見出し画像

台湾旅行と私の差別意識

旅行記はめんどくさいのでやめようと思う。
代わりに、この旅を通じて感じたことについて書こうと思う。

差別、という言葉を知ったのは小学生の頃だ。

「差別を無くそう週間」みたいなよくわからない学校の取り組みで、県や市のポスターを図工の時間に描かされたり、標語を作らされたり、いかにもわざとらしい話ばかりが載った道徳の教科書を使って班ごとに話し合わさせられたりした。

差別という概念に出会わせられた時、私は真の意味で差別というものを理解することはできなかった。
大人が子供へ期待する綺麗事のためのテーマとしてしか認識できなかった。

それからちょっと過ぎて、ネットにどっぷり浸かった私はいわゆるネトウヨ思考に染まっていた。

日本はすごい。日本人は謙虚で勤勉で海外でも賞賛されてる。それに比べて中国人は、韓国人は…。

ネットリテラシーという言葉が一般的になる前だったと思う。今でも心は充分に未成熟で子供だとは思うが、当時はもっと幼稚だった。何が正しくて、間違っていて、偏っていて、中立で、信頼できて、…etc。
情報を適切に選び取ったつもりになっていた。

賢ぶってニュースを見て、反日運動をしている人らを横目に家族へ「これだから中国人や韓国人はダメなのだ」と物知り顔で言っていた。
もし自分に子供がいたとして、そんなことを家族団欒の時間に言われたら普通に嫌である。
事実、嗜められることがあったが家族はネットに疎かったため「情弱だからな…」と聞き流していた(クソガキ)。

日本人が一番、アジア人の中でトップの人種でそれ以外は劣っていると決めつけていた。
数年前に「差別を無くそう週間」で描いたポスターや発表した感想文など私にとってはなんの抑止力や罪悪感にもならなかった。
それが差別だとすら思っていなかった。

そしてもう少し経ち、私はネトウヨ思考を友人に叱られて辞めた。
叱られてと言うか、諭された。
同じくネトウヨ沼経験のある友人だったから説得力があったし、真剣だった。

「日本にも、中国にも、韓国にも、世界中で悪い人もいるしいい人もいる。反日で報道されてる人はごく一部だし、政治と普通にその国で生きてる人とは分けて考えるべきだ」 

と、そんなようなニュアンスのことをキッパリ言われた。

なるほどな、と思った。それが正しいのか間違ってるのかとか厳密にいえばとか、なんかそんなのは置いといて、当時の私は納得した。
それから、これって「差別」をしていたのかもと気づいた。

話は変わるが、今回の台湾旅行は2度目である。

1度目、私はまた、あれって差別だったかもなと旅行後に思った。

ネトウヨ症を治してもらってからしばらくのことだった。
台湾へ旅行に行った。
初めての海外で浮かれていたから、というのは言い訳だ。
日本じゃやらないようなことをたくさんした。
料理の味付けが舌に合わず、一度口に含んでから吐き出すのを料理毎に繰り返した。
露天の商品をどうせこんなもの安いんだろうと必要以上に値切った。
日本語がわからないだろうとタカをくくり、コンビニや九份で「臭い臭い」と騒いで笑った。

どこかまだ、台湾は後進国だという認識が私にないとやらないようなことばかりだと思う。
旅行に同行した友達は、一緒になって笑っていた。
叱ってくれた友達とはまた別の友達である。

もしこれが日本であったならば、

口に合わない料理はとりあえず水で流し込み、吐き出すような真似はしなかっただろう。
仮に値切れるような買い物の場であっても、5%〜20%オフくらいの値段から始めて、間違っても50%〜70%オフの値段を最初に提示はしなかっただろう。
臭いと感じたのを友達と共有はするかもしれないが、少し離れた人にも聞こえるような声量では話さなかっただろう。

そして、またしばらくして私はヨーロッパへ観光に行った。そこで、一度だけ「チーナ!」と通りすがりの白人に叫ばれた。
チャイナの意か、シナの意かハッキリは分からないが、声色から差別用語なことは明らかだった。
ショックを受けた。
別に中国人に間違えられたことはどうでもいい。
初対面、ていうかそもそもすれ違っただけ、普通に歩道を歩いていただけなのに、悪意を通り魔的にぶつけられたことが初めてで普通に悲しくなった。

その時に、ふと台湾旅行のことが頭をよぎった。
もしや、私も台湾の人に対して最低なことをやったのだろうかと。
私は、被害者になって、一瞬にして加害者にもなった。

友人に諭されて、差別をしない自分に生まれ変われたと思っていたのに、根っこはまるで変わっていない自分に驚いた。

ボンヤリ思うだけじゃダメだった。
そもそも、差別は無くせないものだ。世界中にはいろんな肌の色や性別や宗教や職業や、まだまだ色々な分類があって、自分と違うに溢れている。
こんな状況で差別を無意識にせよ意識的にせよしてない人の方が少ないし、そもそもどこからが差別だ!と可視化するのも難しい。目に見えて分かるものもあれば、そのコミュニティの構造を知らなければわからないものもたくさんある。

私は差別をしてしまう人間だと思って生きよう、とその時に決めた。
そして、それを表に出さないようにしようとも決めた。

当たり前のことかもしれないが、自分のことを「差別をする人間だ」とちゃんと認識することが、私の中では結構大事なことだった。
そうすることで、必ず発動するわけじゃなくても「これは差別か否か」という事前判断プロセスを踏んでから喋ったり行動したりできるからだ。


長々と色々書いた。
なんで、こんなことを書く気になったかというと、今回の台湾旅行ではあれって差別だったかもな〜と反省するようなことをやっていないことに気づいたからだ。

相変わらずコンビニや九份は独特の匂いがしたし、口に合わない食べ物もあった。
だけど、日本じゃやらないようなことはしなかった。
当たり前のことだ。べつに褒められたことでもない。

だけどやっと、少し変われたのかもしれないなと思った。

今まで書いた記事の中にももしかしたら、何かしらへの差別が含まれてるかもしれない。
明日にでもまた、気づかぬうちに差別をしてしまうかもしれない。

そう思い続けて、そして差別に気づいた時にキチンと直して次からは心の中から決して出さないようにしようと心がけるような人間でありたいと子供部屋からニートは願うのだ。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?