化粧と私4

ぐだぐだと メイクメイクと 書き連ね
ついには4回と なりにけり

プラスサイズモデルの吉野なおさん繋がりで知ったイラストレーター/漫画家のharaさん。

メイクと仲良くなれなかった自分について、漫画を書いていて、それに共感していた。けれど、作品からもらった気付きは、それだけに留まらなかった。

『ボディポジティブ』という言葉、あなたは目にしたことがあるだろうか。

私にとっては、吉野さんのツイートやフェミニズム界隈などでたまに目にする程度で、まだ腹落ちはしていない言葉だった。

haraさんと同じように「いやいや自分がオシャレしていいわけない」と意識的にスルーしていた。自分に向けた言葉ではないと。Not for me.だと。けれど、更新されていくharaさんの作品を読んでいくうちに、ふと気がついたのだ。

自分という人間は「自分自身の身体にコンプレックスがある人間だ」という単純な事実に。いわば『ボディネガティブ』だということに。

自分を良く見せるということに対して、こんなにも積極的になれないのは、そもそも…。自分には相応しくないと思ってしまうのはそもそも…。
トラウマと表現したくなる程に「化粧」や「メイク」という言葉を前に、立ち止まってしまうのはそもそも…。

ボディネガティブだからでは?
自分という容れ物を肯定できていないからなのではないか?ある意味で、自分自身に対して「セルフネグレクト」を浴びせている状態では?

そもそも「化粧やメイクをする」という行為には、多かれ少なかれ「それをすれば今よりも良くなる」という期待が含まれていると思う。

でも…もし、自分には、自分の身体には「それをする」ことによって良く見せる見込みがない、と自認していたら…。
(ここから先は、かなり話が飛躍してます)


小学〜中学の頃は、歩けば笑われ、いや、なんなら「そこにいるだけ」で笑われたこともある。

(まあ、そういうと大げさに聞こえるかもしれないけれど、世の中で見聞きするイジメ案件に比べたら、ただのおフザケ。ただ、やられたほうは何年経っても覚えているものでね…。)

更には、親からは、自分にとって「普通の歩き方」が「よくない」と当たり前に言われて、その言葉を当たり前に受け取ってきた。歩き方がよくないから、矯正するべきものだと。
でも、それって、つまり…。
ずっと「自分自身の身体を否定する言葉」を刷り込まれて育ったようなもの、とも言えるのではないだろうか。自分でも気が付いていなかったのだけれど、そういう意味合いをも持つ言葉なのではないか、という可能性に、急に、気がついてしまったのだ。

そんな環境で、自分の身体を肯定する(ボディポジティブ)なんて、1人でできるように、なるはずもなかったのだ…。外部からも内部からも、ずっと否定を受けてきて。

ところで、熊谷晋一郎さんという方が「リハビリの夜」という本を書かれているそうだ。(私は未読だが)
星野源さんのエッセイで読んだところによると『現役の小児科医にして脳性まひ当事者である著者は、「健常な動き」 を目指すリハビリに挑み、諦めた』らしい。

ダ・ヴィンチ2020/12月号より

その話が、急にストンと腹落ちしてきた。自分はそう感じた経験はないけれど…。

あくまでも、よりよい生活を目指すためのリハビリ。しかし、場合によって、障害当事者にとって「強制/矯正されるもの」となって、当事者の苦痛や負担になって、そこから遠ざかってしまうのは、正直、想像に難くない。この方の場合は、リハビリを止めたその代わりに、外からの規制を受けたものではない「私の動き」を作っていくという展開に繋がるらしいけど…。

本人のためと、正しさ(健常)の強制感っていうものは、本当に、紙一重だと思う。

マイノリティは、基本的に生き辛い。なぜなら、社会というものは、多数派の正しさに合わせて作られているから。

(ここまで読んで、「自分だって生き辛いのに!」と思ったあなた。生き辛いのは、あなたが何らかの面で、マイノリティだから、なんですよ…。)

多数派は、多数派であるだけで、生きやすさを手にしているし、それとは気が付かないで過ごせる。

分かりやすい例でいくと、車イス利用者と、そうでない人。階段もエスカレーターもエレベーターも自由に選べる人は、選べない人よりも生きやすい。

「車イスだから、仕方ない」本当に、それでいいのだろうか。駅のホームのすみっこに設置されたエレベーターまで移動しないと、改札階に辿り着けなくても?

本人がそういう状況や自分を受け入れている、肯定できているならそれでいい、のかもしれない。ただ、あなたは「社会から無言で多数派の正しさ(≒当たり前や健全)を強制されて苦しい」と思ったことはない?

目に見える障害の有無に関わらず、そんな経験をしたことは、ないだろうか。

階段を登れるのが当たり前な世界で、当たり前のことができない自分がいる、と考えたら、どうだろう?中途障害者を考えると分かりやすいかもしれない。きっと、できたことができなくなった自分を、受け入れはできたとしても、すぐに肯定できる人間ばかりではない。

そこでさらに、自分にとって「規範となる存在」の親に、良くないと言われ続けていたら…。

自分の身体を肯定できなくても無理はない。化粧なんて相応しくないと思ってもおかしくない。

参考
hara作
自分サイズでいこう 第5回『 私の就職活動』
https://www.comic-essay.com/episode/read/3664

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?