたり雨風に曝されずに寝られるだけで幸せなはずなのに、したい事を可能にする身体がないことに起因する選択権の欠如はワタシをジワジワと蝕んでいた。

ワガママなのかもしれないけど、「あった」ものを失ってからの生活は、想像以上にキツい。

知っているから。

他人の辛さと比較する事にはなんの意味もないと思うけど、過去の自分と比較して、「出来ない」自分への不甲斐なさ、というのはキツい。
気にしなければ良い、というものでもなくて、そういう想いを抱えるのも丸ごと含めて自分なんだな、と思えるようになるのは2023年通してなので、序盤は本当にグルグルグルグルきつかった。

つづく(終わるのか?)

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