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まうの思考回路

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エッセイもどきと、何やらいろいろ考えてみたもの。増えてきたのでそろそろ細分化したい。
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ちょっとしたテーマパークみたいなお菓子屋さん

でっかい湖以外にはアイデンティティもプライドもない、悲しき民族・淡海人として私は生まれた。今度あなたの地元に行くんだけど、おすすめスポットある?と聞かれると私は、琵琶湖、彦根城、あとはなんだろう、メタセコイア並木とか?なんて適当なことを抜かしがちである。 そんな我が故郷にもちょっと自慢したくなる場所ができたのは、つい最近のこと。そこはお菓子屋さん、ところがどっこいただのお菓子屋さんではないのである。 GWの帰省中、私は父と母と3人でそこを訪れた。 場所は近江八幡市、垣根を

“夢を叶えるためには夢から覚めなくちゃ”

21歳は、屍になった。22歳は、激動の年だった。 23歳は、果たしてどんな1年だっただろう。 ファンデーションを変えてみた。試しに塗ってみたら驚くほど肌に馴染んで、化粧ノリもぐんとよくなって、朝からきゃあきゃあはしゃぎながらお化粧をしてしまった。鏡を見るたびに崩れていないかチェックして、そのたびに満足していた。 夕方、化粧を落とす前は寂しくなるので、私はいつも作った顔を恋人に存分に見せてから落とすことにしている。この日もそうだった。寝転ぶ恋人にぐいと顔を近づけると、恋人は

薔薇は生きてる、我が試練よ

日々飲んでいる薬の副作用、今月は嘘みたいに調子がよかった。先月新しい薬に変えてみたらまあひどい目にあったのだけれど(詳しい話はこちらで)、身体が新たな薬にしっかり適応したらしい。ストックが尽きそうになったので、ひと月ぶりに婦人科へ向かう。 先月は大変な思いをしたものの、あの一回きりで学習できる私の身体はとてつもなく優秀だ。そもそも飲みはじめた頃もすんなり馴染んでいった覚えがある。聞き分けのいい身体で助かる。 2年ほど低用量ピル生活を続けているけれど、おかげで私のPMS(主

今しかなれない、あさやけルビー

「歳とってからやとできひん興味のあることは、今やっといた方がいいよ。じゃないといい歳こいたおばさんになってから生足出したり、ケバケバの化粧しだしたりするんやで」 友人は私を脅すと、私の早めの誕生日プレゼントに赤いマスカラを買った。メイベリンのスカイハイ、あさやけルビー。私が初めて手に入れた、色つきのマスカラである。 「わたしは逆に黒を持ってへんのよ」と言うので、私は彼女の遅めの誕生日プレゼントとして黒のマスカラを買ってあげた。彼女がうちに泊まった翌日の朝、私たちはそれぞれ

儚くなければ愛されないのでしょうか

土曜日、狙ったように満開になった桜は、月曜日の雨でことごとく散りゆく。春めく気もそぞろな人々の足は途絶え、まるでそんなもの最初からなかったのですというような顔をして、日常はひたひたと帰ってくる。 地面に敷き詰められた花びらの絨毯は踏みつけられて薄汚れ、泥水に浸かり奇妙な斑点模様を作る。かつて人々の目を楽しませ癒していたのと同じものだとは、到底思えない。あっけなく消え去る、夢か幻。 こういうところが桜の好きになれないところで、もっと本当のところを言うと、そういう、夢とか幻み

私もまた、言葉に救われている。

まだまだ私は言葉を舐めていた。乾いた土に雨水がぐんぐん染み込んでいくように、私の心は言葉のあたたかさに満ちていく。 たかが人間の、意思疎通を図るために生み出された言葉。単なる言語。なのに私たちはどうして、そこに言葉を超えた意味を見出し、心に広げていけるのだろう。 こうして文章を公開するようになって、3年が経つ。3年もいると素晴らしい出会いもあれば、まあ苦々しい別れだってあった。だけどこんなに続けることができたのは何よりも、出会いに恵まれていたおかげだと思う。 ただ公開す

不真面目に真面目、まだちょっぴり反抗しつつ。

帰り道、車内に湿っぽい熱がこもっていたので、久しぶりに窓を開けて走る。最初はぬるく、徐々に爽やかな風が車内を通り抜けていく。こういうのを小春日和というのだろうか、なんて呑気に考えていたら、いよいよ本物の春が来るみたいだ。 あたたかい。あたたかいのはいいことだ、とても。だけど、いつまでもぬるま湯に浸かっているのはよくないことらしい。 今週末で、働きはじめて一年が経つ。一年間、私はそれはもうのんびりゆったりと働いてきた。苦労を重ねる23卒の皆様に顔向けできないくらい、いたって

