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「ゆく河の流れは絶えずして、しかも、もとの水にあらず」

休暇というものは、新しいものを知る時間をくれる。そしてそんなパスをくれる友人に恵まれている。それが唯一の自分の自慢かもしれない。

「まっくすさん、小屋を建てたい!」

このコメントのやりとりの後に、送られてきた言葉が「鴨長明的な!!」というキーワードだった。鴨長明?方丈記…かな?というところまでわかったが、それ以降のどこで何をした人なのかさっぱり。ということで、勝手に鴨長明研究がスタートしたのが昨日の夕方だった。

鴨 長明(かもの ちょうめい、久寿2年(1155年) - 建保4年閏6月10日(1216年7月26日))は、平安時代末期から鎌倉時代にかけての日本の歌人・随筆家。俗名はかものながあきら。禰宜・鴨長継の次男。位階は従五位下。法名は蓮胤。菊大夫とも号した。

そんなざっくりな情報はさておきながら、オモシロい情報をいくつか見つけた。「30歳までニート」「47歳まで売れないミュージシャン」「元祖ミニマリスト」「方丈記は"小さな暮らし"をススメるエッセイ」。なんだか、とても人間的なやつではないかという驚き。詳しくはこの記事(画像をクリック)を是非。めちゃくちゃ文才あってオモシロすぎました。感謝。

という感じで、日々新しい発見をしていく毎日なり。

方丈記
ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。淀みに浮かぶうたかたは、かつ消えかつ結びて、久しくとどまりたるためしなし。世の中にある人とすみかと、またかくのごとし。  たましきの都のうちに、棟を並べ、甍を争へる、高き、卑しき、人のすまひは、世々を経て尽きせぬものなれど、これをまことかと尋ぬれば、昔ありし家はまれなり。あるいは去年焼けて今年作れり。あるいは大家滅びて小家となる。住む人もこれに同じ。所も変はらず、人も多かれど、いにしへ見し人は、二、三十人が中に、わづかになひとりふたりなり。朝に死に、夕べに生まるるならひ、ただ水のあわにぞ似たりける。知らず、生まれ死ぬる人、いづかたより来たりて、いづかたへか去る。また知らず、仮の宿り、たがためにか心を悩まし、何によりてか目を喜ばしむる。その、あるじとすみかと、無常を争ふさま、いはば朝顔の露に異ならず。あるいは露落ちて花残れり。残るといへども朝日に枯れぬ。あるいは花しぼみて露なほ消えず。消えずといへども夕べを待つことなし。

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