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私有財産

私たちは誰でも何らかの持ち物を所有していますが、この所有という制度を社会が撤廃した場合、どうなると考えられるでしょうか? その場合、いわゆる私有財産が撤廃されることになり、資本主義から共産主義へと社会体制が変化することになるように思われます。これが可能であれば平等性の観点からは非常に理想的なのですが、多くの難問もあります。三つほど紹介しましょう。

1.私有財産を撤廃すると人々が財産を得るために努力するという気概を失う
2.歴史的に見て、共産主義を実現しようとしたケースでは惨劇が生じている
3.個人の才能を共有する場合、才能を積極的に隠蔽した方が利率が高くなる

まず、みなさんは何のために働いていますか? 主にはお金のためですね。つまり、お金が得られなくなれば働く必要性が消失します。そのようにして多くの人々は労働へのインセンティブを失い、生産活動が減退、そして社会に怠惰がはびこる結果、世界が今まで蓄積してきた富を使い果たした段階で人類は滅亡するでしょう。

例えば、今現在、あなたは何の見返りもなく働いて人々に奉仕できているでしょうか? 私はそうしようと努めてはいるものの未だに十分にはできていません。また、大概の労働はその対価としてお金を要求し、貧民や障害者などの深刻な差別に苦しんでいる人々を見捨てて自分たちだけがお金を儲けることを人々は立派なことであるとさえ考えているようです。私は社会における共産主義の実装に十分なだけの偉大な水準にある無償の愛の持ち主を未だに知りません。

また、歴史を見れば、共産主義を実装しようとした国では多くの惨劇が生じており、このことも共産主義にまつわるリスクとして捉えられるでしょう。

例えば、共産主義を新たに実現するためには資本主義を破壊しなければなりません。しかし、政治上の闘争が生じてしまえばかなりの高確率で人の血が流れます。人の命は尊いものですから、そうした惨劇は避けなければなりません。

最後に、社会が個人の才能に対して相応の利益を与えないのなら、才能を明らかにすればするほど天才は不利になります。ところで国力の強さは明かな天才の保有量が大きければ大きいほどに増大します(竹槍で戦闘するよりも、天才が発明した最新の機関銃を使用する勢力の方が戦術上で圧倒的に有利です)。つまり、天才が隠蔽されて埋もれてしまうことには多くの人々の生存戦略上の致命的なリスクがあります。

例えば、仮にあなたが「あなたは天才だから無償労働をしなさい。あなたがどんなに頑張っても何の見返りもありません。あなたたちは高い能力を持つがゆえに、生まれながらの奴隷なのです」と言われたらどうするでしょうか? おそらくは大きな反抗心を持つでしょう。また、ギフテッドと呼ばれる才能を持った人々の数は概ね50人に1人は存在すると言われています。かなり多く存在するのです。そしてそれだけの才人たちによる反逆が国のそこかしこで起こってしまえば、統治は立ち行かないでしょう。だからと言って、才能を持った人々を殺戮してしまえば国力は減退する一方となり、いずれ民族ごと滅亡してしまうでしょう。

以上のように共産主義の実装には多くの難問があります。

ただ、プラトンはその著作の中で多くの普通の人々においては私有財産の撤廃を諦めていますが、特に優れた少数者(これを守護者階級と言います)の間では財産を共有することは可能であるとする趣旨の構想を主張しています。

さて、少なくとも共産主義や資本主義の問題は極めて難しいものであり、一概に言えるものではないということはおそらく確かでしょう。

語弊を承知で無理矢理にでも簡単に言ってしまうのなら、すべての人たちが釈迦やキリストのような愛ある自己犠牲的な資質を潤沢に持ち合わせていれば、共産主義は可能になるのかもしれません。これもとても難しい点だと思います。

私たちは衰退のリスクを覚悟の上で資本主義的な競争原理によって生じる子々孫々に至るまでの繁栄を断念し、私有財産を撤廃するべきでしょうか? それともそこには何か歴代の天才達でさえもが着想できなかったような、それ自体極めて画期的で天才的な現実的代案が存在するのでしょうか?

ここまでくると私程度の者にはもはや何とも言えませんが、こうした難問のすべてに誰もが満足のいく民主的な解答を付してなおかつ共産主義を誰の血も流すことなく見事に実装することのできる愛ある大天才の誕生を私は待ち望みます。

政治体制の如何にかかわらず、みなさんが末永く幸せでありますように。

偉大にして公正、そして愛ある真のマルクス主義者たちの上に主の栄光が輝きますように。祈ります。

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