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熱狂に 魅せられこころ 動かされ 人がまたひとり 渦にのまれる

『自由研究』

この言葉は「またやりたい!」という人と「嫌いだったな」という人と大きく分かれるだろうなと思う。たいてい、「自由研究をやりましょう」って始まるんだけど、もうそれ自体が間違っているよな。自由に研究していいんだから、せいのってみんな同時に「やらされる」時点で自由研究という言葉から逸脱している。なんてことを考えてしまうタイプの人間だ。

でも、この「自由研究」を大人になってから、ずっと続けている。じぶんの「仕事」といわれるものの多くが自由研究だし、こんなのやってみたらどうかな、これってどうなってるのかな、調べたり考えたけど実際できるかなと進むような仕事をしているので、いつも自由研究だ。むしろ、勝手に自由研究していたのを見つけてもらって、それが仕事になることだってある。補足しておくと、ちゃんとお金をもらって自由研究やるときには、求められる成果を考慮しながら頑張ったりもしています。

で、話を戻すんだけど、この「自由研究の場」をひらいています。過去は1年に2回、夏と冬。そしていまは、むしょく大学という場で2ヶ月に1回開催しています。この場は自由参加。「参加したい!」「参加に興味がある」という人が集まってきて、参加費を払い(むしょく大学の場合は無料)、1ヶ月後に発表会をひらくというプログラム。

毎回、4−10人くらいの程よい人数で開催されているんだけど、毎回面白い。何が面白いのか、ポイントはいろいろあるんだけど、1番面白いところは「誰かのためになること、役に立ちそうだからとかはやめて、自分のやりたいをテーマにしてください。評価もないし、点数もつけないので、自由にしてください」とテーマを決めていくんだけど、なぜか発表テーマを見るとお互いに「え、何それ聞きたい!」「発表が楽しみ!」となる。必ず。

この「テーマの決め方」の違いが、自由研究を大きく左右するんだけど、これはいつになっても、どんな場面でも同じだなと思う。人を熱狂されるものは、誰かが熱狂したもの。みんなが知りたそうなことを知って調べて話をしたら、それなりに聞いてみるんだけど聞いてみて終わる。かわりに調べてくれて、まとめてくれてありがとうで終わる。

でも、誰かが熱狂したものは、自身が楽しい。面白い。もっと調べたりやってみたくなる。その熱狂さに面白さが出てワクワクさせられる。そしてそんな状態でやっていることだから、思わぬことだって起こる。そういう連鎖の1つ1つがつながって、思いもよらぬ発表が生まれる。

なんてことを思いながら、興味もみなさんの研究テーマの設定のお手伝いをしてくワクワクした午前中だった。このことは、もっとまとめて書いてみたいなと思う自由研究の入り口に僕も立ったんじゃないかと思う。まんまと。

ということで、ではまた。

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