見えないところで回るもの

割に合わない、と思っている。いつも。 二人暮らしを始めて、一年が経った。私にとって、血の繋がらない他人と暮らすのは初めてのことだ。きちんと、他人と暮らすということが。 大学時代に一人暮らしの四年間を経て、私は自分一人に関する暮らしについてはよくわかっていた。簡単に言うと、何もしない。最低限のこと以外には手すらつけない。そういう地を這う生き物のような生活を、他の大学生と同じように私もやっていた。 料理は苦手だ。洗濯物を畳むのも下手くそだし、掃除は一度凝りだしたら止まらない

“お涙頂戴になったらだめだ”

ほんの些細な失敗を、何度も思い返しては引きずってしまう。あのとき放った一言を今からでも訂正したいと、布団に潜りながら悶々とする。そういう歯切れの悪い根の暗さが、私にはある。 でも、根暗な人が私は好きだ。私とおんなじ、変な方向に考えすぎでじめじめしていてちょっとめんどくさい思考の人。けれどそんな自分を隠しつつ、せめて周りには迷惑をかけないでいようとひっそり口角を上げて生きている人。 不思議と、根暗同士が一緒にいても場は暗くならないものだ。そして異様に安心できる。何よりお互いを

ただいま省エネモードにつき。書いたり贈ったり。

1週間分の疲れが溜まっていたのか、週末の午前を丸ごとソファーの上で消費してしまった。一応朝食は摂ったものの、食後の微睡みから一度横になってしまうともうだめだった。目を覚ませば昼すぎで、なんだかやらかしてしまった感がある。恋人はどうせ仕事なのだから、好きにすればいいのに。 本を読むでもなく、縦になって動くでもなく、ぼんやりと手元の液晶画面を眺めている。それ以外何もしようがない日、私は「今日は省エネモードなんだな」と私の状態を理解する。いかにもそれっぽい表現だけれど、要はだらけ

そしてまた、1年が続いてゆくのだ

あとがきを書き終えたとき、ふう、と息が漏れた。ソファーに全身でもたれかかり、書き上げた原稿を眺める。それはやりきった達成感でもあり、そうか、1冊を終えてもこれからも日々は続いていくのだと、至極当たり前のことを改めて再確認したため息でもあった。 2月25日の文学フリマ広島で、私は社会人1年目とふたり暮らし1年目をテーマにしたエッセイ集(文庫本)を新刊として販売する。 とはいえ入稿はギリギリを極めていたので、完成したのは今月の初め。できるだけ手に取りやすい価格を目指したかった

縁結び、この度失念バレンタイン

今日はこのままつけて帰ろうや、と言われ、受け取ったばかりの指輪をつけて浮かれている、雨上がりの夕暮れ。先に断っておくとまだ籍は入れていない。今日だけの特別だ。 鏡のように平たく真四角に加工されてはめ込まれたダイヤモンドは、ある角度から見ると眩しいほどに輝く。宝石以外の部分はマット加工にしてもらったので、ダイヤの透明感がより一層強調される。 この加工も時の経過とともに徐々に削れ、やがて元の艶を取り戻していくらしい。その過程を、今から楽しみにしている。 きっかけは、出雲に縁の

大人だって冒険に出かけちゃえるもんね

もう、やけくそだった。この妙に荒ぶった気持ちをどうにか鎮めたくて、すっかり日の落ちた暗闇の中私はハンドルを握った。 その日は週末で、月末で、その他あらゆることが重なり珍しく残業した。この後用事もないから残業自体には何も思わないけれど、一方でなんとなくやけっぱちになっていた。なのに自分が何をしたいのか、どうやってこの気持ちを発散させたいのか、なぜかわからなかった。 いつもと違う道を通って、コメダにでも寄ろうか。いや、なんとなくコメダの気分ではない。かといってマクドとか、スタ

母も、書けばいいのに。

私が5歳の頃に母が書いた、エッセイを読んだ。 先に記しておくと、母はいわゆる「書く人」ではない。母は読書量だけは人一倍ではあるものの、自身が書いたものを私はそのエッセイ以外に読んだことがなかった。 母は私が生まれる前から、児童文学メインの同人雑誌『鬼ヶ島通信』を購読している。かつては今では信じられないほどアクティブで、時たまメンバーのパーティーにも参加していたらしい。『がんこちゃん』シリーズの末吉暁子先生や、『コロボックル』シリーズの佐藤さとる先生、村上勉先生が創刊し、錚々