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できることを、できる範囲で。

 11日に投稿された記事を、たくさん読ませていただきました。
 やっぱり震災に関するものが多く、みんないろんな感情を抱えてそれぞれの8年間を送ってきたんだな、と感じます。
 もう8年とも思ったけれど、まだ8年。これらの記事や、TVやネットでの情報に触れることで、自分の思いをあらためることになりました。

 8年前の3月11日。
 東京の東側で一人暮らしをしていたぼくは、あの時間を自宅でむかえました。
 ぼくが受けた影響はと言えば、ガスが止まっているとは知らず、地震の直後に浴びたシャワーがキンキンの冷水だったことくらいでした。

 恥ずかしながら告白すると、これまでの8年間、ぼくは被災地へ行ったこともなければ寄付をしたこともなく、具体的な行動を起こしたことがありません。
 何かできることはないのかと考えたことはありました。
 でも、会社の業績が落ちるとか、ぼくの日常にも震災の影響はそれなりにあったから、意識はいつの間にかそちらに集中してしまい、気づけば震災を思い返す機会は減っていたのです。

 あの震災から1年。
 3年。
 5年。
 今年、あの震災から、8年。
 何をすることもなく、ついに8年目のこの日をむかえてしまいました。

 ニュースを見ていれば素直に思いました。悲しいし、つらい。
 その気持ちは嘘ではありませんでした。
 でも、何もしてこなかったのは事実。
 そんな後ろめたさは、これまでことあるごとに、こころの表面にすっと浮かんできては、自己嫌悪の気持ちをのこして消えていきました。
 もともと自分の気持ちをうまく伝えることは得意ではなかったけれど、それにますます拍車をかけたのは、このことの影響もすこしはあるのではないかと思っています。

 どこまで深く悲しんだら、その悲しみを表明してよいのだろうか。
 それがわからないと、悲しいと言ったところでその言葉は、ふわりと宙に浮いて、むなしく消えてしまう。

 被災地に祈りをささげる資格はあるのだろうか。
 今も苦しむ人びとのこころに寄り添う資格はあるのだろうか。

 そんなことを、本気で思っていました。

 ほんとうは。
 悲しければ悲しいと、自分の気持ちを表明すればいい。
 こころから思っているのなら、実践すればいい。
 悲しみに寄り添うのに、資格なんかあるわけない。

 縁もゆかりもない被災地に、100万円寄付した知り合いがいました。
 復興のためにと、東京での仕事を辞めて故郷の大船渡へ帰っていった友人がいました。

 金額や行動のスケールではない。
 できることを、できる範囲で。ただそれだけなのに。

 前に、他人の目が気になるという記事を書きました。
 これも結局そういうことなんだろうと思います。
 自分が損をするだけならまだいいけれど、人のこころに寄り添うことにさえも、二の足を踏もうとするとは。
 その上、ホームベースから何百kmもはなれた外野でも、自在に感傷に浸れるこのめでたい才能。
 震災にたいしてとか、おおきなレベルではなくても、せめて自分のまわりの大切な人たちには。
 すこしでも善き行動を伴わせることができるようにしたいのに。

 <おわりに>
 整理しきれない気持ちを書き連ねて、どこに文章の落としどころを持っていきたいのかも、わからなくなってしまいました。
 お蔵入りどころか、下書きから消してしまいたいとも思いましたが、自分への戒めや教訓にもなるのかと思い、内容も構成も厳しいこの文章ですが、思い切って投稿することにしました。
 これまでたくさんの好きな人や好きな本が、人は人、自分は自分、と教えてくれていたはずです。
 もう一度それを肝に銘じて、これからの自分に活かしていけるよう努力したいと思います。
 本日もさいごまでお付き合いいただき、ありがとうございました。

 <3月13日追記>
 この記事を書いてから、やっぱり気持ちは行動で示すべきだと思い、少額ですが、本日日本赤十字社へ東日本大震災の義援金の寄付をしてきました。
 寄付が免罪符になるとは思っていません。
 でも、ささいなことでもひとつ行動できたということが、自分のこころをすこしだけ軽くしてくれた気がしています。
 どこまでが自己満足で、どこからが感謝されるべき慈善活動なのか。
 そんなことは、どうでもいいです。
 できることを、できる範囲で。
 そんなあたりまえのことを、学んだ気がします。

いただいたサポートは、ほかの方へのサポートやここで表現できることのためにつかわせていただきます。感謝と敬意の善き循環が、ぼくの目標です。