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おっぱいのはなし


突然ですが私はおっぱいが大好きです。

ここでドン引いた方、そっとブラウザバックしてください、今のうちです。

それから、ぼくもおっぱいだいすきー!と賛同してくれた方、おっぱいに少しでも興味がある方、よかったらお付き合いいただけるとありがたいです。ただくっっっっっっそしょーもない上にガバガバ理論なのでお付き合いしてくれなくてもいいです。むしろおすすめはしない。(どっち?)


おっぱい。この呼び方は俗称であり、正式名称は「乳房」。この俗称は少なくとも幕末以降から使用されており、第一に幼児語での「母乳」を指し、のちに「女性の胸の膨らみ」を表す性的語義としても広まった。以上Wikipediaの適当な要約。
つまり私はこれから「乳房」の魅力について語ってやろうと目論んでいるわけです。把握お願いします。


さて、おっぱいが新たな命を育てるために必要なもので、人類にとってかけがえのない存在であることは大前提です。おっぱいがなければ私たちは今ここにいなかった。たとえおっぱいで育てられていなくても、私たちをこの世に産み落としてくれた人間は少しでも母乳を与えなくてはと物理的に胸を痛めていたはずです(胸が張ると言いなさい)。おっぱいは人類の起源であり神秘。この時点でおっぱいって尊いものなんですよね。は?……続きます。

先ほどおっぱいが好きだと言いましたが私は普通の女です。
今時普通なんて言い切ってしまうと何をもって普通だなんて言えるんだ!と怒られそうなんですが、そこまで深く考えずにああ普通の女なんだなと思ってください。強いて言うなら女の子と付き合った経験があるくらいです。

おっぱいが最も魅力的なものとして描かれるのは主に男性向けのアレやソレだと思われます。それゆえに、近年おっぱいは男性によって性的に消費されるいやらしいものだと認識されがちです。しかし、どうして生殖器でもないおっぱいが興奮材料になるのでしょうか?どうしておっぱいは女である私までをも虜にするのでしょうか?


自分にはない「おっぱい」

これはあくまで私の経験則なのですが、人間というものは自分にはないものに対して過剰なほどに魅力を感じます。他人の特技やスペックの高さを羨み欲してしまうことは、きっと誰にだってありますよね。
おっぱいも同じです。男性はどうやったってあのふわふわの胸の膨らみを手に入れることはできない。だからあの膨らみがどうしても魅力的に見えてしまうし、それを一目見たい、あわよくば触れたいと思ってやまない。それが性的興奮にも繋がるんだと思います。男女それぞれが持っている凹凸にもお互い興奮してしまうものです。もちろん本能的な反応が大きいですが、何よりお互いの凹凸は自分にはないものだから求めたくなってしまうという部分もあると思うのです。

それならどうして女である私までおっぱいが好きなのか?
これは私の女の子と付き合っていた経験にも関係してくるのかもしれません。しかしそんなことよりも、これだなと思う要因が一つあるのです。私はいわゆる貧乳なのです。

私が小学校高学年だった頃、周りの発育のいい友達の多くは胸の成長も早かったです。私も誕生日が早いのもあってそれなりに身長はあり、生理も早くに来ていたのですが、胸だけがなんの音沙汰もありませんでした。
この時点で私のコンプレックスは形成されていました。気がつけば友達の膨らんだ胸ばかりに視線が向いてしまい、おっぱいに対する執着はひどくなるばかり。みんなのおっぱいはちゃんとあるのに、どうして私は……といつも悶々としていました。そのまま大した成長を遂げることもなく、胸が成長しないという思春期の悩みがいつしかおかしな方向へと転換して今に至るわけです。今やおっぱいを崇め奉る始末。コンプレックスって怖い。

私がこの持論を真っ先に展開したのは、何よりもこの経験で「人って自分にはないものを求めてしまうんだな……」と学んだからです。


隠れている「おっぱい」

おっぱいの魅力についてもう少し語りたいと思います。

見出しにもある通り、おっぱいはほとんど隠れています。街行く人のおっぱいは大抵服の下で、たまに谷間なんか見せつけて歩かれた日にはやーんえっち!!!!となってしまいます。

えっち……?いやいや、生殖器でもないおっぱいがえっちだなんて考えてみたらおかしな話じゃないですか?むしろおっぱいは、隠れているからこそえっちなのだと声高に主張していきたいわけであります。(唐突な政治家)

夏の海やプールの様子を想像してみてください。男性は上裸でもなんとも思いませんよね。ただ、下半身はしっかり隠しています。一方、女性は下半身はもちろん、胸も必ず水着で覆って隠しています。女性が胸なんか出したら恥ずかしい。そういう固定観念が私たちにはあるのです。

一度この固定観念をひっくり返してみて、誰もがみんな全裸で日々を過ごしているとしてみましょう。懸念材料はひとまず置いといて。
みんな素っ裸です。おっぱいも凹凸も丸見えです。みんながみんなこうなったとして、最初は興奮するかもしれませんが、一ヶ月その状態を続けてみても興奮は続くでしょうか?
おそらく否。きっとみんなのアレやソレやコレなんかを見続けていれば慣れてしまいます。人間はどんな状況にも適応するため、慣れるようにできているのですから。

慣れや飽きが来てしまえば、おっぱいや凹凸がえっちだなんて感じなくなると思うのです。私たちは普段隠されていない他人の顔を見るたびにやらしいな……だなんて思いませんよね。人前に当たり前に出せる手足なんかも、そういう性癖の人は別としてあまりえっちなものには見えません。私は少し手フェチですが。
だから見えないものってなんだかじれったくてやらしいんですね。

つまり、おっぱいは隠されているからこそ魅力があるのです。

いつから胸は隠すものだという認識が人々に根付いたのかはわかりませんが、きっと太古の昔はおっぱいも丸出しだったはずです。今だって一部の民族は大事なところすら隠していません。おそらくその人たちは私たちのようにおっぱいがえっちなものだとは考えていないのではないでしょうか。あくまでも予想ですが。

もしかすると、えっちという概念は本能のままに生きていた人間が文明に目覚めた頃から生まれたものなのかもしれません。火を扱い、服を着ることを覚え、自我を手に入れた人間にしか辿り着けなかった人類の真骨頂。「おっぱい」は文明が生んだ素晴らしい概念だったということですね。は?

そろそろ頭がパンクしそうなので何言ってんのかわからなくなってきましたね。そういえばこういう論じる系の文章書くの苦手だったなって今思い出しました。馬鹿なのだろうか。おっぱいが好きなやつはみんな馬鹿だよ。許せ。


結論。おっぱいはふわふわ。おっぱいは神。生命の神秘。人類の奇跡。生まれてくれてありがとう。これからも私たちを癒し、導いてくれ。

ご自身のためにお金を使っていただきたいところですが、私なんかにコーヒー1杯分の心をいただけるのなら。あ、クリームソーダも可です。