全てはあの日から始まったのか

2年前の冬の出来事

長女の高校受験の1週間前だった。旦那がスノボーで単独事故を起こした。ジャンプに失敗して頭を強打し、意識不明の重体。脳挫傷,硬膜下血腫,頭蓋骨骨折,肺挫傷,様々な怪我。

1週間ほど呼吸器に繋がれていた。その間インフルエンザに感染したり,頭の髄液が止まらなかったりとにかく色々な事があった。群馬県の赤十字病院に入院していたので東京から通った。

娘の受験もありあたしは精神的にもヘトヘトだった。義理両親も同じだっただろう。

肺挫傷の傷が酷くなり,手術する事になって、右下の肺を摘出した。その後傷が塞がらずもう一度手術。

脳挫傷のせいで記憶障害が起こっていた。怪我前の何ヶ月分か覚えてない…もちろん事故の事も覚えてない。

子供達に父親の容体がここまで悪い事を私は伝えられなかった。中学一年生と三年生の娘にどう伝えたら良かったのか今でも悩んで後悔もしている。

群馬にいた2ヶ月、旦那は以前とは別人だった。怪我や手術で身体は痛みで悲鳴を上げていたのだろう。元々気が強く,プライドが高いタイプだがこの時は本当に廃人のようだった。

私は何故あの時スノボーに行かせたのかを今でもずっと後悔している。娘の受験もあるから怪我しないでねと言ったのは覚えている。何故行かないで欲しいと言わなかったのか!何でこんな時にスノボーに行くのよと思っていたのに!何故止めなかったの!馬鹿だ。

あの事故さえなければ今こんな事にならなかったかもしれない

旦那が働けなくなる不安,子供達の将来の不安,住宅ローンは?毎日の生活は?不安だらけの毎日。私は普通の主婦でパートしていたが、精神的に不安定でパート先の友達にしばらく休んだ方が良いと言われ仕事にも行けなくなった。

外に出るのも嫌になって旦那の病院に行く日と買い物以外外に出なかった。カーテンを開けるのも嫌だった。近所の人にも会いたくなかった。子供達も私の様子に気づいていたと思う。父親には2ヶ月会えず、母親も家に篭りきりであの時の子供達は可哀想だった。ごめんなさいごめん本当にごめんこんな親でごめん

あの時長女は受験,卒業,入学とあり新しい学校,新しい友達作りと本人もホントに大変だった。最初の1ヶ月学校へ行きたくなくて毎朝吐き気と闘いながらそれでも休まずに学校へ行った。長女は強かった!ホントにありがとう!

次女もいろんな不安と闘っていただろう。それでも何とか毎日過ごしてくれていた。ごめんごめんごめんありがとう

親として情けないごめんなさい大好きな子供達愛してるよ




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