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おげんさんと一緒にひとりになろう

結局、最後まで観て、夜更かししてしまった。「おげんさんといっしょ」再放送①②

振り返ってみると、マイケルJの話で、寂しいという言葉を選ぶ辺り、あなたの音楽も寂しみを抱えてて、その寂しみに勝手に共感しちゃってる人がここにもいるよ、と言いたくなる。明るいのに、歌詞が「独り」なんだよな、どこまでも。初期の曲は分かりやすく「独り」な感じがあった。最近の曲は曲調が明るくても、ちゃんと「独り」に自分を置ける人、感がある。

例えば「アイデア」の弾き語り部分が好きな人は、『手と手をつないで ふたつになろう』(文庫版「そして生活は続く」p178より)がなんとなく感覚的に分かる人なんじゃないかな、と思う。そしてきっと、新垣さんも手と手を繋いでふたつになれる人だったんだろうと思う。

朝起きてみてふと、「なんなら、寂しい同士、荻上チキさんと対談しちゃったりしないかな雑誌とかで」なんて考えたりした。いや、もう対談してたりして。(荻上チキさんの「みらいめがね」も読んでみると分かっていただけるんじゃないだろうか、この感覚。)

久しぶりに、星野源さんのエッセイ「そして生活はつづく」を読み返す。あぁ、この寂しみを、感想を、誰かと共有したいなあ。

星野さんと同じように1人っ子のはずなのに、1人が苦手に育ってしまった自分は、読み終わってつくづく、思うのだった。自分を「独り」に置くのって、なかなか難しいなと。私は、つい、他人を頼ってしまう。自分を「独り」に置けない。noteを続けることで、少しでも、それを育てていけたら。

(他人と話したり出かけたりするので、よく社交的と言われる。実際そう見える近年の自分を否定はできない。けれど、誰彼構わずいろんな人と話し、いろんな人の考えを聞いて、自分の話を他人に聞いてもらうことで、寂しみを発散してるだけなんだな、本当に。寂しがりの変わり種)

そして相変わらず、き○た○発言の部分と、コインランドリーブラジャー事件、いいよなあ、とニヤニヤ思ってしまう。
だって、偉そうなあの人にもこの人にも、○ん○まがあると分かってること、って発想、最高じゃん?私も、まあまあの変態だよなと1人ごちる。

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